ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

蒸気機関車

2012-05-23 16:57:00 | 社会・政治・一般
鉄道が出来たことにより、都市化は急速に進んだ。

鉄道ができる前に、大量の物資を運べるのは船だけだった。だからこそ、古来より大都市は大河のほとりに作られた。都市というものは、本質的に物資を消費する機能が勝る。工場があっても、その原材料は他から運び込まざるえない。

それは食糧から水、そして人に至るまで、都市は本質的に外部から支えられないと存続しえない。だからこそ、河川や運河が都市には必要不可欠であった。鉄道以前には、大量の物資を運ぶのは船に頼らざるえなかった。馬での輸送は物理的に限界が低く、それゆえ如何に強大な軍事力を持とうと、遊牧民の国家は大都市を築くことはできなかった。

大都市を築くには、大河の畔におくほかない。そこに定着することで遊牧民出身の王が都市を築くことが出来た。川の水は飲料水として重要だが、それに劣らず物資の流通を支える大動脈として船舶を利用できたことが大きい。

しかし、産業革命により火力を動力源として用いた鉄道がすべてを変えた。蒸気機関車の登場により、鉄道という陸路での物資の大量輸送が可能となった。鉄道は食糧、生産財、鉱業資源のほか、人間をも大量に移動させた。

なかでも着目すべきは、軍隊の大量高速移動が可能になったことだ。近代国家、とりわけ帝国主義国家の進展と鉄道建設は、きわめて密接な関係がある。鉄道は、文字通り歴史を変えた発明の一つだ。

ちなみに蒸気機関車は、やがてディーゼル機関車へ、そして電気機関車へと進歩していったが、人々の郷愁を誘うのは、いつの時代も蒸気機関車であった。たしかに電気で動く今の電車や、ディーゼル機関車には、蒸気機関車のような力強さを感じることはない。

石炭を燃やし、蒸気を使って車輪を駆動させる機関車には、ある種の力強さを感じる。その動作の仕組みが分かりやすいが故に、共感しやすのかもしれない。なにしろ、この蒸気機関車って奴を愛好するマニアは世界中にいるのだから、相当な魅力があるのだろう。

もっとも私自身は蒸気機関車に乗ったことはない。TVや映画などの映像で見た程度で、あとは鉄道博物館などで見かける程度だ。

いや、よくよく思い出すと、高校まで過ごした三軒茶屋の近くにある世田谷公園に、蒸気機関車が置いてあった。漆黒の機関車は、私たち子供たちの絶好の遊び場であり、上ったり潜ったりして遊んだ記憶がある。

もっとも、この機関車、鉄道マニアに狙われたようで、年を経るたびに部品が減っていく。そのせいで、妙にうらぶれた風情があった。好きな遊び場を荒らす鉄道マニアに対して、私があまり好感を持ちえないのは、この盗難被害にあったと思う。

この鉄道マニア、通称「鉄ちゃん」とかいうらしい。私は車や飛行機、船舶のプラモデルは好きだったが、この鉄道マニアに対する悪印象のせいで、鉄道模型には興味を持たなかった。

また、この「鉄ちゃん」とか言われる人たちが大事にしている時刻表という奴にも、それほど関心を持ちえなかった。いささか理解に苦しむが、この時刻表を後生大事に抱えて、全国を鉄道で旅することが好きな人たちもいる。全ての駅に行くことが夢だと言われて、答えに窮した経験がある。正直、理解できない。駅なんて、どれも似たり寄ったりに思えるからだ。駅を降りて、その地の風情を味わうなら、少しは分かるのだが、駅に降りて、すぐ乗って、それで満足なんて・・・

まぁ、蓼食う虫も好き好きというから、あまり人様の趣味を馬鹿にするものではない。ただね、盗難は盗難。子供たちの遊び場の遊具まで壊していくんじゃない。あれは子供心にも不愉快であった。

それはさておいても、鉄道は現代文明を代表する利器である。船舶、自動車、航空機器といった従来の馬に代わる交通手段を得たことにより、人類は飛躍的に発展した。それは武器を運び、兵隊を運び、時には武器そのものにさえなった。

私は博物館を回るのが好きだが、時折物足りなく思うのは、ハードの展示だけで終わって、そのハードが如何に人類の歴史のなかで重要な役割を果たしたのかが、十分に説明されていないと不満を感じることがあるからだ。

黒光りする力強い蒸気機関車にロマンを掻き立てられるのは良い。だが、それだけで終わって欲しくないな。道具は目的を達成するための手段。人類の歴史のなかで、いかにその道具がつかわれてきたのか。そこまで考えさせてこその博物館だと思うな。
コメント (2)
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