仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

ペットの死耐え難い

2009年12月27日 | 人生案内
昨日(21.12.26)の読売新聞、人生案内、こうした質問コーナーは、ほとんど読むことがない。何か自分なりに答えなけらばならないという義務感もつ。読んだときは、こうして紹介している。ということは3カ月くらい人生案内を読んでいないことになる。見出しだけ読んで、内容がわかるので、それだけでなんだか重たくなる。

ところが昨日は「ペットの死耐え難い」とあった。これは仏教者で出番と読んだ。そしていつものことながら解答は読まず、自分なりに解答を出す。そして解答者との違いを楽しむ。

内容は次の通りです。

60歳代後半の主婦。子どもはいません。先日、ペットが死にました。日がたてば、気が紛れると思っていたのですが、日に日に悲しみが増すばかり。食欲もありません。 夫には悪いと思うのですが、どうしようもありません。何か楽しくなることを探そうかと思うのですが、何もする気になりません。
 たかが、ペットが死んだぐらいで……と思われるかもしれませんが、私にとっては子どもと同じだったのです。どうすれば、気持ちを切り替えられるのでしょうか。アドバイスをいただければ、幸いです。(埼玉・F美)


 つらいですね。愛する相手を亡くした時は、それが人でも動物でもつらい。ペットの死で落ち込むのは変だという人がいますが、私はそうは思いません。死による喪失感から回復することは精神的に大変な仕事とも言われています。
 あなたは、早く気持ちを切り替えなければと焦っていませんか。楽しいことを見つけようと努力するのはいいことですが、回復するのには時間がかかるものです。悲しい気持ちを無理して抑えて我慢せず、泣きたい時は思いきり泣く方がいいんですよ。
 さて、心の回復に効く処方せんですが、悲しみをオフにする時間帯を、1日に2時間作っておくことから始めてはいかがでしょう。1日に2時間だけは他のことに集中する。
 楽しいことでなくていいんです。難しい料理作りに集中するとか難しい講義を聴きに行くなど全精力を集中しないとできないこと、あるいはダンスや水泳など体を使うことに集中するのです。
 それが終わったら、後の22時間はペットを思い出して悲しんでください。悲しみをオフにする時間帯を作ると、次第にそれが悲しみの時間と逆転していくはずです。私自身も愛猫を亡くした時、仕事に集中する時間で救われた経験があります。お大事に。 (海原 純子・心療内科医)
(2009年12月26日 読売新聞)

回答者の説は、一つの試みとしては妥当です。次は私。

お辛いですね。ご自身でも想像していなかった状態。私はせっかくだから、気持ちを切り替えたり過去の事実を忘れて解決するのではなく、その悲しみや意気消沈した気分の底にあるパンドラの箱を少し見つめたらいかがでしょうかということを提案します。といいますのは今まで恐らくあなたは、ご自身の思わくや力で人生を切り開いてきたのではないですか。ところがこのたびは、自分でもどうにもならないコントロール不能の出来事におそわれた。

解決しなければならないことは、ペットの死の問題ではなく、コントロール不能な生に対する自分の立ち位置というか仏教でいう智慧を開発にあると思います。もしその方向へ向かうとすれば、今起きている寂しさや悲しみは意味のある出来事になります。

具体的には、悲しい事実を忘れる努力から、悲しみの中に身を置く努力を少しされたらいかがでしょうか。たとえばお経のCDを買ってきて毎朝、20分お経を聴くか読んでペットのことを思う。あるいは日常生活の中でペットのことが思われた「南無阿弥陀仏」と念仏を称える。いがいとペットのことを思っていない時間が多いことに気づくでしょう。あるいはお寺で法話を聞いたりしてペットのことを回想する。100万いきたねこの絵本もいいですよ。そうした体験を通して、悲しみの背後に一緒に暮らしたという喜びがあることや今までにない価値観に気づくかもしれません。大切なことは気持ちを切り替えることではなく、新しい自分に出会うことです。どうぞお大切にしてください。(以上)

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