のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ノーカントリー』1

2008-04-06 | 映画
いえ、安藤忠雄さんではございません。



『ノーカントリー』を観てまいりました。

ラブコメにせよ、サスペンスにせよ、ロードムービーにせよ、コーエン兄弟の映画を鑑賞した後に心中にこだまするのは「ああ、人間って...」という声でございます。
...」の後に句を継ぐことができないのは、「可笑しいもの」とも言い切れず、「悲しいもの」とも言い切れず、「愚かなもの」とも言い切れず、かつそのいずれにもよく当てはまるということが映画の中で鮮明に示されているからでございます。
強いてひと言に押し込めるならば「滑稽なもの」というのが一番妥当な所でございましょう。

コーエンズは常にその作品を通して、人間といういとも滑稽な生物の戯画を描いて来られました。
あるいはむしろ、人間の道理や思惑など全くおかまい無しにのし歩き、私達を突き動かし、押し流していく「運命」なるものを描いてきたとも申せましょう。
運命、あるいは偶然、あるいは神の見えざる手と言ってもよろしうございます。同じことでございます。
何であれ、登場人物たちはその無慈悲な流れの中でジタバタいたしますが、いかようにもがけども、流れ着く先を自分で決めることは出来ません。
その様子が時に喜劇的に見えたり、悲劇的に見えたりするわけでございます。

『ノーカントリー』には、人間に対して完全に無慈悲で無頓着なこの「運命」なるものが、人の姿を得て具現化したかのようなキャラクターが登場いたします。
おかっぱ頭の殺し屋、アントン・シガー(ハビエル・バルデム)でございます。この人物については次回に語らせていただきたく存じます。
とにかくいろいろと強烈でございましたので、印象をうまくまとめられるかどうか分かりませんが。

シガーによって運命の無慈悲と不条理を思い知らされるのが、ひょんなことから麻薬がらみのヤバい金をネコババしてしまった一般市民、モス(ジョシュ・ブローリン)。
そしてモスを殺し屋の手から保護するために追いかける老保安官、ベル(トミー・リー・ジョーンズ)。
それから彼らの巻き添えを食らって死んでいく、無数の人々でございます。
なにしろシガーはモスを追う道々、言葉を交わした相手をほとんど余す所なく殺していきます。
全然言葉を交わさなくっても殺していきます。
モスが逃げれば逃げるほど、その後ろには累々と、見知らぬ人たちの死体が横たわって行くんでございます。
ふと振り返ると死屍累々、というのはいかにもコーエン節な感じがいたします。

*以下、ネタバレでございます*

しかし本作には、バラバラになった円環が最後にはピチンときれいに閉じられるような、あの緻密に計算されたプロットや収まりのいい終幕は、用意されてはおりません。
主人公モスはエンドロールまでまだ大分時間を残した所で、あっさり殺されてしまいます。
モスを助けられず、誰も助けられなかったベルは、世の中にはびこる不条理な悪への無力感にかられて職を辞します。
モスがらみの殺しの道行きをいとも几帳面に締めくくったシガーは、思わぬダメージをこうむった身体を引きずり、いずれともなく姿を消します。

円環は閉じられません。

物語は退職したベルが見た夢の話で締めくくられます。
雪の降りしきる冬山を、昔ながらのたいまつを掲げて進む父親。父親の後を進む、今や父よりも老年となったベル。

冬山が無慈悲な現実世界の比喩であり、たいまつが昔ながらの正義や秩序といったものの比喩であることは間違いないと申せましょう。
この夢の意味するものを「希望」という明るい言葉で呼ぶのも、けっこうではございます。
しかしワタクシはむしろこの夢もまた、これまでのコーエンズの作品において見られるように、理由も目的地も分からぬままやむにやまれず突き動かされていく、人間の性(さが)というものを表現しているように思えてなりません。
最終盤に登場する老人が言っているように、世界の不条理と残酷さは決して今に始まったものではございません。
世界は常に「雪の降りしきる冬山」のように厳しく、油断のならない場所であり続けたのですし、これからもそうでございましょう。
昔ながらのたいまつ、即ちOLD MEN風の正義が、世界をくまなく照らし暖めることは決してないことでございましょう。
今までも、これからも。

それでもなお、たいまつを掲げて進むのは、一体何のためなんでございましょう?
世界の根本的なありようを、その残酷さを、変えることなどできはしない。
それなのに何故?何のために?何の意味があるんでしょう?
吉なのか凶なのか、一体そもそも意味があるのか?
危険と分かっていながら大金をネコババしてしまうことも、徒労と知りながらも「正義」や秩序のために自らの命を危険にさらすことも、なべて、結果も意味も分からずに行動に突き動かされる人間の性(さが)の一端なのではございませんか。

そんなわけで、やっぱり思わずにはいられないのでございますよ。

ああ、人間って......。




次回に続きます。



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