アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

豊田市美術館で「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」を見ました。

2022-09-29 16:13:51 | 映画とドラマと本と絵画

    ひと月前、終了直前の展示会を見に、豊田市美術館に行ってきました。美術館へ行くのは何年ぶりだろう。少なくともパンデミックが始まってからのこの2年半は控えていたので、3年以上ぶり。

   展示品は、家具、建物の写真、什器、衣服、生活すべてにわたるさまざまなもの。

  ミロの絵までありました。

   服は、今着ても何も違和感がなさそうなものが結構ありました。この帽子、気に入った。かぶってみたい。コルセットから解放された女性たちの緩やかな衣装がたくさん展示されていました。緩やかでしかも女性的。化繊もすでにでていた頃かと思いますが、素材の多くは絹やウールでした。

  ポスターの絵柄やロゴデザインは、このころならではの雰囲気です。昭和初年の字体といえばこんな。構図も日本でも同じようなものがたくさんあったと思います。戦争中の様々なプロパガンダのポスターの惹句も、こんな書体で書かれていたのを見た記憶があります。

   陶器のポットです。左のポットがすっきりしていてすてき。もち手は籐製。日本の急須の影響? それとも日本の急須がこちらの影響を受けた?

   この頃~1900年代初頭~に、現代につながるあらゆるデザインの元が出来上がったよう。各国の伝統的な織物の柄を取り入れた壁紙なども散見。和柄としか思えない模様の壁紙があったり、当時の流行の柄を着物に取り入れたりと、先進国のデザイナーたちが、自国の文化にとらわれ、より新しいデザインや意匠をもとめていたのだということを感じさせました。

  面白かったのは、日本の着物の意匠デザインに、カンディンスキーを模した帯だとか、「ナポリの浴槽」と名付けられた柄とかがあふれていたこと。バウハウスができてじきに、バウハウスで勉強した日本人たちが日本で形而工房をつくり、日本の部屋に合わせた椅子のデザインをてがけています。

   奇をてらっただけではないかと思える陶器や椅子もありましたが、今の家で使っても部屋にマッチし、使い勝手も悪くなくておしゃれだろうなとおもわれるものもたくさん。この黄色いセットもそのひとつ。

  膨大な展示品に圧倒され、あれこれ友人たちと作品についておしゃべりしながら見て回ったら、3時間以上たってしまいました。

  100年前の作品群が、ほぼどれも古臭く感じられなかったのは、逆に言うと、あのころ作られたデザインの基礎といったものが根底から覆るということが、この100年、ほぼなかったということなのでしょう。その前のフランスやドイツの王朝期の家具や衣服はいかにも古めかしく、着心地も使い勝手もわるそうですが、この時代、貴族や王族にかわってブルジョアが登場したことによって、市民階級が力を持ち出し、生活に潤いを持たせる調度や什器の洗練に磨きがかかったとおもわれます。

  最近のはやりのスカートに、裾の前側が短めで、後ろ側が長いデザインがありますが、まさにそれと同じデザインのスカートが、展示品の中のスケッチだったか何かで発見しました。新しいデザインではなかった! もう、ほとんどのデザインが、既にこの時代にやりつくされてたんだな、ということを改めて感じた展覧会でした。

  ということは、現代のデザイナーたちは、全く新しいデザインを生み出すことは難しかろうということでもあります。この時代の後、70年後くらいに、パンクまででてきてしまったから、こわす、ということもデザインの一つに組み込まれてしまい、それも飽きられていると思います。そんなこんな、ひさしぶりにあーだこーだとしゃべったり思ったりするのが楽しい展覧会でした。

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映画「黄色い大地」

2022-09-29 14:15:28 | 映画とドラマと本と絵画

  久しぶりにいい映画を見ました。1984年のチェン・カイコー監督の映画。撮影がチャン・イーモウ。彼の初めての撮影作品だそうです。黄色い大地(1984):映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画

  ときは1930年代。舞台は、黄色にしか見えない大地が延々とつづく山岳地帯。その地に残る民謡収集を目的に、八路軍の一人の兵士がやってきます。民謡収集の目的は、各地に伝わる民謡に別の歌詞をつけて、共産党のプロパガンダの材料にすることです。

  兵士はこの地で「最も貧しい家」を選んで宿泊します。この家に住むのは、老爺としか見えない40代の男性と14,5歳の娘、知的障害らしい息子の3人。家とも呼べないようなあばら家に住み、食べ物は毎食薄い粟粥だけのよう。何キロもあるいたところにある長江まで水を汲みに行くのですが、それは幼い長女の仕事。父親と息子はカチカチに見える大地を耕し、穀物を蒔く。

  映画の冒頭は村の婚礼シーンで始まります。若い、こどものような花嫁の顔は、緊張と不安で苦しみに満ちているのに対し、中年に見える夫は相好を崩しいやらしく笑う顔が映されています。貧しい村では嫁は働き手で子を産む道具。高い持参金を出してやっと手に入れられます。貧しい家の娘、翠巧は壁に隠れてその様子をこわばった表情で見ています。

  主人公の兵士は、一家の父親に歌を歌うことを請います。でも、父親は無言。彼らの歌う歌は気持ちが乗らないと歌えない。そのことを悟った兵士は根気よく彼らと付き合いますが、やがて別れの時が来ます。

  その前夜、父親は突然即興で歌い出します。自分たちの生活をうたう歌。染み入るような声音です。

  一方、父親と同様かたくなに歌うことを拒んでいた娘も、兵士を見送った帰り、いくつも丘を越えたところから、歌を歌い始めます。その声のすばらしいこと。今でも思い出すと胸が熱くなります。

  歌というのはこういうものだ。歌詞の言葉とメロディが密接につながっていて、無理なく調子が続く。びっくりするような転調や、ことばと音が不自然になっているところはまったくない。

  そういうことをつくづく思った映画でした。別れの後、娘はこの若さで無理やり持参金のために嫁にやられます。そして最後は・・・・・。

  曲だけでもまた聞きたいと思いましたが、たぶん、すばらしいことはすばらしいけれど、きっと、物語があったからこそ、歌の良さが私に伝わったのだろうなと思いました。

  中国での評価は二手に分かれる、とウィキペディアにありました。たぶん、八路軍の扱いが複雑だからではないのかなと思います。いずれにしろ、中国の底の深さ、大きさを改めて感じた秀作でした。

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ガキ大将養成講座拠点さくら村で石窯の会開催。

2022-09-29 09:37:17 | アンティマキの焼き菓子とパン

  旭地区の森、ガキ大将養成講座の拠点のさくら村で、石窯の会を開きました。

  7月の初めに開催の予定でしたが雨でお流れ。8月の終わりに再度予定しましたが、またまた雨のため中止。今回は3度目の正直で、やっと開催できました!

   今回のピザは、いつもの生地に、レンコン、チリメンジャコ、ピーマン、タマネギ、シイタケ、ニンニクと2種のチーズをのせました。この組み合わせ、好評でした! ピーマンがなかなかいい。トマトソースは有機トマト缶を開けて塩勝しただけのシンプルなもの。

   参加者は10名。平日開催としたのは初めてなので集まりが悪いかなと思ったのですが、「平日だからこそ来れました!」という方も結構いらっしゃり、すぐに定員一杯に。走りまわる子供のいない、ほぼお母さんたちだけの会となりました。

   ピザには、石窯近辺に生えていたセイタカアワダチソウをトッピング。ほろ苦い味がアクセントになりました。

   参加者のお一人に庭師さんがいらして、どこからか竹を調達してきてぱっぱと(見ていませんが)花瓶を手作り。その辺の秋の草花を生けてくださいました。ススキ、野菊、水引、カヤツリグサ、エノコログサほか可憐な花が数種類。

   水を張った鍋の中に持参したクロモジの小枝と参加者が周辺で見つけてきた桑の葉、窯の中でほど良く焼いたエノコログサを入れ、そのまま窯に入れて森のお茶を煮出しました。クロモジの香りにエノコログサの香ばしさが加わった、いかにも体によさそうなお茶ができました。

   窯の火の担当をしてくれたのは、さくら村スタッフの一人、みわさん。数か月使っておらず、しかも雨続きだったので、薪も窯の中も新聞紙もマッチまでもしけっていて、最初の燃えつきがなかなかうまくいきませんでしたが、だいぶたってからやっと軌道に。その後は調子よくあたたまりました。この日は、レーザー?で測る温度計がなかったため、窯の天井の色と300度までしか測れない小さな温度計を頼りに焼き時を決めました。

   ほぼ勘で焼くのは久しぶり。心配しましたが、けっこう上出来の焼き具合のピザができました!

   昼ご飯のあとは、スコーンづくり。みわさんの希望でジャムをサンドした「お雛様スコーン」を作りました。間に挟んだのは、自家製のイチジクジャム、和梨ジャム、それに参加者が持ってきてくださったブルーベリージャムです。

   お雛様スコーンと命名したのはみわさん。

   いつものよりも薄くて小さめだったこともあり、焼き加減が程よくて、とてもおいしいものになりました。

   参加者のお一人がご持参くださったバタフライピー。青い花です。お湯を注ぐとインクのような真っ青な色に。

   その真っ青な液にシークワーサーをちょっと注ぐと赤むらさきに変身! しばし全員、変化の美しさにみとれました。

   さくら村の石窯は、ハウスポニーの石窯とは違って、お風呂方式。つまり、下から焚く形式です。燠を出す手間はいりませんが、ともすれば窯の床が熱くなりすぎるという難点があります。でもそれは、もらった天板を逆さにしておくことで、クリアーでき、かなりいい感じに焼けるようになりました。そのうち、こちらで、パンも焼き菓子も焼いてみたい。窯の中が冷めてきたら温めればいいので、わりに楽にできるかもしれません。

   今年はさくら村の石窯を使わせてもらうようになって、石窯に対する愛着がこれまで以上に高まりました。11月には、足助にある市の施設すげの里にある石窯で、遊ぶ会のお試し会を開きます。うまくできるようになったら、来春から不定期に、すげの里でも石窯の会を開きたいと考えています。追ってまた告知いたします。

   

 

  

 

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