法話メモ帳より
小堀遠州と加賀藩三代前田利常公とは茶道を通じる交遊関係がありました。寛永11年の将軍家光上洛の折、利常公も上洛に供奉するために琵琶湖畔の大津屋敷に滞在しました。
近々客を迎えて茶会をしようと、茶室の露地として泉水を掘り、築山を築いて庭を造成した。そのとき利常は留守であったましたが、遠州は庭を見てまわって「大名の庭としては小さすぎる」と批評されました。それを聞いた利常公は、泉水を埋め、築山を壊して、かわりに、茶室から琵琶湖と比叡山と三上山といった近江の大風景が観覧しうるように作庭したところ、遠州から「これぞ大名の庭」とほめられたとのことです。「作庭記」の記す平安時代寝殿造りの庭づくりの主題は自然順応主義にあり、自然の好風景を庭造りや建築に生かすことです。寛永6年には、江戸城西の丸の大手門内に山里丸を築く大工事が行われましたが、その際、遠州は茶室から見越しに富士山がみえるように作庭して将軍に喜ばれています。(板垣信精『松梅語園』)
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