いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

将棋の純粋培養。 pure cultivation of shogi

2016-12-28 20:11:13 | 日記
 (1)将棋の世界だけは現世と違う毅然としたたたずまい、自律文化、倫理観が残るものと思っていたのに、今回の三浦九段の対局中のスマホ将棋ソフト閲覧疑惑の取り上げ方でそれもちょっと違和感が出てきた。

 三浦九段が日本将棋連盟のいう違法行為を行ったからというのではなくて、その日本将棋連盟の問題の取り上げ方の方にだ。

 (2)現在一線級を張るプロ棋士たちは若い頃からコンピュータ将棋ソフトを教材にして成長、力をつけてきた世代なので、いまさら対局中であっても将棋ソフトを見て「多様」(diversity)な戦術(そのどれもが唯一というものでもない)を練ることなど不思議ではない、大学受験で全国「ひとつ」の答えをカンニングで知る不正行為とはあきらかに違うものだと書いた。

 だから三浦九段のスマホ疑惑を倫理観の欠如などとは思わないし、問題にしたいのはそれを不正行為として捉えた日本将棋連盟、一部棋士たちの側の倫理観の違いだ。

 (3)報道によると、今回の問題の対応にあたってタイトル保持者たちが連盟関係者の自宅に集まって三浦九段のスマホ疑惑ついて、話し合いを持ったといわれている。
 まずこの問題検討の恣意的な対応に不自然さを憶える。本来なら日本将棋連盟が正式な手続きにもとづいて問題検討会議を開いて公正に対処するのが常道というものだった。

 日頃の沈着冷静で熟慮、熟考、折り目正しい伝統の将棋界としては似つかわしくない、タイトル保持、連盟利益代表者たちだけによる偏向した問題解決への取り組み方に違和感、落差があった。

 (4)結局は日本将棋連盟による第三者調査委員会は「(三浦九段のスマホ疑惑行為に)不正の証拠は認められなかった」(報道)と三浦九段の無実、潔白を認めた。
 冒頭のようにあきらかに大学受験の不正行為とは異質で次元の違う三浦九段の対局中のスマホ将棋ソフト閲覧疑惑問題であるのに、第三者調査委員会まで設置して問題解明に及んだのは日本将棋連盟が自ら将棋の神聖化された高い精神性の自律文化(culture of autonomy)を信じない自己否定の結末だった。

 (5)なぜか昨日の日本将棋連盟のおわびの記者会見はテレビ報道を認めないものだったのは、日本将棋連盟の純粋精神性をさらに裏切るものでしかなかった。
 今回の騒動そのものが将棋の倫理性、価値観、自律文化に似つかわしくないものであって、対局中の百手先の深読み、熟考の精神性、自律文化のとおり「対局」当事者間で解決すべき問題でなければならなかった。

 (6)三浦九段の対局中スマホ将棋ソフト閲覧疑惑は多様な戦略検討(そのどれもが唯一というものでもない)の背景などから問題ないとする考え方を書いてきたが、日本将棋連盟がそれを不正というならコンプライアンス(compliance)として周知してから取り上げる問題だ。

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