仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

芝原郷音師の思いで

2010年04月21日 | セレモニー
昨日、本願寺での朝のお勤め。ゆったりと進むお経の響きのなかで、30年前、築地本願寺に勤務していた頃の朝事のことを思い出した。

毎月、聖徳太子と法然聖人の命日には、通常の勤行後、余間に移り、輪番が焼香して『早引和讃』のお勤めがある。早引とは、念仏を和讃の間に挟まないで勤めるから早引きという。同僚のSさんが、早引きだからと、どんどんと読むスピードをあげていった。

すると当時輪番であった芝原郷音師が、読経中もかかわらず立腹して、カネを撥でカンカンカンカンカンと連打して、当時、法務の主任であった篁薫海師を「篁くーん」と大声で呼び、その誤りを告げた。

私たち若い者は“輪番が怒っている”と思い、事の成り行きをみまもった。しかしそのとき最初から称え直したのかどうかは覚えていない。

おそらく輪番の心境のなかでは、法然聖人の命日にあたって和讃に接するご縁を楽しく豊かな時間を過ごしていた。すると若いものがやっつけ仕事で経を読んでいる、そのうち腹立たしくなって、カネの連打による読経中断となったのであろう。

今から思うと、その師の後ろ姿に、どれだけ導かれただろう。本山での朝の読経で思ったことは、腹を立てることによって人を導くということがあるということです。いいかげんであったら腹も立ちません。
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