平田篤胤を祀る平田神社に骨伝導機器とともに参拝です。
平田篤胤は、1776年(安永5年)生まれの江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者です。出身は出羽久保田藩で、現在の秋田市になります。成人後は備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となりました。荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人の中の一人として位置付けられ、復古神道の大成者です。
篤胤は独自の神学を打ち立て、国学に新たな流れをもたらしたことに特徴があります。
人間の死後の魂の行方と救済を中心に据えつつ、仏教・儒教・道教・蘭学・キリスト教など、さまざまな宗教教義なども進んで研究分析しました。統合的な宗教研究は、ヨーロッパ発祥の宗教学と共通する部分もあるといえるでしょう。
これは宗教だけに留まらず、西洋医学、ラテン語、暦学・易学・軍学などにも精通し、そのため学問体系は広範囲がゆえの不自然な融合を示すこともあり、複雑で錯綜した印象も抱くことになります。
しかし篤胤の学説は有識者にのみ向けられたわけでなく、庶民大衆にも向けられたことで、大衆向けの大意ものを講談風に口述し、弟子達に筆記させていました。これを出版したことで、町人や一部の農民層の人々にも支持を得ることになりました。
明治維新期には平田派は大きな影響力を持つことになりましたが、国家神道の形成によって、徐々に明治政府の中枢から排除されるようになっていきました。
時代の流れを作ったのは事実で、何百人という弟子に対してを教育をし、その弟子たちが明治維新後に活躍し、近代日本の基礎をつくったのは大きな誇りといえるでしょう。
平田神社は、新宿からも近い場所にあり、最寄り駅としては小田急線の「南新宿」となります。駅から北西に少し行ったところに位置し、完全な住宅街です。
3階建てのビルの1階が神社と社務所になっていて、いかにも都会の神社といった雰囲気です。
神社としては、明治初年に東京柳島横川町(現在の墨田区)に平田家邸内社として創祀されたのが最初で、その後、小石川第六天町(文京区)に遷座し、現在地には昭和34年11月に遷座されました。昭和62年には社殿を全面新築し、現在の姿になりました。
御祭神の平田篤胤は日本近代化の「夜明け前」の先駆者となり、明治維新の原動力となった人物ですから、ここを参拝する際に、現代の最先端特許技術を駆使した骨伝導機器を使用するのは、何とも相性が良い感じがします。
ただ米軍採用の骨伝導機器といえども、平田神社の周囲は都内でよく見かける平凡な住宅街で、耳だけでなく骨からも伝わる音声だけに限れば、ごくごく日常の延長空間のようです。驚異的な骨伝導パワーを体感しなれている人物ではなく、初めての人には、平田神社の近代日本構築のパワーと最先端骨伝導パワーの融合が、全身で感じ取れるかもしれません。
⇒ 日本の最先端骨伝導パワー
古来から続く神と異なり、近代日本の礎を築く思想を広めた祭神として、この時代、改めてここに参拝する価値は十分にあるといえます。むしろ混沌とした「今」だからこそ、ぜひ参拝してみてください。
できれば骨伝導機器を一緒に行ってください。
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