
『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』 (光文社新書・2019/9/1岡田尊司著)、図書館から借りてきた本です。
内容(「BOOK」データベースより)に次のようにあります。
死に至る病とは絶望のことである、と、かつて哲学者キルケゴールは書いた。絶望とは、神を信じられないことを意味した。だが今日、死に至る病の正体は、「親の愛さえも信じられない」こと、つまり「愛着障害」にほかならない―。豊かになったはずの社会で、生きづらさを抱える人が増え続けるのはなぜか。心も身体も苦しく、死んでしまいたいと思う人が増え続けている理由は、現代に突如現れた、治療困難な数々の障害の背景にある。共通の原因とは。「愛されず、愛せなくなった」社会、「世話をしなくなった」社会で、生きる意味を見出す術はあるのか。ベストセラー『愛着障害』の著者が、渾身の思いを込めて、今、我々が直面する「生存を支える仕組みそのものの危機」を訴える。(以上)
愛着障害の救いとなる「母親が安全基地として機能しているとき、子どもと安定した愛着が育めた」という考え方が、浄土真宗の阿弥陀さまに置き換えても成り立つのではないかと興味深く思いました。その所のみ転載しておきます。
共通する原因は何か
ここまで、かつては極めて珍しい状態だったのに、ここ数十年で急増し、医療機関はもとより、一般の家庭や学校でも出会うことが珍しくなくなった障害として、「境界性パーソナリティ障害」「摂食障害」「子どもの気分障害」「ADHD」(注意欠如・多動症)についてみてきた。これらは、戦前には非常に稀なものだったのが、一九六〇年代頃から徐々に増え始め、その後、爆発的な増加に至っている。
それは、単なる偶然の現象なのか。それとも、何か共通する要因ががらんでいるのか。
実は、「境界性パーソナリティ障害」「摂食障害」「子どもの気分障害」「ADHD」は、不安定な愛着との関連が強いだけでなく、幼い頃に母親との間で不安定な愛着を示した子で、発症リスクが大きく高まることが裏付けられているものばかりである。
たとえば、施設に保護された子どもでは、ADHDと診断される子どもの割合が、通常の何倍にもなる。虐待を受けた子どもでは、ADHDの発症リスクが大幅に高まるのだ。
ほどよい応答性や共感性を備えた存在を、エインスワースは「安全基地」と呼んだ。母親
が安全基地として機能しているとき、子どもと安定した愛着が育めたのである。
母親が安全基地としてうまく機能するとき、子どもは情緒的に安定するだけでなく、外界に好奇心を向け、積極的に探検しようとした。母親から離れることを怖がらず、周囲を歩き回って、他の人物とふれあおうとしたり、知的好奇心を満たそうとした。いざとなれば、母親が守ってくれるという安心感が、探索を可能にしたのである。
先にも紹介したように、安定した愛着に恵まれると、社会性の発達だけでなく、知的な発達においても優れた傾向を示すのは、母親をまさに安全基地として、子どもは、外の世界への活動に没頭できるからである。(以上)
ウニコットの「独りでいる能力」も同じ考え方です。浄土真宗を伝えることが、現代の病理の解決に寄与するということでしょう。
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