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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

パロディ宗教

2023年10月23日 | 新宗教に思う
『創造論者vs.無神論者 宗教と科学の百年戦争』 (2023/9/11・岡本亮輔著)、

 二〇二〇年一月、アルゼンチンの元サッカー選手ディエゴ・マラドーナ(一九六〇~二〇二〇年)が亡くなった。強烈な個性、派手な女性関係、マフィアとの黒い交際、ドーピングや薬物問題など話題に事欠かない人生だったが、何よりサッカーの天才として世界に愛された。マラドーナヘの愛から一九八九年にアルゼンチンに移住した藤坂ガルシア千鶴は、このW杯をきっかけに、マラドーナはサッカーの天才から神になったと評する。愛称として、スペイン語で神を意味するDIOSと背番号10を合わせたりD10S(神の手)が使われるようになら。マラドーナが両親のために初めて買った家は、今では神の家という名で公開されている。
 そして一九九八年、マラドーナ教会が設立された。設立者の一人は「アルゼンチンの人々にとってサッカーは宗教であり、全ての宗教には神がいる。そしてサッカーの神はマラドーナだ」と語る。聖典はマラドーナの自伝で、「ボールを汚してはならない」「何よりもサッカーを愛せ」という文言を含む十戒も作られた。
 教会特有の暦もある。マラドーナが生まれた一九六〇年を基点とし、それ以降がAD
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 こうした祝日には信者たちが集まり、D10Sと書かれた祭服をまとった司祭の進行で、マラドーナを祀った祭壇を囲んで礼拝を行う。


マラドーナ教会のような現象はパロデイ宗教と呼ばれる。他にも疑似宗教、世俗宗教、凖宗教、仮宗教、創忤宗教といった言葉もあるが、本書ではパロディ宗教を用いよう。理由は、パロディ宗教の多くがキリスト教をけじめとする伝統宗教を元ネタとし、伝統宗教への皮肉や風刺となるからだ。
 そして重要なのは、パロディ宗教をけじめとする右の一群の言葉には「偽の宗教現象である」というニュアンスがあることだ。部分的には宗教的な要素や雰囲気は見てとれるが、長い伝統を持つ「本物の宗教」とは根本的に区別されるという含意である。

(以上)
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