のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『本の文化史』

2006-01-16 | 
『本の文化史 ブック・アラカルト』庄治浅水著 雪華社 1977 を読みました。
書物にまつわる歴史上のエピソードや、書物に とりつかれた 人々が登場する短編小説が収められた
まさしく本のアラカルトという趣き。
筆者や、言及されている人たちの書物愛がひしひしと伝わって参りまして、大変面白うございましたよ。

その中に「ある古本屋の殺人」という一編がございました。
ミステリではないので、ここで荒筋を紹介しても罪にはならぬでしょう。


時は19世紀、所はスペイン、バルセロナの都。
本好きが高じて、修道士から古本屋に転身してしまったドン・ヴィンセントというおっさんがおりました。

彼は商売品とは別に、珍本・稀本のコレクションを持っておりました。
飢えをしのび爪に火をともして金を貯め、それを全て稀本の蒐集につぎ込んでいたのです。
この秘蔵本はよほど危急の時でもないかぎり、どんなに大金を積まれても売られることはなく、
売ったとしてもすぐに買手の後を追いかけ、大騒ぎして結局金と本を取り返させるという始末。

ある時、オークションで天下の孤本『フラウス・デ・アラゴ』が出品されると聞きつけたドン・ヴィンセント、
ありったけの金を工面して乗り込みますが、あと一歩の所で商売がたきパクストットにせり負け、
ほとんど死相を浮かべて引き下がります。

その数日後、パクストットの店が火事になり、家主は黒こげの死体となって発見されます。
それに続いて、学識ある人物が、所持金は奪われることなく街路で刺殺されるという事件が続発します。
被害者はみな、バルセロナ中の本屋の常連客。
殺される前にドン・ヴィンセントの店にいるのを見たという証言もありました。

あまりにも怪しいのでドン・ヴィンセントの店を捜索してみると、果たせるかな
世界に一冊しかないはずの『フラウス・デ・アラゴ』
パクストットが持っていたはずのこの本が見つかったではありませんか。
また、殺された学識者たちが-----殺される直前に-----彼から買い取ったはずの、数々の貴重な本も。

尋問に答えてドン・ヴィンセントいわく、
「わたくしはいくつかの法を犯しましたが、決して悪意があったわけではありませぬ。
わたくしは学問に貢献するため、かけがえのない宝を保存しようと思ったのであります。
多くの人は、本よりもお金を愛し、書物よりも、この世の宝(=金)を尊びました。
このような人々に、大事な本を預けておくのは、とても忍びません」

いちおう、裁判は開かれました。
検察側が、動かぬ物証として「天下の孤本」がドン・ヴィンセントの店で発見された事実をつきつけると、
弁護士はとっておきの切り札を出し、こう切り返しました。
「『フラウス・デ・アラゴ』は天下の孤本ではございません。現に、フランスの図書館が1冊所蔵しているのです!」
これを聞いて、それまで端然としていた被告がわっと泣き崩れました。
「ああ裁判長、わたくしはとんでもない過ちをおかしました・・・」
ようやく犯行の重大さに気付き、悔悟したのかと優しく声をかける裁判長に対し、
「ああ裁判長、わたしのあの本が、天下の孤本ではなかったなんて・・・」

かくして、罪深き もと修道士ドン・ヴィンセントは、絞首台上の露と消えたのでありました。


これがですね。

実話なんだそうでございますよ。

すごいお方ですね。
まさに 愛書狂の名にふさわしいお方ではありませんか。
台詞にはもちろん脚色もあるでしょうから、この一編がどこまで事実に忠実なものかは分かりませんが
次の言葉などはなかなかの至言かと。
法廷で、神様が守ってくださるので犯行は全て首尾よく行うことができた、と語るドン・ヴィンセント。

裁判長「というと被告は、人を殺す心も神の御心の内にあると申すのか」
ヴィ 「人は死すべきもの、神様は遅かれ早かれ、彼らをみ許にお呼び寄せになりますが、
   しかし、良書はこの世の続くかぎり、保存しなければなりません」


ああ裁判長、彼のこの素晴らしい情熱と使命感が、もう少し別な方向を向いていてくれたらよかったのですが・・・


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