のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『町家再生の論理』

2009-03-01 | 
本の表紙イラストを描かせていただきました。



1月19日の午前2時半に、理性の神様に怒られながら作業していたものでございます。



中の方にまで使ってくださって。
ああ、のろのような無能者には本当に勿体ないことでございます。
ちなみに



↑オペラ版「ジプシーのとき」より、主役のお2人に密かにご登場いただきました。

Emir Kusturica Le Temps des Gitans - punk opera


「ジプシーのとき」、そもそもは1991年に公開された、のろの大好きなエミール・クストリッツァ監督の映画でございます。
それがパンク・オペラに生まれ変わって、2007年にパリで上演されたんでございますよ。
音楽はもちろん監督がギタリストをつとめるNO SMOKING ORCHESTRA。ヴォーカルでリーダー(多分)のDr.ネレを始め、バンドのメンバーも出演しております。(↑リンク先映像で白黒半分スーツおよびいかがわしい口髭姿で歌っているのがネレ。いやあ、実に素敵でございますね。惚れ直しましたとも)
口惜しいことにDVDはフランス語版しか出ていないんでございますが、どうしても観たかったのろは翻訳サイト首っ引きで仏版アマゾンにて購入いたしました。
いやはや、届きましたよ、ちゃんとパリーから。京都太秦のろの部屋まで。
何とも、恐ろしいまでに便利な時代でございます。


『修理屋(フィクサー)』

2009-01-03 | 
あけました。
おめでたいのかどうか、のろにはわかりません。
「よろしく」という言葉は嫌いなので申しません。

こんなことだから生きるのが面倒くさいんだろうなあ。




「キートンの西部成金」の一場面より。
ご覧になりたいかたはyoutubeにて、キーワード buster keaton go west で検索してくださいまし。ありがたいことに、全編UPされております。
日本では何故かDVDになってもいないマイナーな作品でございますが、たいへんキートンらしい一本ではないかと存じます。
即ち作る側はひたすら笑いのみを目指しているスラップスティック喜劇でありながらも、奇妙に詩情と哀愁が漂う点において。
決して意図的に演出されたものではない詩情と哀愁、ここがポイント。


年末にお仕事が舞い込んだため、今年のお正月も18きっぷ遠足はしないことにいたしました。ひとえにのろの力量のなさと「集中して、やるべきことをちゃっちゃと済ます」ということができない散漫な性質ゆえ。ああまったく。
ともあれ、移動中に読もうと思っていた本は自宅で消化することとなりました。
よって今年の初読書はバーナード・マラムード(マラマッド)の『修理屋』(1969 早川書房)でございます。

「必然」はスピノザを自由にし、ヤーコフを監獄に閉じこめた。スピノザは思索を通じて宇宙に達したが、ヤーコフの貧弱な思考は監房の中に封じ込められていた。
おれはスピノザと比較できるような人間ではないではないか。
彼は以前学んだ生物学を想い出そうとつとめ、頭に想い浮かべられるかぎりの歴史について考えてみた。神は歴史の中に姿を現わし、歴史を自分の目的に利用したと言われているが、そうとすると、神は人間に対して何の憐れみも持っていなかったわけだ。
p.259

革命前、ニコライ二世統治下のロシア。
レンガ工場のほど近くで、身体をめった刺しにされた子供の遺体が発見されます。
工場で監督として働く主人公ヤーコフはユダヤ人であるというだけの理由から、無実の罪で逮捕され、起訴すらされないまま、いつ果てるとも知れない屈辱的な監獄生活を強いられます。(なんともグアンタナモでございますね)*注
獄吏らによって加えられる激しい暴力と辱め、彼を是が非でも殺人犯に仕立て上げようとする官吏の不正や偽証、宗教熱に浸りきったキリスト教聖職者による弾劾と「悔悛」の勧め、保身を計った囚人仲間による厚顔無恥な裏切りなどなどによって、ヤーコフは何度も絶望の淵に叩き込まれます。
何度も、と申しましても、ある絶望的状況から這い上がるたびに再び、ということではなく、ある絶望的状況から、さらに一層ひどい絶望へと蹴落とされるのでございます。
映画『パピヨン』を彷彿とさせる劣悪な監獄生活の中で、ヤーコフに加えられる不当な精神的・肉体的暴力はまことに卑劣かつ残酷でございます。しかもそうした暴力は、正義を自認する検事や聖職者、そしてよき市民を自認する反ユダヤ主義者たちによってなされるのでございます。小説とはいえ、新年早々はらわたの煮えくり返る思いで読まねばなりませんでした。

しかし。
自身もユダヤ人である作者がこの作品の中で訴えているのは「ユダヤ人は偏見の中でかくもひどい目にあってきた」という狭い範囲での抗議のみではございません。それは原爆、冷戦、赤狩り、ケネディ暗殺、そして大戦後も各地で勃発する戦争と市民の犠牲といった、あとがきの言葉を借りるなら「ヒューマニズムを圧殺しようとしている現代の不合理な社会現象」への抗議であり、描かれているのは20世紀初頭のロシアにおける人種差別という限定された問題のみならず、自由と正義をめぐって人間はどういう態度を取りうるのか、という問題でございます。

今後一年-----どうなるやらわかりませんけれども-----、もし生きるとすれば、のろはこの作品のことをしばしば考えつつ生き、生活することになりましょう。

「...だから、今は生命の心配なしに眠るがいい。なんとか監獄を出られたら、自由の目的はひとのために自由を創り出すことにあるのだということを忘れないように」p.402

ああ、ビビコフさん。
だけどあなたは。



*注この設定は1913年に実際にロシアで起きた「ベイリス事件」を下敷きにしております。13歳の少年が何者かに殺害され、レンガ職人であったユダヤ人メンデル・ベイリスが「儀式殺人」の疑いで逮捕されたのでございます。「ユダヤ人は過ぎ越しの祭の際、キリスト教徒の血で練ったパンを食べる」という迷信に基づくでっちあげ逮捕でございました。ベイリスは2年間の拘束の後無罪を勝ち取りました。
この迷信にもとづく不当な弾圧の例は他にもあり、ベイリス事件の約十年前には、やはり儀式殺人のかどで無実のユダヤ人青年ヒルスナーが逮捕され、死刑を宣告されております。彼は当時大学教授でのちにチェコスロヴァキア初代大統領となるトマーシュ・マサリクの活動により、その後再審が認められ減刑、恩赦されました。



八木重吉詩集

2008-12-10 | 
11/17に申しましたNPOの展覧会は無事終了いたしました。
お運びいただいた皆様、ありがとうございました。

作品も手元に帰ってまいりました。
のろが出品いたしましたのはこれ。




10/26に制作風景を御覧いただいた消しゴムハンコ本でございます。



まあこんな感じで。
展覧会のテーマは「書物のアロマ」でございましたので、実際に香りのついた本や、ハーブやおいしい料理を題材にした作品もございましたし、マタタビの枝を使ったユニークなもの、『昭和の香り』と題して子供の頃に撮ったSLの写真をアルバム風にしたものもございました。
のろはアロマを「風格」の意味に解して、他の情報媒体にはない書物の風格とは何であろうかと考えたすえ、このような作品となりました。




本文の紙は中国の手透き紙、表紙は厚手の和紙でございます。
紙も自分で漉けたらよかったのでございますけれども。
一文字一文字ハンコを彫っては押していくといういともアナクロな手法を取りましたのは、書物独特の「もの感」、即ちデジタルな情報媒体にはない物質感を強調したかったからでございます。

再来年の展覧会のテーマも既に決まっております。
今からそれに向けて頭を絞り手を動かしていかねばと思っております。

重吉忌

2008-10-26 | 
ひかる人

わたしをぬぐうてしまい
そこのところへひかるような人をたたせたい



本日は
八木重吉の命日でございます。
初めての詩集『秋の瞳(ひとみ)』が出版されたのは1925年。
その翌年、結核のため29歳で亡くなりました。
2冊目の詩集『貧しき信徒』が出版されたのは翌年の2月のことでございました。


鉛と ちょうちょ

鉛のなかを
ちょうちょが とんでゆく



のろが参加しておりますNPO法人 書物の歴史と保存修復に関する研究会では、一年おきに会員の作品などによる展覧会を催しております。
前回までは冊数制限がございませんでしたが、今回は1人1冊のみと決められております。
のろは『秋の瞳』と『貧しき信徒』の消しゴム活字本を1冊にまとめて出品することにいたしました。
文字およびカットを全て手製消しゴムハンコで制作いたしましたので、なにしろ時間がかかりました。
去年の年末から制作し始めたとはいえ、今年10月なかばの〆切に果たして間に合うか不安でございましたが、幸い無事期限内に提出することができました。

制作風景。




完成品の写真も撮っておいたのでございますが、どうやら誤って消去してしまったようでございます。
何をしているんだか。
展覧会についてはまた追って取り上げさせていただきたく。









むしのひ

2008-06-04 | 
6む 4し ってなわけで
本日は「虫の日」なんだそうでございます。

虫といえばザムザ君ですね。
ザムザ君の話をいたしましょうか。折しも昨日はカフカの命日でございましたしね。

虫になってしまったのはザムザ君の責任ではございません。
生まれてしまったのが私の責任ではないように。
しかしその後のことは、どうしたってザムザ君が悪いのでございます。
自分が何の役にも立たない醜悪な虫けらであること、周りの人々にとっては存在しているだけでもひたすら迷惑な無駄飯食いであるということを、しっかりと自覚するべきだったのでございます。
そして自分が虫けらであることに気付いたからには、すみやかに餓死するなり、妹の言うように「どこかへ行く」なりするべきだったのでございます。
ものを食べて生きながらえたり、あまつさえ自分の権利を主張したりなぞ、するべきではなかったのでございます。

それなのにザムザ君ときたら、自分が虫であることを分かっているくせに、のうのうとこの世に居座り続ける!
まだ自分は何かの役に立つことができるとでも思っているみたいに!

ああ何と滑稽なんでしょう。
誰にも望まれていないのに無意味な断食を続ける断食芸人のように。
残酷で時代遅れな上にうまく作動しない処刑機械と、その性能をさも得意そうに説明する士官のように。
呼ばれたかどうかも定かではないのにやって来て、お上から承認を得ようと悪戦苦闘する測量士のように。
絶望的に滑稽ではございませんか。

もっとも、はたから見る分には滑稽でございますが、彼の周りにいる人々からすれば迷惑千万なことでございます。
彼はおとなしく、いや自ら進んで、早々にこの世を去ってしかるべきだったのでございます。
ああそれなのに、愛する妹から宣告を受けるまで、彼はこの世という橋の欄干にぶら下がり続けるのでございます。
この態度こそ彼のどうしようもない可笑しさと醜悪さの根本でございます。
虫に変身したこと自体はたいした問題ではなく、むしろ「自分はいないほうがいい」という自覚を欠いたままにうだうだとこの世に留まり続けるという態度が問題なのでございます。
『判決』のゲオルクはごく素直に死へと向ってダッシュいたしましたし、『審判』のヨーゼフ・Kや『城』の測量士Kは存在していることの正当性を主張してまがりなりにも闘いました。ところがザムザ君ときたら、すぐさまいなくなるわけでもなく、かといって闘うわけでもなく、日ごとにぼやけていく視界で灰色の世界を眺めながら綿々と存在し続けている。
ああやれやれ、ザムザ君!
滑稽で醜悪なザムザ君。
まるでのろのようだね。


『ちょっとピンぼけ』

2006-12-31 | 
人生短いんですから
紅白歌合戦なんか見ている暇はございません。
というわけで年越しのBGMは(以下略)


さて
暮れもここまで押し迫ったというのに
今年一番の大後悔がのろを直撃しております。

即ち
5月25日 にご紹介したロバート・キャパ写真展『CAPA IN COLOR』に行きそびれたということでございます。

5月のことを何故12月になって後悔するのかと申せば
キャパの手記、ご存知『 ちょっとピンぼけ』 (初版)を、昨日読んだからでございます。

本書によって、のろの中では「偉大な報道写真家」という位置づけであり、
つまりは遥か遠い存在だったロバート・キャパがぐっ と身近に感じられ
その文才に対する尊敬の念と、その早すぎる死に対する哀悼の念がふつふつと沸き上がり
それと同時に
「どーーーして行かなかったんだぁ キャパ展!!!」
という大いなる後悔の念がのろを打ちのめしたのでございました。

後悔するものは二重に不幸あるいは無能力である。なぜなら、後悔する人間は最初に悪しき欲望によって、次には悲しみによって、征服される者だからである エチカ第4部定理54

うっ
おおせの通りです、先生。
やめます、コーカイするのは。

で。
『ちょっとピンぼけ(Slightly Out Of Focus)』。
内容の面白さもさることながら、本書の最大の魅力は、その軽妙な語り口にこそあると、ワタクシは思います。
でキャパが描くのは、第二次世界大戦下、従軍記者として戦場を飛び回る彼自身の姿です。
うっかり地雷原へと踏み込んだり、経験もないのに落下傘部隊に同行せねばならなかったり
砲弾の降り注ぐ中、泥まみれになり這いつくばってシャッターをきる、等の戦地ならではの苦労は言わずもがな
ハンガリー国籍で、英語も「およそ完全とはほど遠い」キャパは
敵国人として疑われ(ハンガリーは当時ナチスドイツに併合されていました)
何度も何度も要らぬ足止めをくわされ、不自由を余儀なくされます。

かてて加えて
雑誌の表紙を飾るはずだった写真に軍事機密が写っていたため、発売前に回収処置となったり
前線にいる時に契約先の雑誌社から突然解雇されたり
ものになるかならぬか微妙なラインの上にいる、銃後の恋人を気にかけたり
軍中のわずかな楽しみ、賭けポーカーに参加しては、ひたすら負けに負けつづけて
しばしばすっからかんになったり
とまあ、彼は常に大なり小なりエライコッチャな状況にあります。

しかしキャパはそんな自分と、彼を取り巻く状況を
ほんの少し俯瞰した、あるいは「引いた」視点から捉え、それだけに軽妙なユーモアをたたえ、
冷めた視点と温かな感受性を兼ね備えた筆致で描写しています。

そしていとも軽やかなウィットとユーモアに満ちた文体でありながらも
戦争の悲惨さを軽んじるような雰囲気は、みじんもありません。
戦争は悲惨だ、戦争はひどい、と声高に訴えはしないけれども
キャパはただ、戦地の情景を読者の前にそっと提示します。

(戦闘機が出撃して)6時間という長い間、司令塔の中で待っていると、ようやく1番機が水平線の彼方に現れた。機影が近づくにつれ、われわれはその数をかぞえはじめた。朝には美しい編隊を組んだ24機が、今は空じゅうを数えまわしても、たった17機だった・・(中略)・・昇降口の扉が開いた。乗組員の1人が運びおろされると、待ちかまえた医者に引渡された。彼は呻いていた。次におろされた2人は、もはや呻きもしなかった。最後に降りたったのはパイロットであった。彼は、額に受けた裂傷以外は、大丈夫そうに見えた。私は彼のクローズ・アップを撮ろうと思って近よった。すると、彼は途中で立止って叫んだ、
ーーー写真屋!どんな気で写真がとれるんだ!   私はカメラを閉じた。



そんな具合で
読み進むにつれのろは
ああぜひとも、ここで描かれている人々や情景に、そしてキャパが最後に撮ったインドシナの風景に
無理を押してでも会いに行くんだった、との思いを強くしたのでございました。

本書についてはまだまだ語りたい所でございますが
長くなりますので、またの機会にゆずりたいと思います。
本日は、いや本年はこれにて。

皆様、よい新年をお迎えくださいませ。


川上弘美

2006-12-03 | 
人様からお薦めいただきましたので
川上弘美を読みました。



いやあ面白うございました。
のろの大好きな内田百鬼園先生に似た香りがぷんぷんいたすぞ、と思ったら
川上氏御本人が百鬼園先生のファンでいらっしゃるようで。
(残念ながら ↑ 門構えに月の「けん」の字がPCで表示されないので、”ひゃっきえん”表記とさせていただきます)

真面目なようなすっとぼけたような、とつとつとした語り口。
とりわけ擬音語・擬態語づかいがよろしうございますねえ。

鳩というものはこれであんがい可愛いものだった。ででー、ぽぽー、と柔らかく鳴く。体に比べて小さな足でぽつぽつ歩く。窓を開ければ驚きはばたく。
そんな様子のころはよかったのだ。それが次第に態度を変えていった。最初遠慮がちだった声が高くなった。ででー、ぽぽー、だったのが、ででぽぽででぽぽででぽぽででぽぽででぽぽと、ひっきりなしになった。ぽつぽつ歩いていたのが、でしでし歩くようになった。でしでしと手すりや植木や物干しの上をわがもの顔に歩く。窓に近づいただけではばたき去ったのが、窓を開けても拍手しても叱っても動かなくなった。しまいには、布をはためかせても棒でつついても、去らなくなった。去らずに、いっぱい糞したり羽根を広げて仲間どうしでふざけあったり朝四時ごろからやってきてででぽぽを永久みたいに繰り返すようになった。

『あるようなないような』収録「鳩である」 中公文庫 p228

例えるならば
一見おおざっぱなようで実は繊細な絵付けの施された焼き物(湯飲み茶碗、普段使い)
といった雰囲気でございます。
手に取ってじっと眺めていると中で金魚がひろひろ泳いでいるのが見えたり
ざざー と潮の音がしたり、近所の大仏さんがぬっと出て来て
「そういうわけである」とひとこと言ってひっこんだりする
そういう湯飲み茶碗でございます。
のろは現代作家さんの本をあまり読む方ではございませんので、お薦めがなかったら一生手に取らなかったかもしれません。
お薦めくださったかたに感謝でございます。

カルマジーノフ

2006-10-28 | 
本日は
ツルゲーネフの誕生日です。(1818年 新暦では11/9)  おめでとうございます。
明後日は
ドストエフスキーの誕生日です。(1821年 新暦では11/11)  おめでとうございます。

ツルゲーネフとドストエフスキーといえば、『悪霊』 でございますね。

ドストエフスキーは長編『悪霊』の中に、西欧かぶれの文学者カルマジーノフなる人物を登場させております。
この人物は、ツルゲーネフの戯画でございます。
ドストさんの筆はいたって辛辣です。
こんな具合に。

こういう中どころの才能しか持ち合わせないくせに、存命中天才扱いをされる先生がたは、たいてい死んでゆくと同時に、世間の記憶から跡形もなく消えてしまうのはまだいいほうで、どうかすると、まだ生きているうちから、新しい世代が生長して、大家連の活動していた時代に取って代わるが早いか、不思議なほど早く人から忘れられ、度外視されてしまうものである。・・・またこうした中どころの才能を持った先生がたが、年功で尊敬される人生の下り坂にかかる頃には、普通、自分でもまるで気のつかないうちに、意気地なく書きつくして種切れになるのは間違いのない話である。久しい間、きわめて深い思想を抱いているものと信じられ、社会活動に対する大きい真面目な影響を期待された作家が、とどのつまり自分の根本思想の稀薄で瑣末なのを暴露し、意外に早く種切れになったからといって、だれひとり惜しがってくれない、というようなことも、往々にして見受ける習いである。ところが、かしらに霜をおいた老作家はそれに気がつかないで、腹を立てている。彼らの自負心は、まさにこの活動の終わりに近い頃、ますます大きくなっていて、時としては、驚嘆を禁じ得ないことさえある。いったいこの連中は、自分をなんと心得ているのか知らないが、少なくとも神様くらいには思っているのだろう。 
ドストエーフスキイ全集 9 悪霊 米川正夫訳 1970 河出書房新社 p.81

カルマジーノフが『メルシィ!』という作品を朗読し(ツルゲーネフ作『足れり!』のパロディー)、
聴衆から大不興を買うという場面まであります。

同時代で交流もあった作家を、ここまで露骨にこきおろしかつおちょくる、というのは
はなはだ大人げない感じもいたしますが
ドストさんに「大人げ」だの「分別」だのいうツマラナイものを期待するのがそもそも間違いかもしれません。
だって
ぎらぎら輝く悪と
嬰児のごとき無垢と
その間でのたうち苦しむあこがれ
を体現したキャラクターたちこそが、ドスト氏の真髄ではございませんか。
なんつって。

『悪霊』は、話が終わる頃には主要登場人物のほぼ全員が死に絶えているという
大筋だけ見るとなんとも陰鬱な小説でございますが
どっこい、笑いどころが大変多うございます。のろはゲラゲラ笑いながら読みました。
カルマジーノフ氏も、本作の喜劇性におおいに寄与しておいでです。
ツルゲーネフは「死んでゆくと同時に、世間の記憶から跡形もなく消えてしまう」ことはございませんでしたが
こんなかたちでまで後世に残ろうとは、予想もしなかったことでございましょうね。


*『悪霊』に笑いどころが多いと言うのは、あくまでのろの個人的な感想です。
「つまらなくて、中盤まで読むのが苦痛だった」というご意見もまま目にいたします。
いずれにせよ、『悪霊』はドスト氏の作品中、のろが最も愛好する作品です。
その喜劇性においてではございません。
無垢なる無神論者にして世界を愛する自殺哲学者、キリーロフがいるからでございます。

『狂王ルートヴィヒ』

2006-10-03 | 
『狂王ルートヴィヒ』ジャン・デ・カール著 2002 中央公論新社 を改装しました。




総革装丁。
だってルートヴィヒ2世ですから。




留め金付き&全小口彩色。
だってルートヴィヒ2世ですから。



見返しはマーブル紙。
だって(以下略




本書は
6/13の狂王忌でもご紹介したバイエルン王ルートヴィヒ二世の、詳細な伝記でございます。
手紙や日記といった一次資料、当時のプレス、身近な人々の証言などを綿密にあたる一方、
あくまで 読み物 としてまとまっておりますので、とっつきにくい所は全くございません。
始めからおしまいまで、大変面白く読みました。
もっとも
取り上げている人が人なだけに、出来事を時系列に並べただけでも
かなり面白い読み物になりそうではありますが。

邦題は『狂王』とうたっておりますが、仏語の原題は単に『バヴァリアのルイ2世』(=バイエルンのルートヴィヒ2世)。
ルートヴィヒが狂っていたというスタンスでは書かれておりません。
実際、ルートヴィヒは相当な人嫌いであり、
今で言うならひきこもりであり
オペラおたくであり
太陽王ルイ14世マニア ではございましたが
その気まぐれも浪費も、
狂気と断言できるほどすさまじいものではなかったようでございます。
築城への情熱がエスカレートした晩年においても、決して正常な判断力を失ったわけではなく
ただただ、
美と物語の世界に浸っていたいという望みだけを見つめ
煩雑で殺伐とした現実世界には背を向けていたがために
国政に関する文書も、破産寸前の財政からも目を背け、つまる所、自らを追いつめてしまったのでございましょう。
-----王を唯一理解した女性、タカラヅカでおなじみのオーストリア皇妃エリザベートの言葉を借りるなら

「王は狂ってなどいなかった。ただ夢を見ていただけだ」

著者は一貫してルートヴィヒに好意的な眼差しを注いでおります。
言葉のはしばしに、ルートヴィヒに寄せる愛情と同情が伺われます。
一方、王をいわば食いつぶす大作曲家ワーグナーを描く筆は、ちと、いじわるでございます。

歴史的事件には関わりのない、小さな、心なごむエピソードを
(とりわけ、王が悲劇的な死を迎える終盤に)紹介しているのも
ルートヴィヒ個人に対する、著者の敬愛の念からでございましょう。

エピソードを語るのは
王の御者や、城の職人や
王の在任当時はまだ子供だった、城の管理人の娘(「スパーバー夫人」!ひぇぇどっかで聞いた名前だ)など、
実際に王の身近にいた人たち。
彼らの語るルートヴィヒ像は、人物辞典や Wikipediaの記事からは伺えない
人間性や温かみを伝えております。

さて
そんなルートヴィヒ2世、なんとファンサイトがあるんでございますよ。

ドイツ語版 Knig Ludwig II. von Bayern

英語版 King Ludwig II. of Bavaria

↑ ドイツ語版トップページの一番右下の写真を写真をクリックすると
ルートヴィヒご幼少のみぎりから、湖で謎の死をとげる42歳までの
肖像画や写真がずらっっ と出てまいります。
よくぞこれだけ集めたものよ。
青年時代のルートヴィヒ、軍服姿の何と凛々しいこと。
身長192センチの長身痩躯に整った顔立ち
ということで
彼を「落とそう」とするご婦人方は後を絶たなかったのだそうでございます。
もっとも
ルートヴィヒが同性愛者であることは、当時すでに公然の秘密であった
ということでございますが。

・・・あきらめろよな。

『変身』

2006-09-26 | 
『変身』カフカ 新潮文庫 1952 を改装しました。


吹き流しでランダムに模様をつけた薄手の和紙を、模様が 濃い→薄い の順で数枚重ねました。



タイトルはシャーペンで手書き。



これも11月の展覧会に出品いたします。

NPO法人 書物の歴史と保存修復に関する研究会


はるか以前
この作品を初めて読んだ時は
「こんなにも徹頭徹尾、救いのない、暗い話がこの世にあっていいもんだろうか」 と
はなはだ とまどったものでございます。
自らの存在について罪悪感を持たずにおられた当時のこと。
今はもう
ハハハハ。

こちらは ↓ 『知的常識シリーズ 3 カフカ』 D・Z・マイロウィッツ/ロバート・クラム著 1994 交心社 より、『変身』の一場面。



MOMAにその作品が収蔵されているアングラ漫画家、ロバート・クラム。
執拗で
猥雑で
意地悪なまでの人間観察と
シニカルな戯画化に手腕を振るうクラムのイラストは、
カフカの小説世界と それはもう恐ろしいほどマッチしております。


copyright : David Zane Mairowitz Robert crumb 

うーむ素晴らしい。
大変残念なことに、もはや発行はされていないようです。
net通販でも「在庫切れ」表示が多うございますね。
しかしこれはもう 見たら即買い のハイクオリティ本でございますよ。

『一千一秒物語』

2006-09-09 | 
『一千一秒物語』 稲垣足穂 2005 ちくま文庫 を改装しました。



ミゾ(ハードカバーの本は背表紙と表紙の接続部分にミゾがありますね、あれのこと)無しのデザイン。
に したはずなのに、なんとなくミゾができてしまっておりますね。




見返しには銀の不透明水彩でスパッタリングを。




『一千一秒物語』、どういう作品かと申しますと
こういう作品でございます。

流星と格闘した話

ある晩オペラからの帰り途に 自分の自動車が街かどを廻るとたん 流星と衝突した
「じゃまするな!」
と自分は云った
「ハンドルの切りかたが悪い!」
と流星は云いかえした 流星と自分はとッくんで転がった シルクハットがおしつぶされた ガス燈がまがって ポプラが折れた 自分は流星をおさえつけた 流星はハネ返って 自分の頭を歩道のかどへコツンと当てた
自分は二時すぎにポリスに助け起されて家へ帰ったが すぐにピストルの弾丸をしらべて屋根へ登った 煙突のかげにかくれて待っていた しばらくたつとシューといって流星が頭の上を通りすぎた ねらい定めてズドン! 流星は大弧をえがいて 月光に霞んでいる遠くのガラス屋根の上に落ちた
自分は階段をかけ下りて 電燈を消して寝てしまった

『グレープフルーツ・ジュース』

2006-07-24 | 
『グレープフルーツ・ジュース』(オノ・ヨーコ 1993 講談社文庫)を改装しました。



同寸のクラフト紙2枚の
1枚をを縦方向に細切り、もう1枚を横方向に細切りしまして
彩色し、織り合わせました。



もっと地味な、有るか有らぬか分からぬ程度の
押さえた色調にする予定だったのでございますが
のろの感性が「こうしたいよう」とのたもうたものですから、致しかたございません。

見返しは黒。




2年ほど前になりましょうか、滋賀県立近代美術館で開催された
『YES オノ・ヨーコ展』にて
初めて彼女の作品を目の当たりにしました。
知的でユーモラス、かつ非常に真摯な作品群に
「世界に対するこういうアプローチの仕方もあるのか」
と、目を開かれた心地がいたしました。

本書はそもそも1964年に限定500部で発売された
作品集『グレープフルーツ』からのセレクトでございまして
オノ・ヨーコ氏の作品のエッセンス、即ち imagine---想像すること の持つ、
強靭で普遍的なパワーを
認識さてくれるのでございます。

『ダーシェンカ』

2006-07-15 | 
『ダーシェンカ』(カレル・チャペック 新潮文庫 1995)を改装しました。





紙版画です。
表紙のデザインはカレルの兄、ヨゼフ・チャペックのブックデザインから拝借しました。



売り物ではなく飽くまでわたくし蔵書でございますので、お許しください、ヨゼフさん。

『ダーシェンカ』は要するに、子犬の生態観察日記でございます。
ブックカバーの裏表紙に、本書の魅力をみごとに要約した紹介文がございます。

犬の大好きだった作家が飼っていたフォックステリアのイリスに、かわいい子犬が生まれました。名前はダーシェンカ。やんちゃでいたずらな彼女に、作家はもう夢中です。毎日の成長の様子を、写真に撮ったり、肖像画を描いたり、あげくは子犬のためにおとぎ話まで作る始末。世界中の犬たちと、そして犬にてを焼き、それでも犬がかわいくてたまらないすべてのひとたちに贈る愛犬ノート。

チャペック本人の手になる挿絵や、数々の「肖像写真」の愛らしさもさることながら
なんといっても可愛らしいのは、ダーシェンカに べ た 惚 れ のチャペック氏なのでございますよ。


カレル・チャペック、
小説家、エッセイスト、ジャーナリスト、そして童話作家。
のろは子供時代(あったのですよ)、『長い長いお医者さんの話』に親しみました。
兄ヨゼフの手による挿絵が沢山盛り込まれているのですが、のろはその絵を眺めては、つくづく
「こんなヘンテコでへたっぴいな絵を出版物に載せてもいいものだろうか」
とコドモ心に考えたものでございました。
コドモのろよ、君の絵だって決して人に誇れるものではなかろう と
肩に手を置いてつくづくと諭してやりたいところでございます。

長い長いお医者さんの話


先に申しました通り、『ダーシェンカ』の挿絵は作者本人の手になるものです。
兄ヨゼフの線描にも似た、なにやら飄々としたユーモアのただよう
愛すべきイラストなのでございますよ。

カフカ忌

2006-06-03 | 
わたしが生涯を費やしたのは、私の生涯を
粉砕せんとする自分を 阻止するためだった。

(『夢・アフォリズム・詩』 吉田仙太郎 編訳 平凡社 1996)

これはワタクシのことですか、ヘル・ドクトル? と
のろが申したならば、
純粋さもなく明晰さもなく繊細さもなくつまるところたいして苦しんでいるわけでも真剣に闘っているわけでもない傲慢な自己嫌悪のカタマリであるのろが申したならば、
きっとカフカは「苦しそうに微笑をうかべ」て、この無作法な発言に全力を傾けて耐えようとするのだろう。



本日は
フランツ・カフカの命日です。

1人の友人と恋人に看取られ
41歳の誕生日をちょうど1ヶ月後に控えた1924年6月3日、
喉頭結核のため亡くなりました。



歴史上の有名人が最後に発した言葉を集めた、
『最期のことば』(ジョナソン・グリーン編 社会思想社 1989)という本がございます。この本で紹介されている、カフカの「最期の言葉」は

(書いた物は全て焼却してくれ、)「そうすれば、ぼくが作家だったという証拠がなくなる」

という言葉でございますが
これは友人マックス・ブロートのあてた遺言の一節であって、「最期の言葉」ではございません。
最期の日々につきそった友人の医師、クロップシュトックによりますと
カフカの臨終は以下のようなものでした。ブロート著『フランツ・カフカ』(みすず書房 1972)より抜粋いたします。
(「エリ」とはカフカの妹の名。この場にはいません)

クロップシュトックが彼の頭をささえてやると、カフカはーーー彼はいつも、誰かに病気をうつしはしないかという大きな危惧を抱いていたーーーこう言った。「あっちへ行きな、エリ。近寄っちゃいけない、近寄っちゃいけない」クロップシュトックがすこし身を起こすと、彼は満足して言った。「そうそう、それでいい」


しかし「カフカ最期の言葉」としてよく取り上げられるのは、これより少し前に交わされた言葉です。
注射器を消毒するためにベッド脇を離れたクロップシュトックに対して、カフカが呼びかけます。

カ「行かないでください」
ク「どこへも行きませんよ」
カ「でも、ぼくの方が行ってしまう」


ああ、何とも
何とも
滑稽ではございませんか。
彼の作品そのままに、絶望的に滑稽ではございませんか。

「行かないでください」
「どこへも行きませんよ」
「でも、ぼくの方が行ってしまう」・・・・・

痛ましいのは、カフカが死の前に、激しい身体的苦痛を味わわねばならなかったことです。
作品の中で自らの分身に課したような死ーーー自分が消滅して行くのを、満足感をもってうっとりと眺めながら、
静かに、ひっそりと、この世から退いていくーーー
そのような死が、残念ながら、カフカには与えられませんでした。
喉の痛みのために水も飲めなくなり、痛みと乾きに苦しめられ、
痛み止めのモルヒネを何度も懇願せねばなりませんでした。
声を出すことが困難になったため、筆談で意思疎通していたカフカ、クロップシュトックにこう書きます。

早く殺してください。さもなければ、あなたは人殺しだ。

死の前日に、骸骨のようにやせ細った身体を寝台に横たえて校正していたのが
『断食芸人』だったというのですから、アイロニーここに極まれりの感がございます。

カフカの最期の日々、およびそれに先立つ療養生活については、
『病者カフカ』(ロートラウト・ハッカーミュラー 著 平野七涛 訳 論創社 2003)に詳しく描かれております。
医師の診断書や体温変化表といった資料も盛り込んで、(身体的)病、という側面からカフカを描き出す本書。
文章は大変読み易く、カフカが入院したサナトリウムの外観や、
おそらくはそこに腰掛けたこともあったであろう、院内の読書室の写真など、図版も豊富です。
しかしなにより、
親のもとから脱しようともがき
人と会うことを怖れ
食物と騒音をめぐって苦しみつつ
そんな自分を皮肉る、
要するに最期の最期までカフカ節なカフカが、なんとも、可笑し・悲しい。

『カフカ最後の手紙』(ヨーゼフ・チェルマーク 他 著 三原弟平 訳 白水社 1993)というのもございます。
1986年に発見された、手紙魔であったカフカの、本当に最後の、書簡集です。
のろは研究者ではございませんから、資料的価値についてはあまり興味がございませんが
つづられた文章からは、両親への心遣い、経済的困窮、そして身体の衰弱をありありと感じることができ
ひとつひとつのセンテンスが胸に突き刺さるような心地がいたします。

そして、カフカ的な、あまりにカフカ的なことでございますが
最後の手紙もまた、未完で終わっているのでございます。

「人間は歳をとるにつれて、その視界は拡大される。生活の可能性は、しかしいよいよ小さくなってゆくのです。おしまいに残るのは、ふと眼をあげ、ほっと最期の一息をつく、それだけのことなのです。その瞬間おそらく人間は、その全生涯への展望をもつことでしょう。最初にしてーーー最期の展望を」
(『増補版 カフカとの対話』グスタフ・ヤーノホ 著 吉田仙太郎 訳 筑摩書房 1994)




『プラテーロとわたし』

2006-05-29 | 
プラテーロはまだ小さいが、毛並みが濃くてなめらか。外側はとてもふんわりしているので、からだ全体が綿でできていて、中に骨が入っていない、といわれそうなほど。ただ、鏡のような黒い瞳だけが、二匹の黒水晶のかぶと虫みたいに固く光る。(長南 実 訳 2001 岩波文庫)

アンダルシアの詩人、フアン・ラモン・ヒメネス著『プラテーロとわたし』はこうして始まります。

本日は
フアン・ラモン・ヒメネスの命日です。

散文詩集『プラテーロとわたし』は
1956年にノーベル文学賞を受賞したヒメネスの代表作で
世界中で大人から子供まで、広く親しまれている作品です。
しばしば「珠玉の」という言葉が冠されるこの作品は、まさに
たなごころで輝く小さな宝石のように、つつましやかで、えも言われぬ美しさをたたえているのでございます。

都会で健康を害したヒメネスは、静養のため、アンダルシアの田舎町モゲールに帰郷し
静かな田園生活を送りながら
銀の毛並みに黒い瞳の小さなロバ、プラテーロに語りかけます。

小さな田舎町モゲールで
生を見つめ、死を見つめるヒメネスの視線は、やさしく荒々しいアンダルシアの風物へと向けられます。

ある時は 薔薇の上の雨つぶに
ある時は 子を案じる母犬に
光り輝く蜘蛛の巣に 
純金のようにまばゆい空に
銀の籠の中で死んだカナリアに
よき理解者であった父が眠る、古い墓地の糸杉に
そして いつも彼の傍らにいる、甘えん坊の小さなロバに。

神はいま水晶の宮殿においでだ。それはね、いま雨が降っている、ということだよ、プラテーロ。秋が、かさかさした枝にしがみつかせたまま残した最後の花は、いまダイヤモンドをいっぱいつけているよ。そしてダイヤモンドの一つひとつに、天が、水晶の宮殿が、神が、宿っている。(p261)

散文詩というよりも詩的なエッセイといった印象でございます。
のろがこの作品を知ったのは、絵本作家 長 新太 氏の展覧会においてでございました。
子供向けに翻訳された本作の挿絵を、氏が描いておられたのです。

Amazoncojp: プラテーロとわたし〈春・夏〉 本 JR ヒメネス伊藤 武好伊藤 百合子長 新太JRヒメネス

のろが持っております岩波文庫版にも、長氏のではございませんが、挿絵が入っております。

Amazoncojp: プラテーロとわたし 本 JRヒメーネス長南 実

改装してこんなふうになりました。





これは一昨年の展覧会に出品したので、今年は出さない・・ 予 定 でございます。
期限までに10冊できなかったらまた出すやもしれません。