ヌマンタの書斎

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平和主義の末路

2021-03-04 12:00:00 | 社会・政治・一般
そろそろ事なかれ平和主義に見切りを付けるべきではないか。

日本の平和を守ってきたのは、アメリカとの片務的防衛条約である日米安保だ。間違っても憲法9条は、平和になんら貢献していない。

基本的に日本の平和とは、世界各国との円滑な通商関係の構築にある。国内に資源が乏しい日本にとって、貿易は生命線であることは明治以来変っていない。

だから日本の国防とは、日本列島を守ることではなく、日本近海から太平洋、インド洋の自由航行の保持である。この膨大な海域を守るためには、本来ならば大変な海軍力、空軍力が必要となる。

だからこそ、アメリカとの軍事条約が大切な意味を持つ。20世紀、アメリカはその巨大な経済力を背景に、世界の七つの海を制する軍事力を持っていた。

しかし、20世紀後半からアメリカの経済力、軍事力が相対的に低下してきた。ソ連との冷戦が終結したことで自主的に軍縮をやってきたアメリカは、不足分を良好な関係の国々と共同戦線をはることで補ってきた。

だからこそ日本は、軽空母を持つことを許された。決して新聞やTVは書かないだろうが、アメリカの内諾なくして日本が独自に空母を持つことはあり得ない。政府の一部には、日本独自の戦略を推し進めるべきとの考えはある。しかし霞が関の官僚の大半は独自路線に否定的だ。

幸いにして、自民党もアメリカとの共同戦線を維持することに肯定的であり、決して反アメリカとなる軍事力構築を目指したことはない。もちろん政府にも官僚にも、これを屈辱に思う人は少なくない。しかし、日本が置けれた国際的な立場を考慮して、この屈辱を甘受している。

アメリカはこのことを非常に好意的に捉えており、それゆえに日本軍を手駒として活用することを、これまで以上に積極的に求めてきている。世界最先端の戦闘機F35や、革新的ヘリコプター・オスプレイを日本に売却しているのも、その流れを汲んでのことだ。

おそらくだが、形式的には国連の名のもとに、実質的にはアメリカ軍の補助戦力として、日本の軍隊が最前線に投入され、これまで以上の国際的貢献を求められるはずだ。

これまで寝た子を起こすなと、憲法9条にしがみ付くことが、日本の平和を守ることだと思い込むことで安心してきた人たちにとって、この事態は平和への脅威そのものであろう。

しかし、おかしなことに憲法9条信者は、多くの場合国連信者でもある。国連の名のもとに日本が軍事活動をすることに反対するのは苦手である。国連とは、国際連合であり、第二次世界大戦の戦勝国の権益保持が主目的である現実から目を背けてきた過去が自らを縛る。

つまり国連の名のもとに、日本が戦争に参加することに対して、有効な対抗手段を持たないのが国内の事なかれ平和主義者たちである。

これまで真剣に、日本にとっての平和、守るべき手段としての軍隊を考えることを拒否してきたが故に、国連軍の一部として戦争に巻き込まれることを否定出来ない。

多分、アメリカはそこまで読んだ上で、日本軍に空母や戦略ミサイルなどを持たせるつもりだと推測しています。私は半世紀以内に、日本が戦争に参加する日が来ることを予測しています。

そして現状、日本政府は何もできない。本来ならばズルズルと戦争に巻き込まれることを浮黷ネかればなりません。しかし、幸いなことに日本の軍事活動は、国連の名の下、アメリカのコントロール下にあるはず。

言い換えれば、日本は他人任せの平和を享受し、他人任せの戦争で傷つくことになるでしょう。

具体的には、アメリカの命令の下、日本の若者たちが戦場で戦い、相手を殺傷し、殺傷される。これが戦後70年固執してきた「事なかれ平和主義」の末路です。これを受け入れることが出来ますか。いや、否定し、反対するならば、日本の平和を守るため、アメリカに頼らない対案を呈示出来ますか。

平和を守ることの意味を、よくよく考えて欲しいものです。
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