布団に寝転びながら、気軽に四コマ漫画を読むのが、寝る前の習慣になっている。
最近のお気に入りの一つが表題の「タマさん」。主人公はタヌキに見えるが、実は猫、いや正確には猫又。
作者は、これは猫漫画ではなく、妖怪漫画ですと主張しているが、いささか無理がある。気持ちは分かるが、作者の画力では、どう描いても妖怪には見えない。
でも、読者としては、どうでもいい。この作者の絵柄は、ほんわりと、ほっこりとしており、荒んだ気持ちで一日を終えたくない時、数ページ読むだけで、なんとなく、心が和らぐ。
妖怪とか、物の怪を日常的な存在と捉え、説明のつかないことへの言い訳としてきたのは、古来からの日本の風習であった。いや、私が子供の頃に愛読した世界童話集にも、このような日常的な存在としての妖怪の存在はあったと思う。
北欧神話でも、ケルト神話でも、またインド神話、アフリカの神話など、いろいろと読み漁ったが、それほど珍しいものではなかったと思う。ただし、一神教たるキリスト教とイスラム教により支配された地域では、この手の妖怪の存在は抹消された。
妖怪は悪魔とされ、一神教に敵対し、滅ぼされるべきものとして、その存在が許された。一神教は文化の破壊者としての性格が強い。これは厳然たる歴史的事実であり、一神教が支配的存在である国家が戦争をすれば、そこには勝つか、負けるかの二つしかない。
それは論理的な法制度を磨き上げる根っこともなったが、その一方で不可解な出来事への対処法を失くしてしまった。精神病が生まれたのも、近代科学に基づく医療の普及ゆえである。
昔だったら、物の怪が憑いた程度で済まされていたのに、科学はそれを許さず、却って心を病んだ人たちを苦しめたように思う。
近代を否定する気はないが、身の回りにお化けの一つや二つ、許容できる程度の緩い社会のほうが、多分人間は幸せだと思います。