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就職相談・紹介が「天職」

父親の「就職観」は?

2020年11月13日 | ビジネス

先日 息子をUターンさせたいとのある父親から相談要請が。

希望職種の求人数件と就職プロセスの資料を事前に送付。

そして 息子の帰省のタイミングで自宅を訪問しました。

 

50年前 父親の願望を知りながら、遠くの企業に就職した私。

県内の異動のみで、「聖職」と言われていた教員が父親の希望でした。

学生時代、他学部の教育のカリキュラムを受講し、教生にも。

親の期待に応えたいとの気持ちが少しはあったのです。

 

学生時代授業とサークル活動で帰省することも少なかった記憶が。

たまに帰った時は、黙って私の話を聞いている父親。

そして 就職先を告げた時も、うなずくだけでした。

 

 多くの兄弟がいたため、進学をあきらめた父親自身にも夢があったはず。

かなわなかった希望を私に託していたのではと思ったのは、亡くなった後。

58歳で交通事故で亡くなった父親とは、もっと話したかったと後悔。

 

             

 

相談者の自宅を訪問し、息子と話をするとき、父親も同席。

遠慮がちに「横にいてもいいですか?」と言われ、「どうぞ」と私。

地元では、旧家で見識ある人、退職後も多くの役職を担っている人です。

 

私の勧める企業の情報も詳しく知っており、的確な評価を下します。

でも 親である自分より、他人の私に相談を希望。

どんな仕事でもいい、近くの会社に勤めてくれるならとの希望。

 

         

 

「父親とは」 長いレンジで子供の成長を考えます。

共に過ごす時間が欲しい、でも子供の希望も叶えてやりたいと悩むのでは?

よりレベルの高い学校、安定した職種を望むと親との物理的距離が・・。

 

大学を卒業し、就職すると、子供への金銭的援助が無くなり、自立へ。

金が要らなくなったとき、ホッとしながらも「寂しさ」を感じる親?

母親に、そのことを漏らしたと後で聞きました。

 

         

 

しかし 子供だけに楽しみを見出していただけでなく、趣味もあった私の父親。

新しもの好きで、いち早くオートバイを購入、颯爽と通勤。

地元で自家用車購入は早かった記憶も。そのため町に土地を提供し、道路の拡幅も。

 

学生時代、ふるさとの小中学校の生徒に生の交響楽団を聴かせたいと仲間と遠征。

その時、我が家で造った「ちらし寿司」数十個を演奏会場に運んでくれた父母。

息子たちの演奏する姿を見るのが楽しみで、又誇らしかったのかも。

今でも、その時の光景を思い出すとき、胸が詰まります。

 

     

 

就職相談員の私に、東京の娘たちからも転職相談が。

的確なアドバイスは身内には難しいのです。感情が入るから。

でも相談があるのは、嬉しいかぎり。

 

相談を装いながら、実は自分で結論を出していることも多い娘たち。

「頑固おやじ」に了承を得るための「偽装?」

しかし 娘と長電話できる幸せも感じます。

 

かつて、孫娘の幼稚園の「お受験」の願書を書いてくれないかと、娘から依頼。

その時、婿に書いてもらったらとアドバイス。

男親の書く志望理由のほうが、合格率が高いことを知っていました。

自分の体験を交え、家庭の教育方針を書けるのは父親。

 

「父親」は威厳を保ちながらも、ロマンも語れるのです。(笑)

 

画像  ホンダ ベンリー   高校時代から大学まで乗っていたオートバイ 125㏄ 

    新見県民局                      父親が退職後 3年間勤務

    就実せんべい     教生で行った就実高校、大学の土産。

               数年前、新米のお礼に学長からいただきました   

    マツダファミリア   1970年ころのマツダ車、多分父親が初めて買った車種?

    旧実家        前の家を解体、しかしイチョウの木は残しました

 

コメント (2)
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