東京の青山といえば、ファッショントレンドの発信基地であることから、オシャレな街という印象が強いかもしれません。従って青山の地名の由来として、徳川家譜代の家臣・青山氏のことが語られる機会はほとんどないでしょう。
青山氏の姓の由来は、東京ではなく群馬県になります。
新田義貞の系譜を汲む新田師重が、上野国(群馬県)吾妻郡青山郷に住したことから、青山を姓としたようです。その新田師重の子孫が三河国(愛知県)に移住し、徳川氏の祖・松平氏に仕えました。
青山氏の9代目にあたるのが青山忠成で、天文20年(1551)に三河国岡崎に誕生しました。幼年時代から徳川家康に仕え、天正18年(1590)には、徳川家が関東へと転封になると、家康は青山忠成を先発させて現地に派遣しました。
忠成は文禄元年(1592)には、関東総奉行に任命されました。
官職としては常陸介にも任じられ、慶長6年(1601)には上総国・下総国を中心に合計18,000石を領することになりました。
まさに堂々たる譜代大名です。
エリートがその順風満帆な道を外れたのは、ほんの些細なことが契機でした。
青山忠成は、禁漁区にしていた鷹場を農民たちの収穫を守るための処置として、鳥を捕まえるための網や罠を仕掛けることを許可していました。これが家康の鷹狩りのときに判明してしまったのです。
理由はともかく、無断で命に反したことを家康は激高しました。
結果的に本多正信の仲裁によって死罪を免じられましたが、以後、謹慎を余儀なくされることになりました。
謹慎後にはこの事件の影響もなく、再びエリート街道を歩むことになります。播磨守の官職も得て、知行高も28,000石にまでなったのです。
こんな青山氏のストーリーは、あまり語られませんが、こんな角度から現在の青山という街を見てみるのも悪くないでしょう。当然、視覚だけでなく聴覚、特に骨伝導を使って骨で聴くことは必須といえます。
青山通りから青山墓地へ向かう途中の路地に、ひっそりと三河稲荷神社があります。
三河と縁のある青山ですから、当然の出会いといえばいえるかもしれません。
都会の片隅の神社といえども、青山氏と三河の歴史、徳川家との結びつきとを考え合わせると、何だか時の流れも意識してしまいます。
小さな神社です。鳥居から本殿までは徒歩数歩です。参道らしいものもありません。それでも妙な存在感を持っているのです。
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骨で聴く徳川時代…とまではいきませんが、耳からは都会の喧騒、骨からは稲荷神社に奏でられる音声という感じで、清々しいものです。骨伝導と脳波との関係はこういう場面で活かされるのかもしれない、改めて思いました。
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