のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

カフカ忌

2006-06-03 | 
わたしが生涯を費やしたのは、私の生涯を
粉砕せんとする自分を 阻止するためだった。

(『夢・アフォリズム・詩』 吉田仙太郎 編訳 平凡社 1996)

これはワタクシのことですか、ヘル・ドクトル? と
のろが申したならば、
純粋さもなく明晰さもなく繊細さもなくつまるところたいして苦しんでいるわけでも真剣に闘っているわけでもない傲慢な自己嫌悪のカタマリであるのろが申したならば、
きっとカフカは「苦しそうに微笑をうかべ」て、この無作法な発言に全力を傾けて耐えようとするのだろう。



本日は
フランツ・カフカの命日です。

1人の友人と恋人に看取られ
41歳の誕生日をちょうど1ヶ月後に控えた1924年6月3日、
喉頭結核のため亡くなりました。



歴史上の有名人が最後に発した言葉を集めた、
『最期のことば』(ジョナソン・グリーン編 社会思想社 1989)という本がございます。この本で紹介されている、カフカの「最期の言葉」は

(書いた物は全て焼却してくれ、)「そうすれば、ぼくが作家だったという証拠がなくなる」

という言葉でございますが
これは友人マックス・ブロートのあてた遺言の一節であって、「最期の言葉」ではございません。
最期の日々につきそった友人の医師、クロップシュトックによりますと
カフカの臨終は以下のようなものでした。ブロート著『フランツ・カフカ』(みすず書房 1972)より抜粋いたします。
(「エリ」とはカフカの妹の名。この場にはいません)

クロップシュトックが彼の頭をささえてやると、カフカはーーー彼はいつも、誰かに病気をうつしはしないかという大きな危惧を抱いていたーーーこう言った。「あっちへ行きな、エリ。近寄っちゃいけない、近寄っちゃいけない」クロップシュトックがすこし身を起こすと、彼は満足して言った。「そうそう、それでいい」


しかし「カフカ最期の言葉」としてよく取り上げられるのは、これより少し前に交わされた言葉です。
注射器を消毒するためにベッド脇を離れたクロップシュトックに対して、カフカが呼びかけます。

カ「行かないでください」
ク「どこへも行きませんよ」
カ「でも、ぼくの方が行ってしまう」


ああ、何とも
何とも
滑稽ではございませんか。
彼の作品そのままに、絶望的に滑稽ではございませんか。

「行かないでください」
「どこへも行きませんよ」
「でも、ぼくの方が行ってしまう」・・・・・

痛ましいのは、カフカが死の前に、激しい身体的苦痛を味わわねばならなかったことです。
作品の中で自らの分身に課したような死ーーー自分が消滅して行くのを、満足感をもってうっとりと眺めながら、
静かに、ひっそりと、この世から退いていくーーー
そのような死が、残念ながら、カフカには与えられませんでした。
喉の痛みのために水も飲めなくなり、痛みと乾きに苦しめられ、
痛み止めのモルヒネを何度も懇願せねばなりませんでした。
声を出すことが困難になったため、筆談で意思疎通していたカフカ、クロップシュトックにこう書きます。

早く殺してください。さもなければ、あなたは人殺しだ。

死の前日に、骸骨のようにやせ細った身体を寝台に横たえて校正していたのが
『断食芸人』だったというのですから、アイロニーここに極まれりの感がございます。

カフカの最期の日々、およびそれに先立つ療養生活については、
『病者カフカ』(ロートラウト・ハッカーミュラー 著 平野七涛 訳 論創社 2003)に詳しく描かれております。
医師の診断書や体温変化表といった資料も盛り込んで、(身体的)病、という側面からカフカを描き出す本書。
文章は大変読み易く、カフカが入院したサナトリウムの外観や、
おそらくはそこに腰掛けたこともあったであろう、院内の読書室の写真など、図版も豊富です。
しかしなにより、
親のもとから脱しようともがき
人と会うことを怖れ
食物と騒音をめぐって苦しみつつ
そんな自分を皮肉る、
要するに最期の最期までカフカ節なカフカが、なんとも、可笑し・悲しい。

『カフカ最後の手紙』(ヨーゼフ・チェルマーク 他 著 三原弟平 訳 白水社 1993)というのもございます。
1986年に発見された、手紙魔であったカフカの、本当に最後の、書簡集です。
のろは研究者ではございませんから、資料的価値についてはあまり興味がございませんが
つづられた文章からは、両親への心遣い、経済的困窮、そして身体の衰弱をありありと感じることができ
ひとつひとつのセンテンスが胸に突き刺さるような心地がいたします。

そして、カフカ的な、あまりにカフカ的なことでございますが
最後の手紙もまた、未完で終わっているのでございます。

「人間は歳をとるにつれて、その視界は拡大される。生活の可能性は、しかしいよいよ小さくなってゆくのです。おしまいに残るのは、ふと眼をあげ、ほっと最期の一息をつく、それだけのことなのです。その瞬間おそらく人間は、その全生涯への展望をもつことでしょう。最初にしてーーー最期の展望を」
(『増補版 カフカとの対話』グスタフ・ヤーノホ 著 吉田仙太郎 訳 筑摩書房 1994)