いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

音声取り消し報道。 shut down a voice of news

2016-12-26 19:31:25 | 日記
 (1)国家機密を暴いて事実を伝えて国民の知る権利に応える報道スクープ(news scoop)は、メディアの強力な報道手法である。本来、外交問題に国家機密などあってはならずに主権者の国民に情報公開(disclosure)、提供して適切な判断、協力、支持を求めるのが国、行政の責任だ。

 外交問題に国家機密は必要だという論理は、国同士の都合、自己利益保護、自己満足、政治主導のための虚構でしかない。

 (2)NHKは今年、天皇の生前退位の意向をスクープして政治、国民に現在の天皇の思いを伝えて表面化して、8月の天皇自身によるメッセージ表明から政府による専門家会議で検討が本格化している。

 国民の過半数、多くが天皇の高年令、健康上の問題を理解して、生前退位を支持するダイナミズム(dynamism)となった。

 (3)そのNHK籾井会長は就任早々から問題発言が続き、公共放送の会長でありながら「政府がそういう考えなら従うしかない」(趣旨発言)と報道の自由を自ら否定するような発言をして、国会審議に度々呼び出されて質(ただ)されてNHK会長としての資質、能力に批判が集まっていた。

 当然、早々に交代するものと思っていたがそのまま居座り続けて、結局来年1月末の任期満了まで職責を続けて交代することになった。

 (4)NHKが公共放送、報道機関としての自浄作用が利かないまま、こういう偏向体制が続いたことは報道の危機でもあった。その偏向姿勢はNHK報道番組にもあらわれている。

 今月18日放送のNHKスペシャルのその名も「スクープ ドキュメント 北方領土交渉」で、安倍首相と外務省高官、秘書官が当時来日中のロシア・プーチン大統領との首脳会談での交渉対応を協議する場面を映像紹介した際に、一部音声を消して(shut down a voice of news)独自に編集して放送した。

 (5)番組はプーチン大統領が来日して安倍首相の地元の長門市での北方4島返還に関する首脳会談を行うという国民注目の中での、安倍首相と政府高官、秘書官だけでの打ち合わせ場面を映像紹介するという国民にとっては興味、関心の高いものであっただけに、テレビ報道が一部「音声」を消して処理して報道したのはまるで国民の知る権利、期待を逆手に取ってそれをあしらうかのような不純なものであった。

 (6)タイトルの『スクープ ドキュメント』も泣くし、報道精神性といえるものではない報道自己否定の堕落であった。
 外務省も「(外交機密について)具体的に何を話したのか承知していない」(報道)と言い、NHKは「個別の番組に関してはお答えしていない」(同)と言う。

 番組はすでに安倍、プーチン首脳会談が終わった後の放送であり、会談に影響を与えるものではなく、あきらかに首相、外務省サイドからの外交機密保護の意向が強く働いた「音声取り消し」放送であったのは間違いない。
 あるいは籾井会長が以前のように手回しよく政府寄りの判断、対応をしたともいえる。

 (7)どちらにせよ報道の自由、国民の知る権利を公共放送、報道機関が自己否定したという悲劇的結末だ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本能寺と天皇。 honno-ji and tenno

2016-12-25 19:57:47 | 日記
 (1)少し前に京都に寄ったついでに本能寺に出向いた。今は街中のアーケード街のすぐ脇に囲まれたところに位置しているが、信長が最期の時を迎えたといわれる場所である。

 当時は周りも開けた寺院であったろうが、今はすっかり街中の奥まったところの夕暮れに沈む本能寺の見上げる大きな本堂の前に立って信長の行き様に想いをはせた。

 (2)見上げる大きな本堂ではあるが、いくつもの寺院で構成される集積型寺院群でもなく、それから見ればこういうこじんまりとした本能寺にわずかの護衛だけを従えて信長がどういう心境で泊ったのか、史実を度外視して考えにふけってみた。

 京都というのは代々の天皇が居を構える祭りごとの中心地であり、当時権勢を誇って武家支配者として実質社会を治めていた信長なので、大勢の軍勢を従えての京都入りでは全国に知れ渡り天皇に圧力をかけるものであり、信長としては天皇と争うことよりは自らの権勢、統治力を認めさせて自然に思うように従わせることが本望ではなかったのではないのか。

 (3)わずかの護衛だけで天皇の注意、警戒を解いて、また信長の行動を全国的にさとられないための手段行動でもあったのではないのか。
 絶大なる権勢、権力、統治者としてわずかの護衛を従うだけで京都に乗り込む自信もあったのだろう。

 天皇のひざ元で事を起こすこと、絶大な権勢を誇る信長に手向かうものなど考えられないという自負、思惑も考えられる。
 そうしておいて京都に宿泊して睨みを利かせて、一方で争うことなく天皇に自らの絶大な権勢、権力、統治者として協力、服従を認めさせて迫る目的はなかったのか。

 (4)結果としては行動を知る身内の明智光秀軍勢に本能寺で焼き討ちにあって、最期を遂げたといわれている。
 再建された見上げる大きな本能寺本堂の前にたたずむと、信長の自信、策謀、策略、思惑そして思わぬ油断の「大きさ」と歴史の「転換点」を思い知らされる大きさだ。

 これが広大な領域を誇る集積型大寺院群ではなくて、今や京都市中のアーケード街のすぐ脇にあるというところが信長の最期の意味を具現するようで、もの悲しい風情だ。

 (5)何か明智光秀の反逆(といわれている)が自信過剰、自負の信長を打つことによって、恐れ多くも天皇の地位、伝統、歴史、威厳を守るためにはかられたということはないのかと勘繰るばかりの夢をみさせてもらった。

 (6)時は変わって現天皇の生前退位問題の検討が本格化している。安倍首相はかねてから天皇制の歴史、伝統、文化観を重んじる立場を表明しており、天皇の生前退位には否定的ともみられている。

 自民党中心に特別法での現天皇だけの生前退位の取り扱いがそれとなく言われてもいる。正しく過去からの日本の歴史の中で天皇の地位、立場は時の権勢、権力、統治者でもおいそれとは支配できない(今は国民統合の象徴としての天皇)特別の意味を持つものだった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軽い話。 a slight story

2016-12-24 20:01:51 | 日記
 (1)沖縄米軍基地問題は、どうして利害関係が同じ国(日本)と国民、県民同士がかくもいがみ合い対立して非難し、法廷闘争まで争わなければならないのかと書いた。米国の巧妙な戦略にはまっている。

 問題は主権国家日本の沖縄に米国、米軍が治外法権化(extraterritorial jurisdiction)して基地を置き住民の生活の安全を脅かしている現実問題なのだが、本来は日本、沖縄対米国、米軍の外交、軍事問題そのものだ。
 これまで米国は日本と沖縄に問題解決をすっかり押しつけて、遠見の見物で沖縄を地位協定で事実上治外法権化して支配し続けている。

 (2)オスプレイ事故が起きてもそれは国(日本政府)対沖縄の問題として扱われて、米軍は一切日本側に事故究明に関与させずにわずか6日後には通告だけでオスプレイ飛行を再開させている。

 これに政府は官房長官ブリーフィング(briefing)で同意した。そのすぐあとの22日には沖縄の米軍北部訓練場(国頭村)の4000ヘクタールの返還が決定して記念式典が開かれた。
 政府の事故後わずか6日のオスプレイ飛行再開の同意には、この返還決定とのコンビネーションがあったのは間違いない。

 (3)翁長知事は返還記念式典を欠席して、近くで開催された県民抗議集会の方に参加した。かねてから米国での試験飛行でも事故がくり返されたオスプレイ導入による今回の辺野古沖近くでの印象的なオスプレイの大破事故への不安と、事故究明に日本側に一切関与させずにわずか6日後に通告だけで飛行再開する米軍に対して沖縄県民が抗議する中で、翁長知事が政府主催の返還記念式典に出席できるはずもないことだった。

 これに対して22日の返還記念式典後に政府主催者として出席した菅官房長官は「負担軽減を掲げている知事が出席しなかったのは極めて残念。返還(の実現)はそんなに軽い話ではない」(報道)と翁長知事を批判した。

 (4)米軍施設の返還は確かにそんなに「軽い話」(a slight story)ではない。しかしオスプレイ大破事故が起きて操縦士も亡くなっている中で、わずか6日後に通告だけで飛行再開するという日本の主権をないがしろにする米軍の出方に政府が同意を示したということは、これもそんなに「軽い話」ではない。

 同時期に起きた事案で返還を優先して、オスプレイ大破事故による県民の生活の安全対策を後回しにした政府の対応の菅官房長官の発言こそは、非常に「軽い発言」だ。
 米国、米軍の思うツボだろう。

 (5)沖縄米軍基地問題が国と沖縄の日本同士のいがみ合い、対立に終始しているのは、オバマ米国の対応とは無縁ではない。
 オバマ大統領は沖縄米軍基地の役割、使命について表立っては強く発言、関与してこなかった。

 安倍首相が訪米しての首脳会談の中では、辺野古沖移設を急ぐよう強く要請することはあるが、普段米国から日本政府に直接的に圧力をかけることは聞いたことがない。
 そうしておいて核心問題は日本同士の国と沖縄の当事者の話し合いにまかせて、遠見の見物を決め込んできた。

 (6)オバマ大統領の理想主義政治手法が現実政治、社会で混乱を招いて、助長しているのと関係は深い。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄の条件闘争。 conditional struggle of okinawa

2016-12-23 19:55:15 | 日記
 (1)翁長知事の前知事が決めた辺野古沖埋め立て承認の取り消しを違法とした最高裁判決では、沖縄に合理的な理由がない限りは国の判断に従うことを理由に述べているが、翁長知事の判断行為(承認取り消し)は前知事の承認決定過程が不適切であったことを問題にしている訴訟であるから、何でもかんでも国の判断に従えという訴訟要件とは異なる範囲にまで及んでの判決内容には違和感がある。

 しかもそれが地方自治体は国の政策、方針に従えという上下関係のような強圧的な判決では、三権分立の独立した司法の役割からみても国民、県民の利益、それはしいては地方自治体の利益を考慮する識別があってよかった。

 (2)ことは駐留米軍基地、施設の74%が沖縄に集中するという過重負担、沖縄米軍基地問題だ。その沖縄でかねてから日米で話し合われて返還が合意していた米軍北部訓練場(国頭村)のうち4000ヘクタールの敷地が22日に返還されることになった。

 政府は沖縄の負担軽減策を強調したい意向もあるのか、同返還記念式典を主催する。その直前での冒頭の翁長知事敗訴の最高裁判決であったので、さらに辺野古沖周辺での米軍オスプレイ墜落大破事故が発生してわずか6日後の飛行再開に翁長知事が同記念式典を欠席して抗議するという展開になっている。

 (3)それで沖縄の米軍軍用施設は17.7%減少(報道)したということだが、まだ日本全体から見れば沖縄の基地過重負担は突出しており、政府主催の返還記念式典の気分でもないだろう。

 そもそも最高裁は米軍基地問題については日本に行政処分が存在しない(それで米軍と自衛隊機の騒音問題で住民の訴えを退けた)という立場なので、米軍基地問題で国の判断に従えというのもわかったようで実はよくわからない考え方だ。

 (4)司法としては米軍がからめば判断の管轄外としているので、国の判断にどうこう言えない問題だとして国の判断、方針に従えと言っているともいえるし、だからこそ国の判断の有益性について国民、県民、住民の立場から正当性を論じる、考える必要性があるともいえる。

 つまり1票の格差問題での、違憲ないしは違憲状態ではあるが選挙自体は成立是認するという苦心の玉虫色(iridescence)ではあっても司法判断を示すべきともいえる。

 (5)冒頭の最高裁判決確定により政府は早くも辺野古沖移設工事を再開する方針を示しており、翁長知事が明言しているようにこれからも権限を行使してそれを阻止してもこれまでのように正当性の理解が得られるかは不利な状況となった。

 普天間飛行場の辺野古沖移設が進めば、同周辺住民の生活安全への危険、不安解消にはつながる。

 (6)今の段階で普天間飛行場周辺住民が自らの生活安全の危険、不安を覚悟で沖縄全体の意思で米軍基地過重負担闘争を続けるというなら別だが、やはり「早く」危険、不安から解放されたいという意向が強いとすれば、辺野古沖移設は避けてとおれない選択ではある。

 沖縄県、翁長知事が「沖縄の利益」をどう解釈して理解し、取り上げるのかの判断の問題であり、辺野古沖移設の「条件」として沖縄の米軍基地過重負担を将来的に(出来るだけ早い次期に)解消する方向性を条件として米国、米軍、政府に具体的に約束させる条件闘争(conditional of okinawa)も現実的な解決策としてはある。

 (7)このままでは米軍基地問題で本来は同じ利益性、立場にある国と沖縄県、県民がいがみ合い、対立するという非生産的な悲劇を続けるだけだ。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

働き方の非正規。 anti regular in methodology of labor

2016-12-22 20:12:57 | 日記
 (1)正規(雇用労働者)と非正規(雇用労働者)というのは、どこか「違い」があるから正規であり、非正規である。同じ内容の労働を同じ時間行うのであれば、同一労働同一賃金(same labor brings same wages)はある意味当たり前のことであるが、「正規」、「非正規」を残しての同一労働同一賃金というのは非常にわかりにくい。

 労働形態が正規、非正規と区分されるのであれば、これもある意味賃金が違っていても格差があっても当たり前ともいえる。それがこれまでの企業経営論理でもあった。

 (2)それが非正規雇用が労働力の過半数に迫る現代社会において政治的課題となって、世の中は少子高年令化社会で働く若者の絶対数が減少していく中で、非正規労働者の立場も比重が大きくなって見過ごすことができなくなった社会現象がある。

 どうして非正規雇用労働者が増えたのかは、長いデフレ不況下の中で企業が雇用を控えたことや若者の労働環境、意識の変化もある。

 (3)あまり労働に縛られずに自由に時間を使って好きなことをやっていきたいという、漂流思考も考えられる。現在がよければいいという小市民的意識(the petite bourgeoisie)が強い現代社会の現象だ。

 それは置いといて、同一労働同一賃金を実施するならば正規、非正規雇用労働力の区別、区分も撤廃することがセオリーというものだ。

 (4)政府の働き方改革では、同一労働同一賃金になって非正規雇用労働者にも賞与、昇給制度を適用して、ほとんど正規雇用労働者と賃金システムでは区別、区分をなくする方針だ。

 あとは退職金、住宅手当など社会保障面での待遇の違いには触れていないだけだが、そこまでいけば正規、非正規雇用の区分、区別境界線はほとんどないことになる。

 (5)残るのは身分保障、つまり解雇条件ということになる。どうして非正規雇用が増えたのかに、もうひとつ長引くデフレ不況下での企業の労働力の生産調整機能の手段として非正規雇用が使われてきた経緯がある。

 同一労働同一賃金、賞与、昇給の賃金制度で守られる非正規雇用労働者ではあるが、雇用身分が保障されない中では安定した労働環境を保障されることにはならない。

 (6)政府の働き方改革での同一労働同一賃金の中で、正規、非正規雇用労働者の区別、区分の制度が残されるとすれば、企業による労働力の雇用調整の手段であることには変わりはない。

 政府、企業、労働者のそれぞれからの自己変革が社会改革のダイナミズム(dynamism)だ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする