いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

9.11。国家観の逆転でもない限り。 unless otherwise turned view of state

2011-09-11 19:45:35 | 日記
 (1)9.11、ニューヨーク世界貿易センタービル破壊ほか同時多発テロから10年が経過した。日本人も多くがこのテロの惨劇に巻き込まれて、犠牲となった。
 米国は、今年5月に同テロ首謀者と言われるウサマ・ビンラディンのパキスタン国内での殺害を発表して、事態は新しい局面を迎えて10年目の今も厳重なテロ対策、警戒がとられている。

 終わりが見えない、いつまでも続くのか国際テロ対米国の戦いだ。テロにも米国にも自己正当化する相当の対立軸はあるのだろうが、テロの名目、命題も米国の信義則もそれぞれの歴史、理念を背景として揺るがない信念の中で、優劣、一致点などありえない不幸世界だ。

 (2)①イスラム国家主義と世界戦略覇権国家主義、②天然エネルギー(石油利権)支配を巡る中東、アラブと米国、③イスラム教とキリスト教の歴史対立の中で、「手段」としてのテロと侵略戦略がおん念をクロスオーバー(cross over)しての、国際テロ組織対米国国家戦略の直接組織対立の結果が「9.11」だ。

 ともにイスラム主義とキリスト主義の真髄、教えを代表するものとはとても思えずに、名目、命題、信義則に名を借りた混乱、野望、支配の代理戦争と化して、解決の道筋の見えない終わりなき不幸な対立だ。

 日本も、覇権国家米国の世界戦略に組み込まれてアジア最大の米軍基地を抱え込まれて、けっしてこの対立に無縁ではない。

 (3)中東、アジアでは国際テロ組織のタリバン、アルカイダの勢力が復活して、治安悪化も報道されている。テロも、欧米国内で育ったイスラム原理主義者による「ホーム・グロウン・テロ」に形を変えて主流となってきた。

 歴史対立の延長であれば問題解決の糸口も見えたが、もはや歴史、宗教に名を借りた正当性、独善性に活路の「対立のための対立」、野望、支配のための世界混迷化闘争がテロ対米国の行き着く姿だ。

 イスラム国家主義にキリスト教の指導者が着き、米国にイスラム主義の指導者があらわれる国家観の逆転でもない限り(unless otherwise turned view of state)、9.11、対立の終わりは迎えない究極(ultimate)修羅の不条理な世界観だ。

 (4)米国の唱える「核兵器のない世界」観の実現、唯一の被ばく国の日本の平和主導の浸透努力、理解、広い支持効果が、せめてもの「対立」をクロスオーバーする世界平和への一筋のひかりだ。
 しかし、世界観はいまだにそれに逆行しているのではないのか。

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