のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『誕生!中国文明』展

2011-05-20 | 展覧会
琉球朝日放送 報道部 Qリポート 原発点検労働者の実態



それはさておき

奈良国立博物館で開催中の『誕生!中国文明』展にやっとこさ行ってまいりました。

トップ || 誕生!中国文明 特別展 The Birth of Chinese Civilization

いやあ、たいへん面白かった。期待以上に名品揃いでございました。
展示室に入るとすぐに、本展の目玉のひとつである夏時代の「動物紋装板」が迎えてくれます。かつては伝説扱いだった夏王朝、その遺物が「夏時代」のキャプションと共に堂々と展示されているのを見ますと、ここに至るまで研究・発掘の長い道のりを歩んできたであろう考古学者、歴史学者たちの情熱と努力を思わずにはいられません。

洛陽を擁する河南省を大フィーチャーした本展、古代の出土品が中心ではあるものの、唐宋時代のものもちらほら展示されております。また「古代」とひとくちに申しましても、2000年くらいのスパンがございます。同じ青銅器でも、時代が下るとセクシーな曲線を帯びてきたり、場所によっては非常に怪異な造形が見られたりと、ヴァリエーションはさまざまで、ひとつひとつが史的にも造形的にもたいへん興味深い。時代、用途、技法、それにモチーフも様々なものたちを一同に見ることができて大満足でございました。
また目玉品だけではなく全ての展示品に簡潔な解説文がつけられておりまして、照明もよく、会場の所々には解説ボランティアさんもいらっして(中国史の基本的な知識についていささか危うげな方もおいでではありましたが...)来場者に対してよく心配りをされた展覧会だったように思います。

中国美術といえば何と言っても高雅と洗練の北宋バンザイなワタクシではあり、本展にも青磁の素晴らしいのなどもございましたが、本展でとりわけ心に残ったのは洗練された美術品よりも、作られた当時の人々の生活や精神を伺わせる古代の出土品でございます。

例えば前漢の副葬品で、動物を解体する様子をかたどった陶製の小像がございます。サイズは20cm四方ぐらいで、まあいわばフィギュアというやつでございますね。蹄のある動物が仰向けで固定され、そこへ上半身は肌脱ぎ、下はカーゴパンツのようなものを履いた男性がかがみこんで、後ろ足の付け根あたりに顔を寄せております。キャプションによると「傷口から息を吹き込んで膨らませ、皮をはぎやすくしている」のだとか。
その足下には仕事をする主人を横目に、二匹の犬がくつろいでおります。尖り耳を後ろに倒した大きめの一匹は地面に伏せ、両前足で何かをしっかりと押さえて、頭を斜めにかたむけてそのご馳走にかじりついております。もう一匹の垂れ耳の子犬は首が痒いのか、横ざまに寝転びながら後足でうん、と空中を蹴りあげ、喉元を地面にこすりつけている所。
解体中の動物の、天に向かって野方図に伸ばされた四つ足と、大地にむかって神妙に垂れた仰向けの頭、男が片足を踏み出してかがみこみ、両手を添えてふうっと息をふきこむその姿勢、すっかりリラックスした様子でおこぼれにあずかる犬たち、そうした全ての造形が素朴ながらもアンリ・カルティエ=ブレッソンのスナップのように生き生きとしておりまして、この時代の中国に、庶民の様子をこんなにも瑞々しく表現した作品があったのかと驚くと共に、2千年余りも前に生きた無名氏(と、その犬)が妙に近しい存在に感じられたのでございました。

また生き生きしていると言えば、チラシやHPでも紹介されております楚の神獣像は強烈でございましたよ。セサミストリートのマペットのような顔をした、何だか分からない動物の頭や背に、これまた何だかわからない小さな生き物がわさわさ乗っかってうごめいております。背中の上で跳ねているやつはその口に龍?をくわえ、さらにその龍はウナギのように身をよじりながらでよーんと舌を出しており、さらには獣たちの顔は皆同じという果てしなく訳の分からない造形。力強く、呪術的な迫力に満ちる一方、四つ足を踏ん張った妙にお行儀のよいポーズや、顔の両脇の花や、笑っているような表情はちょっとユーモラスでございます。
こいつが柔らかなスポットライトの下に鎮座ましましておりますと、それはもう異様な存在感がございまして、しまいにはワタクシの方が見られているような心地になったのでございました。

とかく古代のものはロマンをかき立てますね。中に今も液体が入っているという商(殷)の蓋つき壺なんてもうそれだけでワクワクしますし、後漢時代にローマから伝わったガラス瓶は、その来歴だけでもう、ははーっと拝みたくなります。そうでなくとも玉虫色に輝く手の平サイズの小瓶はたまらなく美しかったのですが。

文字が刻まれた骨や金属器と宋代の石碑が一同に展示されたセクションでは、漢字がまだ若かった頃と成熟したのちの、しかも非常に洗練された姿とを見ることができます。
より象形文字だった頃の漢字を記したのは、3千年余りも前の世に生き、今では名を知る者とてない卜者か文官。一方、成熟した方を書いたのは、ずっと下って北宋の超有名人、司馬光でございます。下調べをほとんどせずに行ったので、こんな大物にお目にかかろうとは想像だにしておりませんでした。

奈良国博サイトの画像では石碑の全体を収めたために、刻まれた文字そのものが小さすぎて見えません(←画像を出す意味が皆無)けれども、九州国博の方では部分を拡大したものが見られます。
↓下から2番目。クリックしてください。二行目の「書司馬光」の文字もはっきり確認できます。

誕生!中国文明~九州国立博物館~

おおこれが『資治通鑑』を記した司馬温公の筆か、と思うと感慨ひとしお。一文字ごとにきっちり、きっちり、折り目正しく書かれた文字たちはそのままパソコンのフォントにできそうな、非の打ち所のない整いよう。解説パネルの言葉を借りるならば「端正で力強い隷書体の文字から司馬光の硬骨な人柄がしのばれる」という所でございます。
まあ硬骨と言えばそれはその通りなんですけれども、この人が頑ななまでに士大夫(既得権益)に利する旧法を擁護して、せっかく軌道に乗りはじめた新法(貧困層救済&経済立て直し策)をことごとく廃止するようなことをしていなければ、北宋の滅亡ももう少し先のことになっていたんじゃないかと...いや、どっちみち徽宗さんがあるだけ趣味につぎ込んだ上に蔡京に政治丸投げしてアウトか。そおですよね。

ともあれ。
あの青銅器やこの画像石やかの宝飾品について、それがどんなに素晴らしかったかを並べ立てたいのは山々ではございますが、もはや会期も末となってしまったことですし、くだくだ述べることはいたしますまい。あと9日を残すのみとなってしまいましたけれども、お時間のある方にはぜひともお運びんなることをお勧めします。

残念だったのは、来場者の中にほとんど若い人を見かけなかったこと。東京九州に比べて、奈良国博のチラシは仏像が前面に押し出された、かなりおとなしめの(あんまり面白くない)ものではございましたので、あまり若者にアピールする所がなかったのかもしれません。そう解釈しよう。




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