(1)昨日のNHKスペシャルはノーベル文学賞を授賞したボブ・ディラン特集だった。ここ30年来メディアの取材を一切受け付けずに、日ごろどこで何をしているのかは数人しか知らない(同番組)といわれるボブ・ディランさんに直接取材を申し込む導入番組となっていたが、もちろんあっさりと断わられた経緯が続いて、結局はアポイントの連絡をメールで取り合っていた米国人から地方の大学にあるボブ・ディラン資料館に呼び出されて、そこに収められている数々の自筆の楽譜、詞、詩の資料(これはこれで貴重なものであったが)を紹介、閲覧させられるという構成意図がわからない番組編成だった。
本来、アポイントが極めてむずかしい事情を受けて、アポイントを取りながらも別の角度からのボブ・ディランさんの実像に迫る切り口があったと思うが、わざわざ興味本位のアポイントのむずかしさを映像紹介するかなりの導入部分は、NHKだからとわずかの期待をして持たせておいての結局は何を報道したいのかその意図が読めない凡放送となった。
(2)こちらはロンドン大学の教授たちが聴衆を前にコメンテーターとして登場して、ボブ・ディランさんの音楽、詞、詩は「文学」かを論じていた(ニュース報道)。
ニュース報道だったので中身のやり取りは詳しくはわからないが、文学、非文学に分かれたそれぞれの評価、意見を交換していた。
むしろ注目だったのは、その中のひとりの教授が白髪で坊ちゃん刈り、メガネに細面(ほそおもて)でこれが財津和夫さんにイメージがそっくりなのには驚いた。
財津和夫さんに似ていたということはあまり英国人らしい(英国人らしい気風はあったから)深い彫(ほり)の顔ではなかったというところだが、とにかくよく似ていた。
ボブ・ディランさんのノーベル文学賞授賞にあわせて企画されたものだろうが、ロンドン大学のそうそうたる教授たちが参加して取り上げるほどのことなのかとも思ったが、そうだからこそ論じ合う意味もまた見えてくることもある。
(3)折しもノーベル賞授賞式ウィークが始まって、今年のノーベル医学生理学賞を授賞した日本の大隅良典さんも昨日の授賞式で栄誉を讃えられた。ノーベル文学賞のボブ・ディランさんは「先約」があることを理由に欠席することを伝えている。
ノーベル賞授賞は先見的、先端的研究開発、業績、功績を讃える世界的に有名なイベントではあるが、スウェーデンのいちノーベル財団が選考して表彰するものであり、広く国際的な権威のある組織、学会がかかわるようなものではない。
(4)過去からの長い表彰歴史の中で表彰対象が人類の成長、発展、向上に果たしてきた最先端、高度、高質な素材ばかりが選出されて、自ずと世界的権威(authority)、象徴、信頼として認知されたものだ。
選ぶのはノーベル財団の意向であり、ノーベル賞にあまり普遍的で客観的、唯一的な理屈など求める必要などない、考える必要などないものである。
(5)そこで話題のノーベル文学賞授賞のボブ・ディランさんの音楽、ことさら詞、詩が「文学」なのかは、それがあえて必要ならノーベル文学賞とは別に論じ合えばいいことだ。
ノーベル文学賞はノーベル財団の考える価値観でしかないから、これに誰がどうこういう問題ではない。
そこを切り離せば、ボブ・ディランさんの音楽、詞、詩が「文学」かなどどうでもいいことだ。
(6)そこで「文学」が何かといえば、辞書には①詩、小説、戯曲など、②文芸学、③哲学、歴史学、社会学、宗教学などの総称とある。
昨日のノーベル賞授賞式に宛てたボブ・ディランさんのメッセージは米国大使により読み上げられた(ニュース報道)が、極めて常識的で謙虚で感謝を込めたものであった。
本来、アポイントが極めてむずかしい事情を受けて、アポイントを取りながらも別の角度からのボブ・ディランさんの実像に迫る切り口があったと思うが、わざわざ興味本位のアポイントのむずかしさを映像紹介するかなりの導入部分は、NHKだからとわずかの期待をして持たせておいての結局は何を報道したいのかその意図が読めない凡放送となった。
(2)こちらはロンドン大学の教授たちが聴衆を前にコメンテーターとして登場して、ボブ・ディランさんの音楽、詞、詩は「文学」かを論じていた(ニュース報道)。
ニュース報道だったので中身のやり取りは詳しくはわからないが、文学、非文学に分かれたそれぞれの評価、意見を交換していた。
むしろ注目だったのは、その中のひとりの教授が白髪で坊ちゃん刈り、メガネに細面(ほそおもて)でこれが財津和夫さんにイメージがそっくりなのには驚いた。
財津和夫さんに似ていたということはあまり英国人らしい(英国人らしい気風はあったから)深い彫(ほり)の顔ではなかったというところだが、とにかくよく似ていた。
ボブ・ディランさんのノーベル文学賞授賞にあわせて企画されたものだろうが、ロンドン大学のそうそうたる教授たちが参加して取り上げるほどのことなのかとも思ったが、そうだからこそ論じ合う意味もまた見えてくることもある。
(3)折しもノーベル賞授賞式ウィークが始まって、今年のノーベル医学生理学賞を授賞した日本の大隅良典さんも昨日の授賞式で栄誉を讃えられた。ノーベル文学賞のボブ・ディランさんは「先約」があることを理由に欠席することを伝えている。
ノーベル賞授賞は先見的、先端的研究開発、業績、功績を讃える世界的に有名なイベントではあるが、スウェーデンのいちノーベル財団が選考して表彰するものであり、広く国際的な権威のある組織、学会がかかわるようなものではない。
(4)過去からの長い表彰歴史の中で表彰対象が人類の成長、発展、向上に果たしてきた最先端、高度、高質な素材ばかりが選出されて、自ずと世界的権威(authority)、象徴、信頼として認知されたものだ。
選ぶのはノーベル財団の意向であり、ノーベル賞にあまり普遍的で客観的、唯一的な理屈など求める必要などない、考える必要などないものである。
(5)そこで話題のノーベル文学賞授賞のボブ・ディランさんの音楽、ことさら詞、詩が「文学」なのかは、それがあえて必要ならノーベル文学賞とは別に論じ合えばいいことだ。
ノーベル文学賞はノーベル財団の考える価値観でしかないから、これに誰がどうこういう問題ではない。
そこを切り離せば、ボブ・ディランさんの音楽、詞、詩が「文学」かなどどうでもいいことだ。
(6)そこで「文学」が何かといえば、辞書には①詩、小説、戯曲など、②文芸学、③哲学、歴史学、社会学、宗教学などの総称とある。
昨日のノーベル賞授賞式に宛てたボブ・ディランさんのメッセージは米国大使により読み上げられた(ニュース報道)が、極めて常識的で謙虚で感謝を込めたものであった。