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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「自己決定権」という罠①

2024年08月05日 | 現代の病理
『【増補決定版】「自己決定権」という罠:ナチスから新型コロナ感染症まで』(2020/12/25、小松美彦・今野哲男著)、中々興味深い本です。以下転載です。


九○年代になってから広まっていったのはどうしてなのでしょうか。私は、その理由にも、大きく分けて二つあると思います。
 一つは、脳死・臓器移植の問題です。
 この問題に関する基本的なプロセスを簡単に押さえておくと、まず八〇年代の前半になって、当時の指導的な移植医たちの間で、六八年の札幌医科大学の和川有郎教授による心臓移植以降、長い間夕ブー状態に置かれてきた日本の脳死・臓器移植を、何とか解禁したいという動きが出てきました。先端医療という場所で、長年眠っていた脳死・臓器移植の問題が、議論の中心として復活したわけです。
 この事態には、脳死判定基準の作成や、効果的な免疫抑制剤の開発などの臓器移植にかかわる医療技術の進歩といった要素も強く関係していました。そこで捲土従来とばかりに、多くの移植医たちが、脳死は医学的な死であると自分たちが専門家として主張しさえすれば、長年の禁忌を突破できると考えたわけです。しかし、彼/彼女らにとって残念なことに、この計画は、スタート早々の時点で、もろくも崩れ去ってしまいます。
 その要因としては、東京都立人学教授唄孝一氏という著名な医事法学者が、脳死・臓器移植に関する慎重な見解を公にし、移植医たちの計画に対して広範な慎重論が巻き起こるきっかけをつくったことが大きかったと思います。
 隕氏の見解の主旨は、脳死が仮に医学的に見た死であるとしても、脳死・臓器移植が、日本社会で認知され実際に執り行なわれていくためには、専門的な科学行たちの認定だけでは足りないというところにありました。つまり、広範な社会的合意が形成されるかどうかが、脳死を認知するポイントだと主張したわけです。そして、この見解は、隕氏がドイツ法の研究をとおして日本社会にインフォームドーコンセントの考え方を普及させたパイオニア的な存在だったということもあり、当事者も含め、やがてマスメディア、省庁などがこぞって認めるところとなります。
 そこで、推進側は、社会的な合意の取りっけという方向に、当面の方針を転換することになりました。マスメディアや省庁が実施する各種のアンケート調査を利用して、脳死を死と認める人の割合を弾き出し、その比率が高まれば、どこかの時点で、それを社会的な合意と見なせばよいということにしたわけです。もともと隕氏が述べていたことは、そのような形式的なことではありませんが。
 ところが、実際にアンケート調査を実施してみると、八〇年代にはどの調査においても、脳死を死と認める人が半数を超えたことはありませんでした。
 そこで一般向けの調査を早期に合意を得ることは難しいと判断した推進側は、いくつかの学会に働きかけ、脳死が死であることを宣言させようとしました。しかしながら、これも、学会が紛糾して宣言することが不可能になったり、宣言は出ても、それ自体が批判の目に曝されたりということが重なり、社会的に広く認められるところまでには至りませんでした。つまり、脳死・臓器移植の解禁という大目的の達成を理由づけするために繰り広げられた社会的な合意の取りつけという試みは、一進一退を繰り返しながらも、結局、最後まで成功しなかったわけです。
 かくして、推進側か最後に持ち出しだのが、[自己決定権」の論理だったのです。(つづく)
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