オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

降誕:東方から

2014-12-07 00:00:00 | 礼拝説教
2014年12月7日 アドベント第2主日礼拝(マタイ福音書2:1-12)岡田邦夫


 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」マタイ福音書2:2 

 「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子(やし)の実一つ 故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月(いくつき) 旧(もと)の木は生いや茂れる 枝はなお影をやなせる…」は島崎藤村の詩です。波打ち際に一つの椰子の実があるのを見て、名前も知らない遠い島から、長い旅の末、流れ着いたのだろうと思いをはせ、故郷を慕うのです。クリスマスに登場する「東方の博士たち」、聖書には東方のとしか書いてありませんから、いったいどこから来たのだろう、どうやって来たのだろうと、私たちは思いをはせるのです。どこからか記してはいませんが、救い主誕生を知って、黄金、乳香、没薬の贈り物をもってやってきたのです。
 どこからかやってきたと言えば、イギリスからやって来たガーデンデザイナーのポール・スミザーさんのことがNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」で取り上げられていました。彼はイギリスでその仕事をしていたのですが、日本の自然は地域によって違う野草で四季を彩り、世界のどこにもない貴重な草木であふれている。彼はその日本の草木のすばらしさに魅せられて、日本にやってきたのです。長年、日本で、野山にある豊富な草木の研究を重ね、魂を入れ込み、日本の野草を植えて庭造りをしていったのです。
 初めは日本人に見向きもされなかったのですが、今や、その地域に元々ある草木でガーデンデザインをする日本人以上の日本人だとして、ひっぱりだこだといいます。外国人が日本の良さを日本人に教えているのです。

◇拝みに来た
 救い主誕生についてはユダヤの国で、ヨセフとマリヤ、野宿していた羊飼いたち以外はだれも解らなかったのです。全世界の喜びの知らせであるのに、灯台もと暗しです。しかし、東方にいた博士たちはユダヤ人以上に知っていたのです。イエスの降誕の時、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、ヘロデ王に謁見します。王に謁見できるほどの人たちだから、どこかの国の王だったのではないかという説もあります。ヘロデ王に「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」と述べるのです。これは一大事、国家を揺るがすかも知れない出来事です。王の他に王が生まれたというのですから…。王も国民も恐れ惑うのです。実に衝撃です。
 ユダヤ人の王、すなわち、救い主・キリストはどこで生まれるのか、ヘロデ王は、国民の祭司長たち、学者たちをみな集めて問いただします。彼らは預言書・ミカ書の以下にありますと答えます。『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから』(マタイ2:6←ミカ5:2)。王の誕生の場所はユダヤのベツレヘム。そして、博士たちは救い主への礼拝に向かい、ヘロデ王は身の安泰のため、殺害計画に向かいます。
 こうして、博士たちはベツレヘムにいました母マリヤと幼子の救い主にお会いできたのです。家に入り、ひれ伏して拝みます。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげたのです。最上の捧げ物をして礼拝したのです。(初代教父たちは黄金=キリストの神性、乳香=キリストの聖性、没薬=キリストの十字架の死を示すと解釈し、意味を深めております。)普通の幼子であり、しかし、唯一無二の救い主にお会いできたのです。異邦人の彼らはユダヤ人の誰よりも主の降誕を喜んだでしょう。期待と不安で出発したのですが、救い主礼拝が出来て、喜悦と平安に満ちて、東方の故郷に帰って行ったのです。
 クリスマス、毎年、私たちは幼子としてお生まれになった救い主にお出会いするのです。神が最高の「御子」という贈り物をしてくださった、受ける喜びがあります。そして、私たちのキリストへの最も良きものを献げる礼拝、献げる喜びがあるのもクリスマスです。クリスマスとはキリスト礼拝の意味です。

◇導かれて来た
 博士たちは不思議な星の出現を見て、預言書を調べて、東方の国を出発したのでしょう。博士というのは占星術師だったようです。星の運行を観察し、それと地上のことや人生と結びつけて、思索を深めていたのでしょう。近代の科学では星の運行と人生行路は結びつけませんが、この時の博士たちはそういう何か見えないものに心をはせていたと思います。きっと見えないものに本当のことがあるのでしょう。聖書には「見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ」と記されています。(2:9-10)。私たちの外にありながら、内なるものに働いて、「先導」するものがあるのです。お導きというものがあるのです。
 私の母は明治生まれ(1899年)、長野の善光寺の近くの筆屋をいとなむ家で生まれ、なぜか、新聞など活字を読むのが好きでした。ある日、姉と一緒にその善光寺の境内で、何とキリスト教会の先生が来て青空教室といって子供の伝道をしていたのです。「この世界はだれが造ったの?」と聞かれて、母は小さいながら、「神さま!」と答えたと言います。70になっても覚えていたので、よっぽど印象に残っていたのでしょう。その年のクリスマス、煉瓦造りの教会にも行ったとのことです。その後、キリスト教とは関係のない人生が続きました。結婚、最初の子どもを4歳で突然、病いで失い、悲嘆に暮れていた時に、慰めを得ようとお経の本と新約聖書を読んだのです。その聖書、どこで手に入れたのでしょうか、活字好きのため3度も読むことになったのです。
 一年ほどたつと涙も涸れてきて、子どもも二人目、三人目と生まれてきて、聖書も読まない生活が長く続きました。その五人目の子ども、即ち、私がクリスチャンになり、母に教会に行くよう勧めていたころ、父が脳梗塞で倒れ、介護でその心労がピークに達していたのです。息子が世話になっているので、牧師にお礼に行くと言って、教会に行ったことから、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けることになりました。聖書は活字だらけ、読むのが楽しみ、しかし、聖書は命の書、天に召されるまで赤えんぴつをなめては線を引きまくっていました。
 子どもの頃の善光寺境内での子供会と活字好き、子供を失った悲しみの時の聖書、介護疲れの時の息子の教会行き、そこに母きよが救い主に出会い、救われるための、神の「導き」、「先導」があったのだと私は信じています。皆さんにも、それぞれ、外にありながら、内なるものに働いて、「先導」するものがおありでしょう。それらに思いをはせ、このクリスマス、お導きを感謝してまいりましょう。

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