オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

この日の糧を

2014-02-09 00:00:00 | 礼拝説教
2014年2月9日 主日礼拝(マタイ福音書6:9-13)岡田邦夫

「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」マタイ福音書6:11

 以前に私が子供の頃、オバケエントツというのがあった話をしました。東京の千住という所に火力発電所があり、その煙突が上から見ればひし形に配置されていました。それで、横から見ると見る場所によって、4本の高い煙突が3本や2本に見えたり、太い1本に見えたりしたので、通称、オバケエントツと言っていました。これを背景にした「煙突の見える場所」という映画も出来ました(昭和28年)。原作は椎名麟三の「無邪気な人々」。
 聖書を読む時も、読む人がどういう立場か、考えか、姿勢かなど、立ち位置でオバケエントツのように、見え方が変わってきます。神はいないという進化論から見れば、創世記1章はただの神話だと思うでしょう。天地の造り主、全能の神を信じますという立ち位置で見れば、創造の恵みに圧倒されてしまうのです。聖書を読む正しい立ち方は「イエスは主です」という信仰告白なのです。それが、オバケエントツなら、4本に見える所、真理のよく見える所なのです。
 もう一つ、聖書を読む時の心得は先入観が邪魔をします。神はこれぐらいの方だろうとか、どうせ祈ったて答えられないだろうとか、難しくてわからないとか、どうせ読んでもたいしたことはないとか…様々なものが先入観としてあります。それは無くせないのですが、先入観をカッコに入れて聖書を虚心に読むのです。すると、聖霊が働き、見えないものが見えてきて、信じるべきものが信じられようになり、恵まれるのです。

◇神から
 さて、イエスがこう祈りなさいと教えられた「主の祈り」をそのように見ていきましょう。六つの祈りの前半は神についての祈りで、後半は人についての祈りです。その後半の三つは、教会で使っているのは、
わたしたちに今日もこの日のかてをお与え下さい。
わたしたちに罪を犯した者をゆるしましたから、
 わたしたちの犯した罪をおゆるし下さい。
わたしたちを誘惑から導き出して、悪からお救い下さい。
この三つは祈らざるを得ない人間の問題を教えています。かてと罪と誘惑です。「わたしたちに今日もこの日のかてをお与え下さい」。人が生きていくのに絶対必要な事です。食べなければ、取り込まなければ、与えられなければ、死んでしまいます。日本人の「いただきます」は良いと思いますが、みんなが「天の神様、いただきます」と言ってほしいものです。
 エデンの園ではどの実を食べても良かったのですが、園の中央にある命の木の実だけは禁止されていました。サタンに「これを食べれば神のようになる」からと誘惑されて、エバとアダムは食べてしまいます。神に命が与えられ、神から「かて」が与えられ、神から祝福されて生きていけるのに、傲慢にも神のようになって、自分で生きていけるという罪を犯しました。私たちはこのアダムの末(まつ)裔(えい)です。私たちはすべてが神から与えらたもので生きているということを忘れてしまう高慢なものです。生存に欠かせない食べ物がそうです。精神的な糧もそうです。
 エジプトの奴隷から解放され、自由となったイスラエルの民は神の導きで、荒野に出ました。荒野で食料がありませんから、叫びます。すると天からマナというパンのようなものが毎日降ってきて、乳と密の流れる約束の地に入るまで、与えられました。主イエスはそのように人は天から、神から与えられたもので生きているのだから、謙虚になって「わたしたちに今日もこの日のかてをお与え下さい。」と祈るように教えられたのです。食べ物はそれを実感させます。食べなけば生きていけないという感覚は神なしには生きていけないということに結びつきます。食べ物があって楽しい人生が送れるという思いから、神がおられて祝福の人生があると感謝が生まれるようにと、主が教えられたのではないでしょうか。
 そして、この祈りはまた神の口から出るひとつひとつの言葉、すなわち永遠の命のみ言葉をいただく祈りです。そうして、やがて新天地があらわれ、エデンの園が回復する日を望み見て生きていく祈りなのです。

◇人々へ
 ここに4つのリンゴがあり、5人の人がいたとします。この4つのリンゴを5人で分けるのには、1つを5等分して、1人が4切れずつ食べれば公平です。しかし、現実の社会では4つのリンゴを4人で1こずつ取り、1人がもらえなかったり、1人が3つ取ってしまい、1つを4人で分けたりしています。食料の問題は最も基本的な問題です。4つのリンゴを5人で公平に分ける必要があるのです。基本的人権もそれにつながるでしょう。世界を見れば、この問題は山積みになっています。この祈りはこのような問題と取り組むことを示す祈りでもあります。
 「カムカム」というフルーツをご存じですか。ペルーのアマゾン川流域の密林地帯で日本人が発見しました。川辺に垂れ下がっている赤い木の実です。その実がおちて魚がそれを食べるとカムカムというような音がするので、その名がつきました。現地の人はそれがどんな宝物だか知りませんでした。鈴木孝幸さんという方は調べました。ビタミンCの含有量がレモンの60倍というすごい果実だとわかりました。自生のままではほとんど川に落ちてしまうし、腐りやすいので、乾燥に強い木にカムカムの芽を接ぎ木して、農園にする技術を農民に教えました。カムカムの農園が出来、ジュースなどに商品化が出来、農民は潤い、鈴木さんの会社も儲かりました。しかも、ほかにこれといった作物が出来ず、貧しかったために、不法のコカインを栽培していました。鈴木さんはマフィアに命を狙われる危険がありながら、コカインに代えてカムカムの畑に順々にしていっています。略奪ではなく、共存共栄の精神の良いビジネスです。このようになっていく事を祈ります。
 もし、神から示されれば、マザーテレサのように生きましょうか。示されれば、なんらかの社会貢献をしましょうか。あるいは慎ましく生きましょうか。示されなければ、今のままで良いのでしょう。しかし、自分だけが「今日もこの日のかてをお与え下さい」ではないのです。「キリストの平和がわたしたちの心のすみずみにまで行き渡りますように」という祈りの歌がありますが、「キリストの平和」のところに「キリストの言葉」と置き換えて歌うのもよいでしょう。さらに、こう歌い祈りたいものです。
 「キリストの糧が世界の人々のすみずみにまで行き渡りますように」。肉の糧も霊の糧も行き渡ってほしいとは思いませんか。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。