このところ頭の中はHMultのことでいっぱいです。
この「ハイブリッドムルチフローラ」という分類のことですが、ハイブリッドは交雑種という意味ですね、だからロサ・ムルチフローラ〈ノイバラ〉を交雑親にしたグループということになります。
ノイバラが大好きな私としてはうれしい名前なので、これに分類されているバラを興味を持って見てきました。
でもムルチフローラといってもあの白いノイバラとは違うのですよね。そこが寂しいところです。
ともあれ、どんないきさつでHMultが発展したのか、その歴史でのわからないこと、気になることを思いつくまま書いていこうと思います。
気がついたことがあったら〈どんなちいさなことでも〉声を掛けてください。
ロサ・ムルチフローラ・カルネア
最初に欧米に紹介されたHMultは、ピンクのちいさな八重の花でした。
これは1804年に中国からもたらされたもので、ルドゥーテの『バラ図譜』に美しい絵が載せられているロサ・ムルチフローラ・カルネアです。
中国系のムルチフローラ、ロサ・ムルチフローラ・カタエンシスから派生したものといわれています。中国系のムルチフローラってどんなものだろうと空想を膨らませてきました。
秋になって色づき始めた実です。ノイバラとは少し違うイメージですね。
カルネアの花は今年初めて咲いたのですが、思ったより小さな花でした。
開花は5月の下旬で、わりと遅いほうですね。ノイバラのあと、ツクシイバラが咲いている頃でした。
ロサ・ムルチフローラ・プラティピラ
カルネアの次に紹介されたのがロサ・ムルチフローラ・プラティピラです。
これはセブンシスターズとも言われるあの例バラですが、特に気になるのが「日本から種でもたらされた」ものだという部分です。
『バラ図譜』によると、ノアゼットが11817年にロンドン近くのマーケット〈market garden)で見つけたものだというのですが、だれが売っていたのでしょうね、、。
開花は5月下旬、カルネアと同時期ですね。並んで咲いています。
ちなみに、1817年は日本でいうと文化14年、時の将軍は徳川家斉です。
シーボルトはまだ大学生だったかなぁ、、杉田玄白は85歳でその生涯を閉じ、岩崎常正〈灌園〉は32歳、本草会を結成して本草の講義を始めたという年ですね。〈この翌年、灌園は自ら潅培した経験に基づいた『草木育種』を刊行しています。また幕府はオランダから薬草60種を取り寄せることにしています。それはのちに盆栽として渡来し、その中にはカモミールやミントなどもあったそうです〉
この時期、日本からはどんなものを輸出してたのか、興味がわくところです。
続きます
この「ハイブリッドムルチフローラ」という分類のことですが、ハイブリッドは交雑種という意味ですね、だからロサ・ムルチフローラ〈ノイバラ〉を交雑親にしたグループということになります。
ノイバラが大好きな私としてはうれしい名前なので、これに分類されているバラを興味を持って見てきました。
でもムルチフローラといってもあの白いノイバラとは違うのですよね。そこが寂しいところです。
ともあれ、どんないきさつでHMultが発展したのか、その歴史でのわからないこと、気になることを思いつくまま書いていこうと思います。
気がついたことがあったら〈どんなちいさなことでも〉声を掛けてください。
ロサ・ムルチフローラ・カルネア
最初に欧米に紹介されたHMultは、ピンクのちいさな八重の花でした。
これは1804年に中国からもたらされたもので、ルドゥーテの『バラ図譜』に美しい絵が載せられているロサ・ムルチフローラ・カルネアです。
中国系のムルチフローラ、ロサ・ムルチフローラ・カタエンシスから派生したものといわれています。中国系のムルチフローラってどんなものだろうと空想を膨らませてきました。
秋になって色づき始めた実です。ノイバラとは少し違うイメージですね。
カルネアの花は今年初めて咲いたのですが、思ったより小さな花でした。
開花は5月の下旬で、わりと遅いほうですね。ノイバラのあと、ツクシイバラが咲いている頃でした。
ロサ・ムルチフローラ・プラティピラ
カルネアの次に紹介されたのがロサ・ムルチフローラ・プラティピラです。
これはセブンシスターズとも言われるあの例バラですが、特に気になるのが「日本から種でもたらされた」ものだという部分です。
『バラ図譜』によると、ノアゼットが11817年にロンドン近くのマーケット〈market garden)で見つけたものだというのですが、だれが売っていたのでしょうね、、。
開花は5月下旬、カルネアと同時期ですね。並んで咲いています。
ちなみに、1817年は日本でいうと文化14年、時の将軍は徳川家斉です。
シーボルトはまだ大学生だったかなぁ、、杉田玄白は85歳でその生涯を閉じ、岩崎常正〈灌園〉は32歳、本草会を結成して本草の講義を始めたという年ですね。〈この翌年、灌園は自ら潅培した経験に基づいた『草木育種』を刊行しています。また幕府はオランダから薬草60種を取り寄せることにしています。それはのちに盆栽として渡来し、その中にはカモミールやミントなどもあったそうです〉
この時期、日本からはどんなものを輸出してたのか、興味がわくところです。
続きます