のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『モホイ=ナジ/イン・モーション』2

2011-08-01 | 展覧会
7/27の続きでございます。

ブダペストからベルリンに出てきて抽象表現に目覚めたのか、あるいは抽象に目覚めたからベルリンに出て来たのか、「ベルリン ダダから構成主義へ」と題された第2セクションでは肖像画や風景画は影をひそめ、というか全く跡形もなくなりまして、ひたすら平面構成の世界が展開しております。
四角や三角や直線や半円が交錯し合うほとんどモノクロームの画面は一見単純なようでいて、いとも絶妙なバランスの上に構築されており、またひとつの形と別の形の重なり、そこから生まれる新たな形、さらにはそのずらしと反復によって、見れば見るほど奥深い構成が立ち現れてまいります。



うーむ、たまりませんね。

ここまで見ますと、この後はバリバリ抽象表現な方向に進むんかな、という感じがいたしますが、これまた全然そうはならないんだから読めない人でございます。

写真、そして映画という新しい表現メディアに注目したモホイ=ナジ、1923年からバウハウスで教鞭を取り、写真を使ったさまざまな表現手法の授業を基礎カリキュラムに組み入れるかたわら、自身の作品にも写真を積極的に取り入れます。

写真術そのものが発明されたのは19世紀初頭のことですが、19世紀末ごろからカメラの小型化や機材の改良、規格化、低価格化などによって普及が進み、それに伴って20世紀初頭には単なる記録媒体あるいは絵画の代わりという以上の、写真独自の表現可能性が追求されるようになりました。

このころ制作されたフォトプラスチック(フォトモンタージュ)の作品、これがまたよろしくて。
「運動するとお腹がすく」だの「どのようにして私は若く美しいままでいられるか?」だの、ちょとふざけたタイトルも楽しいのですが、「軍国主義」のように重いテーマを扱った作品でもとにかくシャープで洒脱、かつ軽やかな画面でございます。

四角や円や直線が主役だったベルリン時代と異なり、ここでは人物写真がメインに使われておりますが、幾何学的な形を扱ったのと同様に、ひとつの同じ形-----同じポーズの人物像-----を重ねたり、階調を変えたり、ずらしつつ反復したりすることでリズムとバランスを生み出しているのが興味深い。
幾何学的形状とのおつきあいで培った構成理論を、人物と具象的なテーマに対して応用したという所でございましょうか。

応用の幅は書籍デザインにも及んでおり、同セクションではモホイ=ナジが装丁したバウハウス叢書も全巻展示されております。これがまたカッコイイのですな。この叢書を全部所蔵しておきながら、一冊残らず表紙カバーをひっぺがして捨ててしまっているバカヤローな大学図書館もございますけれどもまあどことは申しますまい。

後半の風景写真などを見ても思う所でございますが、この人においては文字も人体も幾何学的形体も、風景も建築もまた光線そのものも、世界のあらゆるものが構成のためのパーツであり、視覚の実験室における素材であったのでございましょう。

振り返れば、写真、映画、平面構成、立体、舞台芸術、装丁、タイポグラフィ、著述に教育と、51年の人生においてよくこれだけのことを、しかも器用貧乏に陥ることなくできたものだと感歎いたします。
モホイ=ナジの細君によると彼は「教育に携わるために芸術家としてのキャリアを犠牲にした」とのことで、確かにクレーやグロピウスと比べるとモホイ=ナジという名前はマイナーでございます。それだけに、芸術家としての彼の仕事をまとめて見られるの本展の開催はたいへん幸いなことでございました。
デザインに興味のあるかたならまず行って損はない展覧会でございます。ワタクシは幸いなことにこの間招待券をいただきましたので、展示替え後にもう一度行こうと思っております。

それにしても今年はクレー、カンディンスキー、そしてモホイ=ナジと、バウハウスに関係した人物の展覧会が何となく続いておりますね。この流れで来年あたりオスカー・シュレンマー展などやっていただけたらワタクシとしてはとっても嬉しいのですが。




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6 コメント

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無題 (カワイ)
2011-08-01 23:08:34
はじめまして。
毎回こっそりひっそり楽しく読んでいます。
お店に貼ってあるポスターがかっこよくていつか行こうと思ってたのですが、
のろ様の『モホイ=ナジ/イン・モーション』1
を読んで急いで朝一の展覧会に行きました。
色彩構成のような平面画や本の表紙の色遣いにみとれました…!
表紙の原画の文字の部分はパソコンにはないかっこよさがあります
タイポグラフィに興味があったので凄く刺激になりました。
言葉足らずですが…、モホイ=ナジカッコいいですね。
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いらっさいませ。 (のろ)
2011-08-02 23:11:18
カワイ様、はじめまして。
いつもこっそりひっそり読んでいただき、ありがとうございます。拙ブログが美術館へ足をお運びんなるお手伝いをさせていただいたとあれば、こんな嬉しいことはありません。

モホイ=ナジ、カッコよかったですね、ええ、実に。
会場入り口のタイトルの見せ方もなかなか粋でしたし。
モホイ=ナジのアーティストとしての足跡を辿るという点でも、モダンデザインの原点を訪ねると言う点でも、意義深い展覧会であったと思います。

ただ、全体的にもう少しキャプションがあってもいいのでは?とは感じました。
個々の作品にキャプションをつけないのは京都近美のポリシーなのかもしれません。しかし例えばアルミやステンレスが当時最先端の新素材であったことや、バウハウスの教育理念について、またタイポグラフィに関してなら、非対称のレイアウトや単語の頭揃え、サンセリフ体の活用といったモホイ=ナジ・デザインの特徴をちょっと書き添えてくれていたら、バウハウスやモダンデザインにそれほど興味のない人にも鑑賞の手がかりになったでしょうし、同時代の他のアーティストの作品や工業製品を見る際の予備知識にもなったでしょうし、そこそこ興味のあるワタクシのような者にも改めて勉強になっただろうになあと思った次第です。

向かいで開催中の『フェルメール~』では全作品にキャプションがついていただけに、いっそう本展の「観客に丸投げ」感が気になってしまったものとは思われますがね。
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お返事ありがとうございます (カワイ)
2011-08-03 09:41:08
確かに、
見始めてからキャプションを探していました。

私のように、モダンデザインの知識がなく展覧会に飛び込んでしまった人たちは、
カッコいいなぁと感じるのですが、もう一枚ガラスを挟んだような、ある程度モホイ=ナジを知らないと入り込めないところも感じました。

私の場合その場で作品に魅せられ、離されないようにくい付いて見ていました。

近代美術館で前にやっていた青木繁展では完全においてけぼりをくらい見終わってからしょんぼりしたのを思い出しました

''作品について''のキャプションは初めての人から物知りな人まで、作品に入り込みやすい、改めて見直すことのできる親切なんですね。

今回のモホイ=ナジの展覧会に関しては、説明が不足だったのをきっかけに何か知れることはないかと19日の特別講演「ベンヤミンとドイツ近代映画」にも足を運ぼうかなと思います。
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Unknown (のろ)
2011-08-03 20:50:47
>私の場合その場で作品に魅せられ、離されないようにくい付いて見ていました。

美術館としては余計な知識に迷わされずこういうふうに鑑賞してもらえたら何よりで、そのためにわざとキャプション無しなのかなあと、ワタクシは勝手ながら推測しております。

実際、はーとかほーとか言いながらキャプションをじーっくりと読んだすえに、肝心の作品そのものにはちらっと一瞥をくれるだけで行ってしまうお客さんはおりますし、そういうかたに出くわすと両肩つかんでガクガク揺さぶりながら「見たのか?今きちっと見たのか??」と無駄に激しくドラマチックに問いただしたくなりはします。それでも、総じて見るとキャプションは鑑賞の妨げになるよりは助けになる方が大きいとワタクシ思うのですよ。

青木繁展は前半は作品にたいへん求心力があって、キャプション無しでもまったく気にならなかったのですが、『海の幸』を頂点として、それより後の作品はどう味わったらいいやら戸惑うものが多く、個人的にはいささか散漫な印象を受けてしまいました。
とはいえ最終盤に展示されていた『犬』は文句無しかつキャプション要らずの傑作であったかと。

特別講演、いいですねー。「近代映画」という言葉で何を指しているのかいまいちはっきりしませんが(そもそも近代以前に映画というものは存在しなかったわけで...)、『カリガリ博士』とか『メトロポリス』とか、そのあたりが取り上げられるのでしょうか。でもこれはむしろ表現主義映画と言われているもののような。

モホイ=ナジやバウハウスについては中公新書の『美の構成学―バウハウスからフラクタルまで』 の前半部分でうまく概括されておりますので、未読でしたらおすすめです。著者の個人的な体験や見解が前に出て来る後半部分は、ちと失速したと言いますか、道のあちこちに穴ぼこが現れたいう感じがしましたけれども。
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無題 (カワイ)
2011-08-16 00:47:28
『美の構成学―バウハウスからフラクタルまで』
を読みました。
バウハウスはさぞ変わったことをしているのかと思っていたのですが、美術系学科の教育の土台となっていたのですね。
私自身、美術工芸の高校に通っていて、美術の基礎となる色彩構成やテクスチャーの実験など、いくつも当てはまる点がありました。(ただ学科授業の時間が年々増えていったためこのような色彩構成などを学習する時間はたった4時間ほどしか取れないのが現状です。その分は大学で、となるのでしょうが…。)

モホイ=ナジが新しい素材をどんどん研究対象にしたことによって、今も通じる表現方法を見つけるところが新しい素材に対して意欲的な印象を持ちましたし、バウハウスのデザインが古さを感じさせないのはその新素材による意欲的な研究によるものだと感じました。

直線や曲線を基調としたバウハウスデザインはシンプルでありながら単調ではなく動きがあってやはり、かっこいいです。

本書の図でシュレンマー「三組のバレエ」を見た瞬間もう、凄くかっこいいと思いました。

とても勉強になりましたし、良い本に出会えました。
すすめて下さりありがとうございます。

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それはそれは、 (のろ)
2011-08-16 22:49:13
お役に立てたならなによりです。
美術において、時代の要請に応えつつ普遍性を目指すということは、意識的にせよそうでないにせよ常に行われてきたことではありますけれども、バウハウスの面白い所は、時代の要請という点で言えば(19世紀後半からの流れではありますが)絵画や彫刻といったいわば従来の美の担い手のみならず、産業デザインという新しい分野-----一部の富裕層だけではなく一般大衆の生活を彩る、日常の中の美-----を明確に射程に入れていた点であり、また普遍性という点では、美を形作る要素をとことんまで突き詰めて還元し、そうして取り出されたエッセンスから新たなものを作り出そうと試みた、その論理的追求と徹底性ではないかと思います。
またエッセンスにまで還元された美術理論があったからこそ、新しい素材やメディアを果敢に取り入れることも可能だったのではないかと。

シュレンマー、いいですよね~あの造形。
「劇団」とか「ダンサー」というよりも、人体という基本形に仮託した「かたち」の集まりという感じが、何とも。ただワタクシも今の所、造形面で心惹かれているだけであって、その理念や影響については(クラウス・ノミに対する影響以外については)よく知りませんので、ぜひともシュレンマーの芸術を概括できる展覧会があってほしいものだと思っているのです。
できれば、キャプションつきで。
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