ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)

日本コンピュータクラブ連盟・日本霊能者連盟・日本占い師連盟各理事長・メイドリラク萌とカードカルト経営者 山本隆雄の日記帳

今朝もあさ4時半におきて三江線全線乗車。始発の江津5時53分発(次便は6時間11分後)に乗車三次までいき戻ってきます。本日の電車は3両編成。かつて三江線名物だったカンカン部隊(魚行商人)は絶滅。

2018-03-07 04:55:22 | 三江線

本日の行程
江津    5時53分発   三江線 江津始発   普通 三次行き    9時21分三次着        3両  16席クロスシート他はロングシート  
三次   10時02分発   三江線 三次始発   普通石見川本行き  12時18分石見川本着   3両 16席クロスシート 他はロングシート 
石見川本 13時45分発   三江線 石見川本始発 普通 江津行き   14時37分川平着        3両    16席クロスシート 他はロングシート 

江津       16時30分発  山陰本線 浜田始発   普通 米子行き   18時15分出雲市着    2両 クロスシート

 

今朝は朝4時半に起きました。午前5時53分発の江津始発三次行に乗るためです。
叔父さんに朝ごはんを作ってもらい、車で江津駅まで送ってもらいました。
午前5時43分に江津駅に到着。

真っ暗です。でも、午前中に江津駅から出発するのは、この1便だけです。
午前5時53分発の次の便は、なんと12時34分。なんと6時間以上あいだがあいています。

3両に90名くらいが乗車しています。1両の着席数が40なので、全員着席できます。
私は、4人掛けのボックス席の進行方向をみれる窓側の席を。

子供のころ、朝の三江線に乗ると、カンカン部隊と呼ばれる魚の入った大きな四角いカンカンを持ったおばさんたちが多数乗車、車内は魚くさかったものの、本日は、カンカン部隊の人は一人もいませんでした。
三江線からカンカン部隊は完全に消え去っていたようです。カンカン部隊とは、カンカンに魚を詰め行商するおばさんたちの総称です。
カンカン部隊は、浜田または江津から三江線に乗って、川平とか川戸とか各駅で、チリヂリになって、おりていきます。川平は誰。川戸は誰とか縄張りが決まっていたようです。
そして、その駅ちかくの各農家をまわり、魚を売りに行きます。浜田か江津の漁港から当日朝とれた新鮮な魚が運ばれます。川平にある母の実家や親せきの家では、カンカン部隊の人から新鮮な魚を買っていました。今、川平に住んでいる人は、どうやって、魚をゲットしているのでしょうか。江津のスーパーに買い出し、その時、魚を買っているのだろうと思いました。
大阪では見られない光景なので、印象に残っています。
三江線沿線の農家は、家に居ながらにして、朝、漁港で水揚げされた新鮮な魚がたべられるわけです。
他の地方の農家と比べて、魚を食べるということについては、恵まれいると思われました。

昨日、こちらに来るときは、潮駅付近で日没、本日は、川戸駅くらいから明るくなってきました。
川戸駅、現在、三江線沿線で最大の乗車人員を誇る駅です。ここからかつては、各方面に石見交通バスが出ていました。
市山というところに、母の妹家族が住んでいます。その息子、私かみていとこになる人も現在も市山に住んでいます。
川戸駅も、川平駅と同じく、かつてはすれ違い駅でしたが、片方の線路は、引き払われ、線路あとは、なんと畑になっていました。

昭和47年の江川(ごうがわ)の大水害の時に、線路から江川までの間に建っていた民家はすべてなくなりました。
昭和47年の大水害は、晴天のへきれき大水害でした。
雨が一滴も降らない晴天の時に、未曽有の大水害が起こりました。
その2-3日前、三次盆地で豪雨。三次市の市街地は水没しました。
三次盆地の水がひいたころ、その水が、すべて、江川を通って、2-3日かけて日本海へ。
三江線沿いの江川沿いの(ごうがわ)集落すべてが、水没しました。
川平の場合、駅前地区の集落すべてが、2階の屋根の上まですぼっりと浸水。完全に水没したと言います。
うちの母の実家は、川平町の中のかじや谷というところにあり、どの家も、山のふちに、数メートルの石垣を積んでその上に建てられています。
それでも、玄関先まで、水が来たと言います。
江津本町駅の近くの江川の上に、家の半分が突き出していた集落は、すべて、流失したとも聞いています。
三江線沿線のすべての町は、孤立しました。交通どころか、電話などの通信もできなくなりました。
川平の様子は、三江線の線路の上を命からがら江津まで逃げてきたという人からの伝聞で、江津の市街地に住む親せきから、うちの家族に伝わってきました。
そして、因原駅へ。
この駅では、珍しく、乗車客がいました。

そして、列車は、江川沿いにゆっくりと進みます。
ちなみに、江津・川平間の制限時速は30キロです。
競技用自転車には負けています。
線路と並列する道路を走る車には、必ず、追い越されます。
奥の方で、雲海が見られました。

雲海の中に突入。濃い霧です。
そして、石見川本駅に到着。

車内では、車掌以外に、JR米子支社の職員が、旅客案内をしていました。
駅ごとの乗降客数をカウントしていました。
そして、浜原駅に到着。このあたりは、雲海の外に出ていました。
昨夜来た時は、夜だったので、雰囲気が違います。

浜原駅に到着。

そして、江川に沿って、列車は登っていきます。

そして、天空の駅・宇津井駅に。地上から21メートル上にホームがあります。

そして、終点三次駅に午前9時21分到着。
三江線全線開通は、昭和50年。それまでは、江津から浜原まで三江北線。口羽から三次が三江南線と呼ばれていました。そのため、三江北線沿線の人は、江津へはでるものの三次へは行ったことのない人が大半でした。
昨夜、叔父さんとしゃべっていて、三次は、意外に大きな町であったというと、三次という町があるとは聞いていたけど、実際に江津からは行く機会がなく、
三次市に実際に行ったのは、比較的最近ということでした。川平より下の江津の町の人で、江川沿いに住んでいる人の中には、江川の水はきれいなものだと確信、飲み水に使っていた人もいたと言います。が、三次市の下水が混じった水を飲んでいたことなるとか。
江川の上流に、あんだけ大きな町があるなんて、誰も想像できないということでした。
日本にある200キロもある大きな川で、流域最大の町が河口付近ではなく、上流にあるなんていう話は、ほかに聞いたことはありません。
三江線沿線自治体人口 2018年2月28日または3月1日現在
江川下流より     三江線主な駅
江津市 23896人 川平・川戸など
川本町  3355人 石見川本など
美郷町  4787人 粕淵・浜原など
邑南町 10972人 宇都井・口羽など
三次市 53049名 式敷・尾関山など

終点三次駅で、いったん全員下されます。

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1 コメント

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ごじつ? (Unknown)
2018-03-07 23:34:34
今できることは、今やっておいた方が良いぞ。
ごじつ、なんて余裕はないはずや。
アンタ末期糖尿で死相出てるんやで。
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