仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

心を浄化する作用

2023年05月09日 | 浄土真宗とは?
 『動物の心 人間の心- 科学はまだ心をとらえていない』(戸川達夫著)からの転載です。

人間の心が傷つきやすいことは、心を傷つける要因を避けるための防衛機構として進化したと考えられることを前に指摘しましたが、その一方で、傷つきやすい心の出現が思いがけないところで、心を満たす手段をもたらしたのではないかと考えられます。心の傷は当事者にとっては大きな苦痛であり、傷が癒やされることを切望することは体の傷と同様ですが、体の傷と心の傷では周囲の人に与える影響が違っているように思われます。体の傷も心の傷も感受性の高い人に共感を起こさせますが、体の傷に対してはひたすら傷の回復を求めるのに対して、心の傷に対しては、傷の痛みを共有して心にとどめ、それが心の充足につながる事柄に結びつくように思われるのです。それは、心の痛みが共感による苦痛をもたらす一方で、傷つく心を持っていることへの好感ともいえるような、心の充足を与る要素があるのではないかと考えられるからです。例えば失恋は当事者にとって大きな心の痛みであるには違いありませんが、一方では失恋する心には魅力を感じさせる要素もあるのです。トーマスーマンは『道化者』の中で、「人は失恋などで滅びるものではない。失恋というものは、一つの悪くないポオズである。失恋をしていると、人は自分で自分が好きになる(文献5)とさえいっています。失恋をテーマにした文学が多いのは、そこに人を引きつける要素があるからに違いありません。
 夫恋よりももっと深刻な心の傷害においても、心の傷には人を引きつける要素があります。取り返しのつかない悲惨な出来事をテーマにした悲劇が、心を浄化する作用があることはカタルシスという概念でとらえられることがあります。アリストテレスは、悲劇は「いたましさと恐れを通じた情念の浄化の達成」(文献6)だといったように、心の痛みに共感することにおいて、共感する側の心を満たす効果があることが認識されています。
 もし心を傷つけられた事柄が人の心を満たすことにつながるとすれば、心を傷つけられた出来事が多くの人に広く伝えられ、また世代を越えて継承されることでしょう。世代を越えて伝えられる事柄は文化であり、したがって心の傷が文化を形成していく要因となることになります。実際、神話や伝承の中には不参な出来事の内容が多く、心が傷ついた人の物語に共感を覚え、それによって心の充足がもたらされるものです。(以上)

傷ついた心がより豊かなものを生み出す。阿弥陀仏の慈悲が思われます。
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