のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ローズ・イン・タイドランド』2

2006-08-04 | 映画
8/2の続きでございます。
『ローズ・イン・タイドランド』上映中の京都みなみ会館では
本作の公開を記念して、先日オールナイト上映会が催されました。
題してアリス&ザ・ワンダーランド Night
ギリアム監督の『ラスベガスをやっつけろ』に始まり、チェコの巨匠シュヴァンクマイエルの『アリス』、
英国発のクレイアニメーション『親指トムの奇妙な冒険』、そしてトリは再びギリアムの大傑作、『未来世紀ブラジル』というラインナップ。
4本中3本はすでに観た作品でございましたが、大変楽しそうなので行ってみました。
大変楽しうございました。
夜通しシュールレアルな世界にさらされた脳味噌に、『未来世紀ブラジル』のラストシーンが
じんまりとしみ込んで参りまして、ああ気分はすっかりサム・ラウリー。
↓これは来場者全員にプレゼントされた『ローズ・・・』のシールでございます。



かわいらしうございますね。使う機会は一生無かろうとは思いますが。

さて、本題でございます。
チラシや公式サイトには、主人公ジェライザ・ローズが「パワフルな想像力で運命をたくましく切り拓いていく」と書かれておりますが
これ、ちと違うのではないか?と、のろは思いました。

弱冠10歳のジェライザ・ローズにとって、運命はいまだ「切り拓く」ものではなく
いやおうなしに与えられるもの、あるいはその中に彼女自身が投げ込まれるものです。
そして与えられた過酷な運命/状況をいかに最小ストレスで受け入れるかが、彼女の腕の見せ所なのです。
無力な者に残された最後の兵器、ファンタジーを縦横無尽にふるう彼女のたくましさとは
言ってみれば、現実に働きかけて運命を切り拓いていくだけの力を持たない、無力な者であるが故のたくましさでございます。
否むしろ、それはたくましさと言うよりも、タフなしなやかさなのです。

ここでひとつ申し添えておかねばならないことは
本作は決して、「つらい時でも想像力さえあれば大丈夫」ということをうたった楽天的な物語ではない、ということです。
そういう話もいいものではございますが、本作においては、ファンタジーの限界や
ファンタジーに固執することの悲劇性も描かれております。

ジェライザ・ローズが草原で出会う黒ずくめの女、デル。
動物の剥製づくりをこととする彼女は、まさしく剥製のごとく硬直したファンタジーの中に生きています。

デルは常に高圧的で、時に魔女のように恐ろしく、と同時に哀れな人物です。
デルの弟、精神年齢10歳の青年ディキンズとジェライザ・ローズは、力を持たないが故に
現実という大地とファンタジーという大海の間の干潟ーーータイドランドーーーで、大地と海を行きつ戻りつ遊びます。
対して、彼らほど無力ではないデルは現実という大地の上にファンタジーの砦をがっちりと築き上げ、その中で生きています。
砦に他者が侵入することは絶対に許されず
その禁が破られたと感じた時、彼女は怒り狂います。

「愛するものが、永遠に自分の側にいる」という、彼女にとっては神聖なファンタジーを
現実化し、かつ、かたくなに守ろうとしたことが、彼女の悲劇でございます。
彼女のかたくなで激しい態度が、ディキンズが切り札的に持っていた魅惑的なファンタジー即ち「世界の終わり」を
思わぬかたちで現実化してしまうのです。

♪ しなれば折れない ゆずってばかりじゃ勝てない・・・♪

映画の冒頭、ジェライザ・ローズは、自分に捧げられたこの歌を口ずさみながら登場します。
(彼女のパパはロックミュージシャンなのです、一応)

しなって しなって 生き延びる、ジェライザ・ローズ。
しかし、ファンタジーを手段にして現実と折り合いをつける、という点においては
彼女とデルの間に、何ら違いは無いのです。
タフでしなやかな妄想で現実を泳ぎきるジェライザ・ローズと
堅牢な妄想の砦にこもって現実に対抗するデルは
実はボタンをひとつかけ違えただけの、一卵性の姉妹なのでございます。



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