ニセコ生活

2000年4月にニセコに移住、その生活を紹介します。

驚き

2007-08-25 04:27:11 | Weblog
 実に爽やかな一日だった。ニセコ・ブルーの空、ニセコ・ホワイトの雲、そしてオールグリーンの木々、そして微風、そして、日差しの強い太陽。蒼、白、緑、自然に囲まれたニセコはスンバらしい。

 一番好きなのは魚釣り、二番目はゴルフ、という72才の方が土地を探しに来てくれた。東京の夏に耐えきれず、また、夏場は北海道で何ヶ月も川釣りで暮らしている関係で家を持ちたくなったようだ。実に微妙な年齢だ。これから土地を探して家を建てて、そして暮らす。後、何年元気で暮らせるのだろう。
 年齢を伺った後、素直に言った。「借りて暮らした方が宜しいのでは」と。しかし、東京にいる奥さんは財産を残したらしい。札幌に住む友達からも俺と同じような意見を言われていると。どっちにするか板挟み、難しい年齢は年齢だ。

 夜、狩太(かりぶと)神社の宵宮祭というのがあり、この晩毎年豊里地区では飲み会を行っている。昨夜もコミュニティセンターで地区の皆さんが集まって行われた。随分、人が増えた。青い目の人もいる。
 地元の3人が祭りに参加した後、始まっていた飲み会に参加した。入って来るなり「これが豊里の飲み会か?」と驚くほどの人が集まった。聞けば、5軒しかなかったという豊里地区。今は親交会に入っている家で12軒、入っていないが方が4軒、別荘も入れるとプラス5軒。昨夜は12軒の夫婦が集まり、更に数人の子供、俺自身も「イャー実に増えた」と思う。地元の人が驚くのはよく解る。
 前回まではコミュニティセンターの「大広間」ではなく、奥の小部屋で行っていた飲み会。今回からは「大広間」、しかも次回からは一列では足りず、二列にしなければ、と思うほどの参加者。
 アラスカから来た、アメリカ人と日本人の奥さん、さらにイタリア生まれの旦那さんと日本人の奥さん、国際色も豊だ。
 少子高齢化、人口減の中で、こんな田舎、しかも町外れの地区に人が増える。何てこった。いいことだ。今、ニセコ・豊里地区が面白い。住んで8年目の俺は既に古株だ。
 8月25日朝。うっすらと明るくなりかけている。羊蹄山のシェルエットがビューティフルだ。
コメント
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