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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

宣教師の墓場

2017年02月13日 | 都市開教
“宣教師の墓場”という言葉があるようです。その意味するところは、日本におけるキリスト教の布教が非常に困難で、苦労した挙句に宣教師自身が棄教してしまう事さえあるという。

フランシスコ・ザビエルが、日本に初めてキリスト教を伝えた1549年、日本は室町時代末期、戦国時代前夜です。山口県の大道寺(日本最初の常設の教会堂)で一日に二度の説教を行い、約2カ月間の宣教で信徒数は約500人にものぼった。結局は、開教に失敗しています。

現在、クリスチャン人口は1%以下であり、伝道者、宣教者の必死の努力にも拘わらず実質的なクリスチャンの人口比率は、もう長期間に亘り減少し続けているという。素晴らしい福音を伝えようとして頑張っているのに、開教が実らず宣教師の間では「日本は宣教師の墓場」と囁かれているとあります。

色々な原因がありますが、一つには日本人は空気に支配されているということが挙げられます。「みんながしている」ということです。普通でないことをするとき、躊躇する気概があります。

ところが“みんながしている”となると前のめりになります。40年ほど前、結婚式は日本の神式が9割で、後の一割が仏教、キリスト教などでした。それから10年で、キリスト教が9割で、他の一割が仏教、神前結婚となりました。原因は“みんながしているから”です。

この空気に支配されているという状況は、浄土真宗にはプラスです。その空気の中に浄土真宗も入っているからです。

その空気の中に入っていることが、逆に僧侶の怠慢や甘えを生んでいることも確かです。空気の中に入っている間に、しなければならないことを、すべきでしょう。
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