のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『カンディンスキーと青騎士』

2011-06-02 | 展覧会
ほんと言うと、もうワタクシどもみんな駄目なんじゃないかしらと思ったりしているわけですが。

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筆舌に尽くしがたい体験をした、そして今もしている人々がすぐ近くにいて、恐ろしいことがここやあそこで今も進行中であるのを横目にのうのうと「日常」を送るワタクシのような者どもを、後世の歴史家たちは何と呼ぶのかしらん。哲学者たちは何と定義するのかしらん。文学者ならカミュの『ペスト』のような作品を記して、物語の背景をなす愚かな凡人たちとして描くのかしらん。それもこれも後世なるものがあればの話ですけれども。



さておき

カンディンスキーと青騎士展へ行ってまいりました。

兵庫県立美術館-「芸術の館」レンバッハハウス美術館所蔵 カンディンスキーと青騎士

カンディンスキーがカンディンスキーになるまでの足跡。
ワタクシの知る限りでは、彼の初期の作品をこれだけ集めた展覧会は、2002年に開催されたカンディンスキー展以来でございます。序盤に展示されている小さく写実的な風景画の数々や、ロシア的なモチーフを描いた作品などはカンディンスキーの名からはにわかに想像できないもので、こうしたものをまとめて見られる機会はなかなかないのではないかと。いずれもごくおとなしい印象の作品群ではありますが、これはこれでいいものでございます。


絵を描くガブリエーレ・ミュンター 1903 

またミュンヘン近郊の町ムルナウに滞在して、画家仲間たちと共に過ごしながら製作を始めた1908年以降は、同じ風景画でも現実にはありえない鮮烈な色彩が画面を覆うようになり、より鮮やかで自由な色彩によって抽象絵画誕生の土台が着々と築かれていることが見て取れます。いよいよ「抽象画家の祖カンディンスキー」になりつつあるという感じがするではございませんか。


ムルナウ ― グリュン小路 1909

抽象絵画が生まれそうで生まれない、そんなぎりぎりの所にある風景画の数々は、踏み越えようとしては逃げて行くその境界線と、それを追いかける画家との攻防の記録でございます。カンディンスキーが仲間と共に新たな表現を模索したムルナウ、その製作の場に満ちていた緊張感と実験精神は、今も絵の中に息づいているようでございます。

ひとりカンディンスキーのみならず彼の周辺に集まった画家仲間たちもまた、フォルムの単純化や自由な色彩によって、とりわけ印象派が追求した「自然の模写」としての絵画からの脱却を指向していたことは、その作品や言葉から伺われます。抽象絵画という美術史上の一大事件が、ひとりの天才からポンと生み出されたものではなかったこと、新しい絵画表現を志す画家たちが互いに刺激を与え合う中で、具象と抽象の間にある決定的な境界線を踏み越えたのがカンディンスキーであったのだということがしみじみ分かる展示でございました。

展示室の一番最後に掲げられているのは大作「コンポジションVII」のための習作。



習作といっても100×140cmという大きさの堂々とした作品でございます。田舎の風景を描いていた頃から思えば遠くへ来たもんだ、と心中つぶやきかけましたが、解説パネルを見ると製作は1913年つまり、具象と抽象の境界線を追いかけていた頃からたった5年しか経っていないことに気付いて驚きました。
短期間のうちにここまで来ることができたのも、自由な色彩とフォルムの追求という「青騎士」の理念に共鳴し、志を同じくする盟友たちがいたからこそでございましょう。

そんなカンディンスキーの盟友のひとりが36歳の若さで亡くなったフランツ・マルクでございます。


虎 1912

人間が失った純粋さを体現するものとして、動物をこよなく愛したマルク。自宅には鹿を飼い、動物園で一日中スケッチにいそしむことも稀ではなかったという彼が「動物を描く」という行為に込めた真摯な感情と理知的なアプローチには、キュビズムやフォーヴィズムといった”◯◯イズム”に収まらない独自性がございます。
モチーフが虎にせよ、鹿にせよ、牛にせよ、彼らの形態や動きを注意深く把握するそのまなざしは親密であり、その動物が担うイメージをも考慮した形態の単純化は対象への敬意に満ちております。一方、画面を縦横に走る豊かな色彩は独自の色彩理論にもとづくものであり、「青騎士」の理論的な側面を伺わせるものでもあります。この人がもっと長生きしていたら、あるいは友人のクレーやカンディンスキーと一緒にバウハウスで教鞭をとっていたかもしれません。また画家としてもどんな所まで到達していたであろうかと、ないものねだりなことを考えずにはいられません。
まったくの所、第一次世界大戦が美術界に与えた負のインパクトのうち最も大きなもののひとつが、画家として活動を始めてからわずか10年のマルクを、はかなくもヴェルダンの戦場で失ったことであろうとワタクシ思っております次第。

いまになって、僕は死を、にがい、愁いにみちた気持ちで眺めています。でも、それは決して死に対する不安からではありません。なぜって、死の憩い以上に人の心をやわらげてくれるものはないのですから......。僕が死をにがにがしく思うのは、未完成の作品を残してきたという痛恨の情からです。作品を完成させること-----これこそ僕が全存在をかけた生の意味だったのに......。僕の生きようとする意志は、まだ描かれていないタブローのなかにひそんでいるはずです。
死の3週間前に書かれたマルクから母への手紙(『夜の画家たち』坂崎乙郎 平凡社 2000)

マルクやアウグスト・マッケが戦死し、他のメンバーも戦火を被って散りぢりになって行ったことから「青騎士」の活動は短期間で終焉を迎えたわけですが、その短くも鮮烈な活動は美術史上に力強い足跡を残し、本展に見られる多彩な作品に結実しているのでございました。



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