ニセコ生活

2000年4月にニセコに移住、その生活を紹介します。

経由

2009-02-12 05:15:08 | Weblog
朝一番でスキー場に向かわないと滑る気がしなくなる。昨日もモタモタしてしまって滑れなかった。代わりにスノーシュウで散歩だ。スノーシュウを履いても20センチほど潜ってしまうので中々いい運動になる。中犬ハナ公はラッセルに疲れたのだろう。普通は俺の前を歩くが俺のラッセルした後に続く。

友人という日本人一人の方に連れられて二組の豪州人夫婦の方が土地を探しているとのことで来てくれた。年齢は旦那さんが50才と54才。スキーが好きでニセコに惚れ込み、やがてやって来る定年後はニセコに住みたいという。

豪州では55才まで働かないと年金は出ないようなことを言っていた。彼らはヒラフでは手が出ない、スキー場から少し距離があるところでも安ければ買いたいとのことで、安い土地、安い中古物件を探していた。彼らはルスツや富良野でも滑り8回ほど北海道に来ていて、ニセコの後は富良野に行くようだ。

彼らが北海道に来るルートはシドニーから韓国、韓国乗り換えで千歳に来ていた。確かに豪州→成田、そして成田→千歳は不便だ、便がそんなにないだろう。恐らく豪州→香港、香港→千歳も多いかも知れない。成田はハブ空港にはなれないな。

3、4年ほど前にケアンズー千歳間の直行便が2年ほど続いた。この便が廃止されその影響は多いかと思ったがそれほどでもなかったようだ。最も、乗客が居れば廃止はされなかったろう。たかが二組の夫婦から判断は出来ないが豪州からは韓国、香港、台湾経由で千歳に入っている人が多いのだろう。

帰り際、日本人が言った。『よくこんな場所(町外れの不便な場所の意)で不動産をやっていますね』と。俺もそう思う。でも有名なレストラン・マッカリーナだってナンであんなところで営業してお客さんが来るのだろう、と思うだろう。目指せマッカリーナ版、不動産業。

豪州戦、惜しかったな。高さのハンディがあったが最後まで押していた。少しは期待持てるかな。背がデカイというは有利だな。岡田ジャパン、なんて評価したらいいんだ。

2月12日朝。屋根から雪が落ちる音がした。10センチ以上は降っているだろう。

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