鎌倉時代、2代将軍・源頼家の側近・近藤三郎是茂の家来で荒井外記、智明が、頼家公暗殺の後、名を宗祐と改め、この地に隠遁しました。主君の菩提を弔って暮らしていましたが、建暦2年(1212年)8月15日夜、霊夢の中で八幡大神の託宣と宝珠の鏡を感得し、元八幡の地に小さな祠を建て、鶴岡八幡宮を勧請したのが、代々木八幡宮の創始とされています。
草創以来、社僧の手によって管理され、天保元年(1644)には伝養律師が中興開山として天台宗に改め、次いで二世の僧が社殿、植林などの整備を行い、 三世の長秀法師の代に現在の場所へ奉遷したといわれています。
明治維新以降になると神仏混淆が禁止されたことで、村社に列せられるようになりました。江戸時代からの稲荷社、天神社の末社に加え、旧代々木村にあった小さな神社が合祀されるようになり、現在の代々木八幡宮となりました。
現在では多くの車が疾走する山手通りに面した小高い丘に代々木八幡宮はあります。都会の神社で、しかも交通量の多い通りに面しているとなると、骨伝導機器の出番です。米軍で採用された特許技術が大いに活かされる環境といえます。
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しかし参道から奥へと進んでいくと、鎮守の森を形成する聖域は、騒音に包まれてることはなく、静寂とまではいかなくても、落ち着いた雰囲気が漂っています。とても気持ちの良い環境です。遺跡もあり、古来より人々の生活と聖域をつくっていただけのことはある空気に包まれます。そういう意味ではパワースポットといえるでしょう。
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