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『俳家奇人談・続俳家奇人談』(岩波文庫・家内玄玄一著)に、瓢水が掲載されていました。
瓢水居士
播陽(ばんよう)の瓢水は人にしられし富家なれども、俳事に金銀を擲(なげう)ちて後まづしかりしも、心にかけぬ大丈失なり。富春斎ある年の元旦に、
かつちりと打つ火のほかは去年(こぞ)の物
流るるやわが抱籠(だきかご)はあらし山
ふみぬいだ足にて音やけさの秋
そのほか調なること思ふべし。平生(へいぜい)したしき人の、難波の遊女を根引(ねびき)せんと云へるをいさめて、
手にとるなやはり野におけ蓮花草
ある人に達磨の賛こはれて、
観ずれば花も葉もなし山のいも
とし老いて俳諧の名手と聞え、御所へ召されたる時、
けし炭も柚味噌(ゆみそ)につきて膳のうへ
なみなみの俳人にはあらざりけらし。
さてはあの月が鳴いたか時鳥(ほととぎす) (温故集には藻風とあり、不審。瓢水、初名藻風と云ひたるか知らず)の詠は、かの左大臣どのの古歌より取り得て至妙なり。あるひは初句一こゑと直して、蕉翁とし其角となすは知らぬ者のいつはりなり。閖田子にゆづりて委しくはしるさず。(以上)
以下はウィキペディアより転載
滝野瓢水(たきの ひょうすい、貞享元2年〈1684〉 –宝暦(1762)は、江戸中期の俳人。滝瓢水とも。
播磨国加古郡別府村に生まれる。通称は叶屋新之丞のち新右衛門。生家は千石船七艘を有する富裕な廻船問屋だったが、瓢水の遊蕩乱費のため没落する。俳号は瓢水の他に富春斎(ふしゅんさい)や自得(じとく)等がある。
同時代の書物には、「生得無我にして洒落なれば笑話多し」、「俳事に金銀を擲ちて後まづしかりしも、心にかけぬ大丈夫」と記されている。洒脱な中にも人間味のあふれる作品を残した。
宝暦12年(1762年)5月17日(現在暦では7月8日) 旅先の大阪にて没。享年79歳。
(大阪の知人が遊女を身請けしようとしていたのを諫めて詠んだ句)
手に取るなやはり野に置け蓮華草
(亡き母の墓 最も人口に膾炙した作品であるが、姫路獨協大学教授の富田(渡邉)志津子によると「後年の伝説による句で、実の作ではない」とのことである。前で孝行できなかったことを悔いて詠んだ句)
さればとて石にふとんも着せられず
(没落し蔵を売った際に詠んだ句)
蔵売って日あたりの善き牡丹かな
(風邪をひいて薬を買いに行ったことを、「娑婆への未練」と断じた禅僧に送った句。加古川市の宝蔵寺に句碑あり)
浜までは 海女も蓑着る 時雨かな
(神戸市須磨区の禅昌寺に句碑あり)
本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉(もみじ)かな
(加古川市の鶴林寺に句碑あり)
ほろほろと雨そふ須磨の蚊遣哉
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