ニセコ生活

2000年4月にニセコに移住、その生活を紹介します。

逆引き

2009-02-13 05:44:11 | Weblog
数日前に年配の親父さんから「不動産屋か、俺んとこを売りたい」とぶっきらぼうな電話があった。ある程度の場所は言ってくれたが、名前を伺えば、教えてくれない。やっと電話番号を教えてもらい、「そんなに電話番号はないから電話帳で名前を探せ」という。その後、電話帳で名前を探したが個人名では無かったがあった。確かに、電話帳で電話番号から人や会社名を探し出す「逆引き」なんてこの辺では意図も簡単だ。「会って気に入ったら頼む」と言われる。

で、昨日も電話があったので会いに行った。「嫁には言っていないが俺も年を取ったので手放すことにした。」76歳だった。話し方にも行動にも気合いが入っている方だった。(彼の)友達に聞いたら「お前さんのところに頼んだら」と言われたようだ。その方は誰か伺ったが「お前さんは未だ新しいから解らん」。でも、俺にとってはこんな電話が一番嬉しい。最後に頭を下げる人ではなさそうだが「頼む」と言われ深々とお辞儀されてしまった。

コピー機でスキャンしてパソコンに入力していたがそれが出来なくなった。それでコピー機の技術者が来てくれて設定をし直すはずだったがダイブ設定に時間がかかる。2階のパソコンがやって終わって、1階のデスクトップの設定する頃は夕方5時を過ぎていたので、帰ってもらった。光電話にしたのが影響しているらしい。ウィンドーズは得意らしいがマックは苦手のようだった。でも、1階も2階も同じマックなのに。素人考えでは同じだろう、と。

その後、パソコンを触ったら、2階のパソコンはインターネットがつながらなくなっていた。1階のパソコンもパスワードとか色々聞いてきて今までの動きでは無くなっていた。それなりにパソコンは使えるとは思っているがインターネットにつなげる「設定」は苦手なのだ。ちょっとイライラだな。

2月13日朝。マイカーがドック入りした。代行車で走る。写真はヒルトンニセコヴィレッジ1階ロビー。一番上のボトルを呑みたいと言ったら「あれは空です」と言われる。
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経由

2009-02-12 05:15:08 | Weblog
朝一番でスキー場に向かわないと滑る気がしなくなる。昨日もモタモタしてしまって滑れなかった。代わりにスノーシュウで散歩だ。スノーシュウを履いても20センチほど潜ってしまうので中々いい運動になる。中犬ハナ公はラッセルに疲れたのだろう。普通は俺の前を歩くが俺のラッセルした後に続く。

友人という日本人一人の方に連れられて二組の豪州人夫婦の方が土地を探しているとのことで来てくれた。年齢は旦那さんが50才と54才。スキーが好きでニセコに惚れ込み、やがてやって来る定年後はニセコに住みたいという。

豪州では55才まで働かないと年金は出ないようなことを言っていた。彼らはヒラフでは手が出ない、スキー場から少し距離があるところでも安ければ買いたいとのことで、安い土地、安い中古物件を探していた。彼らはルスツや富良野でも滑り8回ほど北海道に来ていて、ニセコの後は富良野に行くようだ。

彼らが北海道に来るルートはシドニーから韓国、韓国乗り換えで千歳に来ていた。確かに豪州→成田、そして成田→千歳は不便だ、便がそんなにないだろう。恐らく豪州→香港、香港→千歳も多いかも知れない。成田はハブ空港にはなれないな。

3、4年ほど前にケアンズー千歳間の直行便が2年ほど続いた。この便が廃止されその影響は多いかと思ったがそれほどでもなかったようだ。最も、乗客が居れば廃止はされなかったろう。たかが二組の夫婦から判断は出来ないが豪州からは韓国、香港、台湾経由で千歳に入っている人が多いのだろう。

帰り際、日本人が言った。『よくこんな場所(町外れの不便な場所の意)で不動産をやっていますね』と。俺もそう思う。でも有名なレストラン・マッカリーナだってナンであんなところで営業してお客さんが来るのだろう、と思うだろう。目指せマッカリーナ版、不動産業。

豪州戦、惜しかったな。高さのハンディがあったが最後まで押していた。少しは期待持てるかな。背がデカイというは有利だな。岡田ジャパン、なんて評価したらいいんだ。

2月12日朝。屋根から雪が落ちる音がした。10センチ以上は降っているだろう。

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二重

2009-02-11 03:44:18 | Weblog
喘息の薬をもらうため、小樽の病院に行った。ニセコ、倶知安では降っていなかったが仁木町、余市ではそれなりに雪が降ってきた。途中、どうゆう訳か、車に感謝の意を表した。吹雪の中、極寒の中、何も言わず運んでくれる車に『有り難う』だ。

その車を擦って傷つけてしまった。小樽から戻り、1時半から建築士の講習会が倶知安であり、それに併せ、途中ラーメンでも食って参加しようと時間を合わせ、家を出た。考えが代わり、倶知安駅前のレストランで喰おうと思い駅前通に車を停めた。なるべく駐車で迷惑がかからないよう、ギリギリに止めた。

ラーメンを食う時間なら開始時間に十分に間に合ったが、変更したため開始時間を過ぎてしまい、焦ったのだろう。道路際に立っていた鉄製の高さ1メートル弱の棒に気付かず左折して車の向きをかえようとしたら『ガリガリ』と異様な音がした。

車に乗る際に使用するステップ板がずれて、タイヤにめり込み、動くと音がし、とても走れる状態ではなかった。修理屋さん呼んで応急手当をしてもらい、動き出した。ドアのところも擦ってしまった。ガッカリだ、な。

このレストランは駐車場を持っていない、と思っていた。ところが左折して曲がろうとした駐車場がそこの駐車場になっていた。ここに止めればこんなことにならなかったのに。また、左折しないで真っ直ぐ行って駅前でターンをしてくればこんなことにならなかったのに。後悔ばかりだな。でも、こういったミスは出るべきして出る。二つ以上重なった時に出るんだな。

夜、呑み仲間7人と夜の町に出る。100円のシャトルバスで行って、ジャンボタクシーで帰る。それにしても飲み屋は混んでいた。『満員』ですと何組みか断っていた。凄いな。

サラリーマン川柳が発表された。俺も発表するか。

『日産は、休部して、キューブを作る』ただの親父ギャグか。

2月11日朝。ガックリだが、ショウがない。元気だして、明るく行こう。飲み代、修理代は内需拡大だ。擦ったところ写真を撮る俺もどうかな。この鉄の棒、ナンでこんなところに立っているのだ。

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40度

2009-02-10 07:07:23 | Weblog
朝から快晴だった。本当に美しい一日だった。こんな天候があるから豪雪にも耐えられるのだろう。豪雪がその美しさを作り出すのだろう。

このような快晴の時は朝一番でスキー場に向かうが、モタモタしているうちに行きそびれる。悔いが残る一日。でも立春を数日過ぎたばかりだが日差しは春だな。

今年の積雪は例年並みか、少し少ないと言ったところだろう。毎年、毎年雪の量が少なくなっていって、気温が上がっている、そんな感じだな。

豪州で40度以上の高温が続いて山火事が凄いという。しかし、40度を超す気温が信じられないな、ここニセコでは。ニセコ来ている豪州のスキーヤーはニセコでマイナスの世界を味わい、自国で40度越え、寒暖差は50度だ、大変だな。

そのうち、本州もそのような天候になり、住みづらくなるだろうな。寒さは防寒具や暖房で凌げるが、暑さはどうしようも無い。

『私、寒ところ嫌い』と言う人が結構居るが、中々快適だぞ、ニセコの寒さは。

今日も快晴、気分がいいな。ちょっとアルコール・インサイドだが、気分は悪くない。

2月10日朝。気持ちいい朝だ。元気だして行こう。

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エンジニア

2009-02-09 06:09:45 | Weblog
ここ2,3日で50センチは降ったろう。若干重めの雪だが悪くはない。この大雪の中、『目的は投資です。ニセコの不動産について話しがしたい』とのメールが何日か前にあり、ヒラフの旅館まで迎えに行く。流石、スキー場に近い旅館だけあって、また、丁度滑りに行く時間帯だったので混んでいたな。こんなにお客さんが居るのだ、来ているのだと。

2007年冬にニセコに滑りに来たことがあるという若い英国青年だった。家族はベネズエラに住み、『おねぃちゃん』が不動産投資で設けたので興味がでたらしい。『おねぃちゃん』等と言うがあまり日本語は得意ではない。時々何を言っているか判らなくなる。しかし、英語は使わず日本語でトライする前向きな野郎だった。

投資額も少なく、ニセコや特にヒラフの物件を買える額ではなかったがボードが、ニセコが好きなのはその表情を見れば判る。今は、エンジニアでエンジンの研究をしているようだが、ニセコに仕事があれば来たい希望を持っていた。ニセコに興味があるのだ。

土地もこの吹雪状態では見せることも出来ず、案内もしなかったが3時間半もニセコの不動産について質問を受け、話しをした。興味を持ってくれる人がまた出てきてくれて嬉しい。彼はニセコに来るよりエンジンの研究をしてくれ、と言いたい好青年だった。

夜、親交会役員会に呼ばれた。東部スポーツクラブと親交会がどうコラボしていくか話しあった。結論はもう少しスポーツクラブがどう進むのか様子を見ることとした。

折角、1月の総会で副会長を解任されたが、スポーツ担当は留任することになり、また、1年親交会の役員に入ることになった。中々抜けられないな。

2月9日朝。雪はおさまったかな。今、道路を除雪車が通った。写真は一昨夜の倶知安駅前通。人は少ないが雪が多い。

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タバコ

2009-02-08 06:30:17 | Weblog
スキーに行こうと思ったがイマイチその気になれず断念。その代わり中犬ハナ公と一緒に雪の上をスノーシュウで約1時間散歩。普段は藪で入れない崖地も歩けるし、スノーシュウでの散歩、中々いいモンだ。雪が降ると運動が出来ない、ジョッギングも出来ない、なんて嘆くより、そんじょそこらに運動できるフィールドはある、ちょっと工夫すれば何でもできる。無い物ねだりばかりをしていたな。いい汗をかいた。

久しぶりに麻雀をやった。午後から建築士の総会があり、その前のイベントの一つとして16名が集まり麻雀を行ったのだ。麻雀の盛んな頃は手に麻雀だこが出来るほど、週5回はやっていたろう、徹マンもよくやった。今は年に1回ペースだ。

1回戦は『ちょんぼ』もしたがかろうじてプラス、二回戦はマイナス、予選9位で3回戦へ。3回戦ではハネ万2回でだいぶプラス。結局5位で終了。まあ、こんなモンだろう。

昔、麻雀をやっていた頃はタバコを一日60本くらい吸っていた。テンパイすればテンパイタバコ、上がれば上がったでタバコだった。そんな感じでタバコ好きの人は麻雀の席でよくタバコを吸う。しかも麻雀をやっていると灰皿の上にタバコを置く機会が多いので煙も凄い。愛煙家の気持ちも分かるので吸うな、とも言えないがこの煙にはついて行けないな。

タバコを止めて25年は経つだろう。人生で一番止めてよかったと感じるのはタバコだ。だから、人には『タバコ止めろ』と言えるのだ。

建築士会総会では俺も執行部の一人だ、会長が知り合いなので頼まれ監査役なのだ。俺は何もしていないが執行部の皆さんを見ていると一生懸命やっている。名前だけの監査役でも少しは役立っているかな。

二次会は倶知安繁華街の建築士会御用達のスナック。驚いた。会費が2000円だった。つまみは乾き物だが2000円で飲み放題。随分お手頃値段になったな。

2月8日朝。中犬ハナ公に起こされ外に出るが積雪15センチほど。スキーにはもってこいだがちょっと野暮用がある。

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アグラ

2009-02-07 05:12:44 | Weblog
快晴の日立を後にして、羽田に向かう。日立・塙山地区に地区リーダー達と語らい呑んだが、地域が活性化するには『ご婦人パワー』が必要だな。そのパワーを見せつけられた感じだ。会社でも家庭でもそうかも知れないが。

修理に出していたパソコンが3泊して帰っていた。ナンとか以前のように動くが何となくぎこちない。そのパソコンに知り合いの方から下記のメールが届いていた。『がんばれニセコ、負けてますよ!組織的に誘客しないとこうなってしまうのでしょう』のコメント付だった。

◎野沢温泉村や新潟・妙高市、外国人スキー客急増
 長野県野沢温泉村や新潟県妙高市のスキー場で、オーストラリア人を中心に外国人客が急増している。妙高市は今年のオーストラリア人宿泊者が前年比8倍と大きく増える見通し。野沢温泉村も5割ほどの伸びが見込まれている。2006年春に「長野―新潟スノーリゾートアライアンス実行委員会」を設立し、長野と新潟両県が連携して誘客に取り組んできた成果が出てきた。 

 実行委は信州・長野県観光協会と白馬村、山ノ内町、野沢温泉村、新潟県妙高市などの観光団体で構成する。共同で海外の旅行博・商談会に出展したり、商品を企画したりしてきた。白馬を中心に外国人客を伸ばしてきたが、「今年は野沢温泉と妙高高原の伸び率が大きい」という。 

 妙高市観光協会は1月までの実績をもとに、今冬のオーストラリア人の延べ宿泊数を前年比8倍の4000人とみる。同協会は「白馬より深い新雪など妙高の特長をアピールしてきたことが認められた」としている。旅行会社との交渉や日本での案内業務を担当する専任者を置くなどスタッフも強化している。

上記、日経新聞の一部だった。ニセコに豪州人が来るようになったのは『口コミ』だ。北海道も、ニセコ周辺市町村も豪州にセールスに行ったわけではない。豪州人が行っているラフティング会社の人達の『口コミ』で自然と冬の観光客が増えたのだ。不景気だ、お客が来ないと嘆いていないで『ちょっと、行ってくるか』と豪州に官民一体で出向かないとダメな時期に来ているな。ビック・ネイム・ニセコをより、ビックにするためにも行かなきゃ、アグラをかく時期ではない。俺は金魚の糞でついていくか。

久しぶりに隣の隣の別荘にoさんが泊まりに来ていた。それじゃ、一杯やるかと家に誘った。9月以来とのこと。久しぶりに顔を見たらちょっとやつれていた。雪かきして体力が落ちたことを実感していた。

飲み食い、しばらくすると『下の入れ歯を忘れた』と言って笑った。まさか、ボケじゃないだろうな、と一瞬思ったほど。最後には『久しぶりに話しが出来た』とのことで元気が出たようだ。そう、元気だ、元気を出して行こう。

2月7日朝。久しぶりに滑りに行くか。

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日立

2009-02-06 06:39:32 | Weblog
早朝、芝・増上寺及び東京タワー周辺を散歩。1420円出して東京タワーの展望台から東京周辺を眺める。まあ、それにしても昭和33年にこんなどでかい、高層な建物を建てた日本の技術力、凄いモノがある。以前、プロジェクトxでこれを作った職人さんの物語を見た記憶があるがそれにしても良くやったな。

スーパー日立で日立に向かったが特急で1時間半の間、平野の中をまっしぐら。ニセコにある山が全然ない。俺もこの関東平野のど真ん中に生まれ、育ったが、まあ、平野だ、真っ平らだ。

日立の塙山地区のコミュニティセンターで、ここの地域型総合スポーツクラブの説明を受ける。地区の人口が8000人、この人達のコミュニティとスポーツクラブを一気に引き受けて、地域活動をしている、会長、クラブマネージャーから色々と説明を受けたが、基本的にボランティアでリーダーシップをとれる人が引っ張っている。

「もと、日立で」、「前は日立の関係会社で」という人がほとんどで町全体が「日立」の関係者が多い。エレベーターは勿論、日立製、町のパソコンも日立製らしい。俺のガキの頃は茨城県で日立が一番人口が多かったが今は人口減が止まらず、水戸、つくばに次いで3番目とのこと。それでもスーパー日立内はビジネスマンで賑わっていた。日立詣でだろう。

それにしても歓迎してくれた。ニセコの事務局が元県の職員だったせいもあるだろう。彼がこんなに人気がある男だとは思わなかった。

午後一杯説明を受けたがその後は二次会まで設定してくれて、飲み過ぎた。それにしてもこんなに色々な人が歓迎してくれて交流できるとは思わなかった。どう感謝したらいいのか、俺は恵まれている。

2月6日朝。日立の少し気温の低いホテルで。
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芝公園

2009-02-05 05:14:54 | Weblog
ここ何日かは自然とスキー場に車を走らせている。駐車場で着替えて、粉雪の中を滑っている。昨日も実にいいコンディション。アンヌプリ頂上のリフトに乗っているとニセコの粉雪の素晴らしさだろう、「ウォー」とか奇声をあげながら滑っている連中がほとんどだ。まあ、でも、実に粉雪、これがニセコのパウダーだ。

ゴンドラ4回ほど一気降りしても1時間ほど、適当な運動で最高な気分。俺も仲間がいれば奇声をあげたいほどだ。滑り終われば着替えて仕事、これがパターンになった。我ながら幸せを感じる。どうだ、羨ましいだろう。

昼過ぎに仲間二人と千歳に向かった。ニセコ東部地区スポーツクラブの道外先進地視察ということで本日、茨城県、日立市に向かうためだ。事務局、副会長と俺の3人で芝公園近くのホテルに泊まっている。浜松町の駅から歩いて10分ほどにあるホテル、芝増上寺近くだ。

芝公園と言えば、若い頃「ボーリング場」があり、良く通った思い出がある。朝飯前に芝公園、増上寺当たりを散歩してみるか。

夜、3人ともコートなしで外出したがコートなしでも東京の夜は全然寒くはない。それにしても10年一昔だ、俺のコートはサラリーマン時代来てたB社のトレンチ。15年前はそれが一つのステータスだったような気がしたが、そんなコートを着ている人はほとんどいない。なんか恥ずかしくなるな。

でも、朝一番、ニセコで滑って、夜は東京で呑む。不思議な感じだな。また、うまい酒を呑んで気分はいい。二日酔いでもない。今日は研修だ、真面目に行くぞ。

2月5日朝。芝公園近くのホテルで。
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救助

2009-02-04 03:36:48 | Weblog
昨朝もサラサラの雪が10センチ以上積もっていて、絶好のスキーコンディション。久しぶりに東山に行ったが、前回東山リフト乗り場係の対応がいいと褒めすぎたかも知れない。昨日は褒めるほどでも無かったな。

確かにニセコらしい粉雪で上々の雪質だったがちょっと天候が悪かった。足下というか雪面がよく見えない。5回滑る予定が2回のゴンドラで終わりにする。終わった後に青空が見えたりだが毎日滑りに行くことが重要なのだ。

朝起きて10センチ以上の粉雪、基本的に雪雲のドンヨリした天候だが時々青空と太陽が顔をだし、また、雪が降る、そんな繰り返しの一日。最高気温もマイナス2度ほど、丁度いいニセコの2月初旬だ。こういった天候が2月中続けばいい。ニセコの冬に雨も高温も必要ない。

高温と言えば、札幌の1月の気温が観測史上第2番目の暖かさだった、らしい。32年間(132年間?)で1991年に次ぐ暖かさ。その年はどんな年か知らないが、今後も1番目、2番目が続くだろう。

ちょっと悲しい事件が起こった。
1.ニセコから近い積丹岳で遭難したボーダーを翌日救助の警官隊が発見し、
2.無事救出し、救助用ソリに乗せ、それを救助員交代のために木にくくりつけたところ、
3.その木が折れて、ソリが走り出し、それに乗っていたボーダーが再度行方不明になった。
4.翌日発見したときには既に亡くなっていた。
折角救助しておきながら何をやっているのだ、警察は、と思った。救助された方は助かったとホッとしたのもつかの間、地獄に突き落とされた、そんな感じだろう。

しかし、積丹岳は雪庇が凄く、救助は困難だったようだ。確か、スノーモービルで登っていた若者数人も何年か前に遭難し、亡くなっている。それにしても、折角救助用のソリに乗った方はどんな心境だったろう、、、、。新聞記事だけで判断は出来ない。でも、救えたはずだ。ちょっとお粗末ではないか。

2月4日朝。年に1回の煎った豆も美味しいつまみだな。

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3割

2009-02-03 04:59:36 | Weblog
朝一番でアンヌプリ国際スキー場へ。週末を利用し月曜日に帰るお客さんが多いのだろう、結構ゴンドラは混んでいた。ゴンドラ5回乗ったうち最初の2回は月曜日に帰る2組だった。5回乗った内、3回は外国人と一緒、3回目は3人の外人、日本人は俺一人だった。

一人の外国人は豪州からでニセコについて聞くと「love it」と答え、次の3人組は俺よりは年上だろう。何回ニセコに来たか聞いたら指を6本広げ、彼らも豪州から。最後の二人は豪州からだろうと思ったがイギリス・ロンドンから来ていた。なぜ、ロンドンからと聞こうとしたらゴンドラ終点だった。

2,3日前の新聞に豪州の日本領事館か大使館の観光関係者のコメントが載っていた。ニセコへは3割ほど豪州からの観光客は減っているが白馬などの本州へのスキー客は減っていないと。それは行政が豪州へ売り込みに行き、その効果を上げていて、北海道は何もしていない、との指摘だった。この新聞は3割の観光客減を強調し盛んに取り上げているが本当にそうなのか、あまり信じられない。どうせ、同じ記者が書いているのだろう、何かニセコの観光に水を差しているようだ。でも、確かに行政が売り込みに行っていないのは確かなようだ。

昨日もスキー場のコンディションは最高だった。あっという間に5本のゴンドラを乗ってしまった。もう一本と思ったらゴンドラ乗り場の階段まで並んでいたので帰ったが平日なのに混んでいる。

そんなことでナイターでも滑った。ニセコ町の無料講習会、最終日。教えてもらおうと思ったら大人のコースは既に始まっていて、一人で何本か滑って帰る。酒を飲まずナイターで滑る、こんな生活ならメタボとおさらば出来るけど。

2月3日朝。酒を抜いた朝も悪くはない。元気出して明るく笑顔で行こう。

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そよかぜ

2009-02-02 06:50:35 | Weblog
雪が降ったときは階段の雪かきが朝一番の日課。昨日は10センチほどつもっていて、プラスチック製のスコップで雪をかいたが、雪の重さを感じない。霞をかいているようなサラサラ雪、かくと雪が飛んでいく感じだ。10センチの積雪だがスコップは必要なく箒でも十分だ。そう、これがパウダーなのだ。雪かきした後、木の階段が乾いているのだ。全然水気が無い雪なのだ。

それくらい気温が下がった。コンディションが良さそうなのでスキーに行こうとすると吹雪になったり、青空が見えたと思うとドット降ってくるそんな午前中だった。スキー場に電話を入れると「ノロノロ運転」中とのことでノンビリする。

月の初めに地域の班長が町内誌を配ってくれる。町内誌の外に「近藤小だより」、ニセコ東部地区スポーツクラブの「東スポ」、「議会だより」などが入っている。充実した近藤小だより、東スポ。通常は薄っぺらな議会便りが結構な厚さになっており、議会でのやりとりが結構あったようだ。

その議会便りから2点ほどピックアップ。1点は「そよかぜ通信」の廃止だ。電話のアナログ回線を利用し、町の情報を発信していたが1月末で廃止され、その代替えを考えているのかというもの。

町中が光回線やADSL回線になるとそよかぜ通信は聞くことが出来ない、また、施設も古くなり新しくした場合には2億~3億かかるとのことで廃止になったようだ。おそらく町民の半分以上はインターネットや携帯を持っているので、無くても問題ないだろう。それらを使えない、使っていない年配の方はどうするのか、という質問だ。色々大変だな。

もう一つは有島記念館の運営方法。ピーク時の平成8年には5万人の入館者があったが去年は1万人を切ったとのこと。俺も8年間で2,3回行った。行けばそれなりに勉強にはなるが毎年行くところでもない。また俺の友達はゴルフだ、酒だ、温泉だ、と言って、記念館までは足を運ばない。箱物の入館者は増えないだろうし、その運営方法は町としても頭が痛いところだろう。色々大変だな。

いつもの何もしない日曜日になってしまった。ただ、2月らしい寒い一日だったことが救いだ。

2月2日朝。雪はほとんど降っていない。さ・あ・て・、元気で行こう。

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広告

2009-02-01 05:55:22 | Weblog
今年比羅夫では滑っていないがアンヌプリ、ニセコヴィレッジ(東山)で滑っていて気づいたことがある。ニセコヴィレッジのリフト係の応対が心地よいのだ。きちんと目を見て挨拶してくれるのだ。「おはようございます」の一言のトーンがいいのだ、明るく大きい声なのだ。メンバーが大きく替わり若返っているのかも知れない、な。後ろ向きで壁に向かって「ありがとうございました」等という食堂のおかみさんもいるが、挨拶は目を見て明るくだ。その明るさが人に心地よさを与えるのだ。

昨日もちょこっと比羅夫坂を来るまで通ったがその坂を歩いているの外国人ばかり。不景気だ、円高、豪州ドル安といってもかなりの数の外国人が来ているのは間違いなさそうだ。ただ、不動産は動いていないようだ。このような時期だからもっと下がると様子を見られている「様子見の状態」だろう。

田舎暮らし関係雑誌社からとアウトドアジャパンというところから広告を出してくれと連絡があった。雑誌に広告を出しても問い合わせがある時代ではなくなった。ただ、ひ弱そうな若い担当者から電話がかかってきて頼まれると弱い面がある。広告を集めるのが大変なんだろう、なと。

アウトドア社からは直接英語でかかってきた。「エイゴハナセマスカ」と。流ちょうな英語で「後から連絡する」と。後日、11,12月号が送られてきたが、ニセコの有名不動産屋さんも既に広告を出していたし、知り合いも大きく記事を書いていた。でも、こんな小さな不動産屋に英語で広告依頼が来るなんて嬉しいじゃないか。

少し風が強く肌寒く感じる一日だった。2月初旬では無く、何となく3月初旬の雰囲気だ。夜中、風が強かったがどうやら落ち着いたようだ。雪が降れば滑りに行くかな。

2月1日。もう二月だ。二月はあっという間に過ぎるだろう。充実した二月にしよう。いつ治るのだ、マイパソコンは。
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