骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

深川神明宮を骨で聴く

2015-12-22 14:22:09 | 骨で聴く巡礼旅
東京で「深川」といえば、深川丼(深川めし)が名物として知られます。
アサリ、ハマグリ、アオヤギなどの貝類とネギなどの野菜などを煮込んだ汁物を米飯に掛けたものや、炊き込んだものになります。もともとはアサリではなく、江戸の深川近辺で大量にとれたバカガイ(アオヤギ)を用いたのが起源にようです。
現在のようにアサリを使うようになったのは明治・大正頃だといわれます。

さて、その深川ですがこの地名の由来は人名からきています。
慶長元年(1596年)、徳川家康がこの地域を巡視した際、深川八郎右衛門を呼びよせ地名を尋ねました。

「まだ住む人も少なく地名もない」

と応えそうです。
そこで家康は八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じたという伝承があります。

以来、深川の地は江戸の繁栄とともに賑やかな町となりました。地名の由来となった深川氏はこの地を開拓し、その功績により代々深川二十七ヶ町の名主を務めました。
その深川氏は宝暦7年(1757年)に7代で断絶してしまいました。墓所は菩提寺の泉養寺で、現在の千葉県市川市国府台です。

まだ「地名もない」といわれていた時代、現在の深川一帯は葦の生い茂る三角州だっといいます。
深川八郎右衛門が一族を引き連れてこの地に移り住んだことで、この土地の開拓に着手しました。
また八郎右衛門は信仰心から、屋敷のうちに小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の分霊を祀りました。開拓民の幸せと、深川の地の発展を祈念したといいます。

この屋敷内の小さな祠こそ、現在の深川神明宮の起源です。
深川の地が発展していき、八郎右衛門の屋敷の小さな祠も、いつしか深川総鎮守神明宮と称せられるようになりました。地域の人たちから多くの崇敬を集めるようになっていきました。

現在は交通至便な場所に鎮座していることになります。
都営新宿線・大江戸線「森下駅」で下車して徒歩2分、東京メトロ「清澄白河駅」からも徒歩5分という便利な場所です。

境内は広いわけではなく、都会の神社という雰囲気ではありますが、深川を代表する神社だけのことはあって、清々しい空気に包まれている感じがします。ただし周囲は静寂というわけにはいかず、都会の喧騒のすぐ隣といった雰囲気です。

やはりそんな都会の神社には骨伝導ヘッドセットが似合います。
高齢者の参拝者であれば、集音マイクとともに使える音声増幅器の「きくちゃん」、バイクで参拝に訪れる方にはヘルメットを骨伝導スピーカーに変えるBUHEL、スマホでユーザであれば骨伝導イヤーマイクEM21などがお勧めです。

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初詣に限らず、由緒ある神社には気が向いたときに出かけたいものです。
その土地に眠るエネルギーを浴び、癒し効果が発揮されるような気がします。特に深川はその開拓のパワーが漲っているような感じがします。




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