いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ラグビーの格差。 gap of powerful discrepancy rugby

2011-09-25 19:36:04 | 日記
 (1)ラグビーワールドカップ2011がニュージーランドで開催されている。日本代表はアジアでは頭ひとつ抜け出た強さで同大会にアジア代表として出場したが、ニュージーランド、フランスの強豪国と同じ1次リーグゾーンに入ってすでに3連敗で1次リーグ敗退が決まった。

 ラグビースポーツは、欧州伝統国に南半球のニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの世界トップリーグとその他の国では力量の差のあるスポーツだ。体内遺伝子が牛を抱えて草原を走り回る遊牧民族と農耕民族とでは体格、体力に基本的な成り立ちが違うから、コンタクトプレー(contact play)の消耗戦が基本のラグビースポーツでは本来とてもまともに太刀打ちなんかできない。
 だからラグビースポーツは、番狂わせの少ないスポーツとも言われている。興味本位の者からは順当過ぎるのはちょっとつまらないかもしれない。

 ボールは必ず後ろに投げてつないで前進する「逆転(inversion)」の発想で、それに防御プレーが組織だって立ちはだかり個人スキルによる突破が容易ではないから、一発逆転の確率の低いスポーツだからだ。

 (2)今大会でも、1次リーグの上位国とのゲームではラグビースコアにほど遠い60~70点差の格差ゲーム(powerful discrepancy game)が目につく。日本代表も開催国でチャンピオン候補のラグビー王国ニュージーランド代表(両国代表ともに次のゲームを見据えたベストメンバーでなかった)に83対7で大敗した。それでも、95年南アフリカ大会での同国代表との120点差以上のゲームからすれば、世界ランク上昇による構成、編成、成長の跡が見られた。

 日本代表だけが弱体という訳ではない。強豪国のフランス代表とのゲームでは、後半途中までに4点差に詰め寄るゲームを展開して敗れたとはいえ日本代表の成長(ただし、キープレーヤーは日本でプレーする外国人プレーヤー)の軌跡は示した。

 (3)ラグビースポーツは、限られた世界トップリーグ先行主導のリードするスポーツ社会として、他のスポーツと一線を画して独自の路線を歩んでいる。世界アスリート・レジェンド(legend)のオリンピックにも参加せずに、伝統、領域、地域、そして民族性、文化を誇示してきた。

 そのことがラグビースポーツのゲーム「質」・量の広がりをも欠いてきたとも言える。いまだに世界トップリーグ国とその他の国との実力差は歴然としたままだ。
 そのつくられた実力差がまた発展国との相互交流をもはばんで、実力格差のスパイラル(spiral)をまた生んでいる。

 (4)今回の日本代表には、本場ニュージーランド出身を含めて日本でプレーする外国人プレーヤー10人も初めて参加(代表資格規定上の適用内)しての、勝利優先(2勝目標)の編成でもあった。それでも勝てないラグビースポーツだ。

 日本プロ野球、サッカーも外国人プレーヤーの国内リーグ参加、海外リーグ進出で確実に実力をつけてきたが、WBC野球日本代表は日本人プレーヤーで編成されて2大会連続のチャンピオンとなっている。

 ラグビースポーツのグローバル化は、代表出場資格にではなくゲーム環境のオープン化、国際化、共有化に向けられるべきだ。折角の「one for all , all for one」の珠玉のラグビーゲームプランも限られた国の狭い利益享受では、興味も活性化も損なわれていく。

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諫早湾開門。(新内閣の初仕事) entirety open the gate

2011-09-24 19:32:24 | 日記
 (1)政治のアピールがパフォーマンス(performance)化して、実体のない見栄えだけの見切り発車で約束した目的地点にそもそもたどりつかない連続の中で、責任を取る形で首相の1年交代が常態化した政治不信だ。

 その揺り戻し、反省もあってか民主党第3代首相は、見栄えは地味な首相だ。国連出席でニューヨークで対談した米国大統領からは実務的な首相として、「仕事が出来る」との評価だった。
 同会談で普天間基地移設先問題で早期決着を求められており、暗に実行力促進を催促する同大統領のレトリック(rhetoric)発言なのだろう。

 (2)そこで諫早湾干拓事業の開閉門問題で、高裁の排水門を5年間常時開放して影響調査をするよう命じた判決(国が控訴せず確定)にもとづき同内閣の初めての政治対応があった。
 同内閣の方針、政策対応能力としての注目の中、前内閣では面会も拒絶された長崎県を訪れた農相の出した提案は、「防災上、営農上、漁業上、最も影響の小さい」(同農相談)、全面開門(entirety open the gate)ではなく開門による水位変動幅20センチの制限開門の方針だった。

 関係自治体同士の間でも、開門賛成(湾内の海水環境の悪化懸念派)、反対(干拓農地の塩害懸念派)が同在しており、間(あいだ)を取ったような小手先のあいまいな方針、影響調査効果にも疑問が持たれる政府提案に両方から反発が起きている。
 この政府、内閣の最初の国策対応、仕事としては、何としても不可思議な中途半端な地味とは無縁の決断力のない、決定力のない政治姿勢を示して、これでは国民の期待に応えることにはならない。

 (3)政治の場合、高裁の判断、決定がすべてではないが、前内閣とは言え政府はこの判決を受け入れて開門影響調査は確定している。開門に異議があるならいざ知らず、影響調査効果に疑問のある形だけの対応(水位変動20センチ一部開門)ではなく、調査効果、影響範囲のわかる整合性のある技術的な対応で賛成、反対両方に明確な影響調査結果を示して、国策をリードすべき政治姿勢を示すべきだ。

 水位変動幅20センチの制限開門は02年にも実施されて、「環境改善効果はなかった」(報道)という前例もある。賛成・反対両方の機嫌を伺うようなアイディア・ポリシー(idea policy)のない脆(ぜい)弱な政治力を自ら演出している。
 内閣交代で国民が求め期待したのは、政治の決定力、決断力、リーダーシップ力であったのだ。

 (4)そもそも、湾内に干拓地をつくる計画段階で、漁業、農業への相反する環境適応適合の自然、科学的根拠の対策、検証が必要であったのをなおざりにしてきた政府、自治体の共同責任問題でもある。

 政府内閣は、5年間常時開門しての影響調査のための効果的な仕様(spec)、政策を提示して、この問題解決に強いリーダーシップ力を示す必要がある。
 そして、政治の停滞も開門(entirety open the political gate)する決意を示すべきだ。

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私的な財津和夫論。(第27回) private essay about k. zaitsu

2011-09-23 19:33:39 | 日記
 「私的な財津和夫論」第27回は、「三島ニヒリズム」です。
 27 三島ニヒリズム
 作家、三島由紀夫は1970年11月に遺稿となった「豊饒の海」4部作の最終第4巻「天人五衰」を書き上げて出版社に送った後、三島の私的な右翼思想集団「楯の会」会員とともに楯の会仕様の軍服姿で市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に赴き、総監室に総監を人質にして立て籠(こも)ったと言われている。

 改憲論者の三島は、かねてから国際紛争を解決するための手段としての戦力を保持しないとした憲法前文、9条の精神と、実質軍隊機能維持の自衛隊とは法解釈上共存しえないと主張して、この日同総監室バルコニーから眼下の自衛隊員に演説でクーデターを促した。
 この模様はそのままニュースでテレビ中継されて、演説のあと、自衛隊員の協力を得られないことを悟ると、三島は総監室に戻り自決をした大変ショッキングな事件だった。

 遺稿の「豊饒の海」4部作は、「輪廻」つまり「生まれ変わり」をテーマにした長編小説で、まるで同事件の軌跡、結末を予感させるものであった。三島の遺言であったのかも知れない。
 三島由紀夫は好きな作家のひとりだ。思想には協調できなかったが、三島ニヒリズム(nihilism)作品は表現力、描写力、展開力にすぐれて、読みだすと途中で終えることがむづかしいほどの文学的魅力はあった。

 財津和夫さんは、92年発刊の当時の雑誌「KANBASE」の特集HEROISMでヒーロー像として「三島由紀夫」をあげている。
 本文のインタビューで「精神的かつ個人的な人生観に影響を与えた人物」として「三島由紀夫なんかはかなり影響受けたほうかも知れない」と述べている。
 ともに虚弱体質(本人談)の中、三島は「厳しくしかもストイックに生きて心身を鍛えた人で羨(うらや)ましかった」と言う。

 音楽と文学と進む道は違っても、ともに芸術至上主義(art-for-art principle)に生きて、求道者(seeker after truth)としてすべてを一途に人生に賭けて自らの時代と価値観をきりひらいていったフロンティアな生き方が魅力的に共通する。
 タイプは違うけれど、求道者としての目の輝きはだから同じだ。

 三島の自決は、財津さんがチューリップとして東京に出る2年前のことだ。財津さんは「三島自身は、僕の中のビートルズに何も影響を及ぼしていない」と言う。
 著名な日本人の究極(ultimate)の人生観、結末は、当時の日本社会に衝撃を与えたけれど、それ以上に三島アジテート(agitate)に対してこれを問題にしなかった自衛隊の統制、管理の徹底に感心したものだ。

 三島はただ孤独だったのではないのか。「正論」から一途に目を背(そむ)けることができずに、当時の学生運動(全共闘)とも対峙して論争に挑み、反体制思想側からはその個性は受け入れられて、逆に体制思想の同じ思いを共有するはずの自衛隊からは拒絶されるという、三島ニヒリズムのパラドックス(paradox)な人生を生きた。

 そういう三島の取り巻く人生観が財津さんにとっては音楽夜明け前の「支え」としてのヒーロー像であったのではないのかと思う。
 同刊行誌のインタビューの最後に「どちらかと言えば人に影響は与えたくない。人知れず飄々と生きていたい」と財津さんは語っている。
                              〔転載禁止です〕

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意識のギャップとあたらしい提案。gap of consciousness and new proposition

2011-09-22 19:32:38 | 日記
 (1)米国訪問中の首相が米国大統領との会談で、普天間基地移設先問題で辺野古移設の日米合意の早期履行を要求された。米政府関係者は、来年夏までには辺野古滑走路建設着手が条件だとした。今度は、米国側からのこの問題でのタイムリミットの設定だ。

 民主党第1代首相が、政権交代を勝ち取った総選挙時から「国外、最低でも県外」と主張して、その後5月までと実施期限まで設定しての「政策」を撤回して期限切れの昨年5月の突然の辺野古移設の日米合意だった。

 米国の圧力、日米安保、軍事同盟の制約があったとは言え、それまでの主張との余りのギャップ、地元沖縄との調整もないままの拙速な合意決定で驚いたものだ。当然のようにこの主張の転換、十分な説明もないままの予期せぬ日米合意に沖縄からの猛反発を買って、責任を取らされる形で第1代首相は辞任に追い込まれた。

 (2)政権交代によって、日本の政治情勢が変わった時点で日米関係の見直し、再構築にはいい政治的機会、環境を迎えていた。政権交代の民主党はアジア経済圏共同体重視で、米軍基地の国外、県外移設を主張して対等な日米関係を政策の基軸としていた。

 このため当時の日米関係は冷えた関係となったが、政権交代の歴史の転換点の中でこの政策の変化について米国との十分な説明責任とねばり強い話し合い協議が必要であった。
 この「政治プロセス」は、政権交代を果たした理念への自信、国民の期待の大きさに過度に反応して米国との関係も理念優先となって十分とは言えずに怠った結果が、一方的な、拙速で、押し付けの日米合意となった。

 この問題で、早急な結論を求めれば日米安保、軍事同盟の制約をまともに受けることになるのは必至だ。

 普天間基地の周辺地域の安全化が緊急な政治課題であったとは言え、やはり必要な時間はかけての重要な外交交渉だ。政権交代で内閣の外交関係が希薄な中での、政治的手法の未熟さが政治交渉のスキルの必要な重要な外交交渉で、政権交代の過信の中でいきなり結果を求める無謀、非政策となってあらわれた。熟議、戦略もなく理念に走ってあまりに急ぎすぎた。

 (3)そこで来年夏までと解決条件がついた形の普天間基地移設先問題の「現状」は、日米合意に基づく辺野古移設と沖縄振興策の従来前としたリンク論の政府と、県外移設の悲願、国民の責任応分負担へすでにシフトした沖縄との大きな意識のギャップ(gap of consciousness)だ。

 国際情勢は冷戦から経済協調主義にシフトして、中東・北アフリカの独裁政治は抑圧された市民革命に崩壊され、ヨーロッパはEU化で軍事同盟は国際テロ対策化している。
 新興国、ことに中国の台頭で東アジアに波風は立っているがアジア各国の主権の問題で、米軍の沖縄基地の存在理由、影響力は減少しているのが現実だ。

 米国の覇権主義、世界戦略に利用されない日米同盟関係のあたらしい「提案(proposition)」と変化の中で、新時代に見合った日米安保、駐留米軍基地の国外移設化を模索すべきだ。日本からの能動的なあたらしい「提案」(new proposition)、発信が必要だ。

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被災地もやるべきこと。 to must do in a disaster region

2011-09-21 19:37:52 | 日記
 (1)東日本大震災被災地の陸前高田の大津波に倒された松の木を京都五山の野焼き送り火で使用しようとした計画が、結果として同市民の反対もあって中止になった。
 被災地を励まそうという震災復興の自治体、民間レベルでの善意協力計画が、放射性物質の拡散に疑念を抱く市民の反対で中止になった。
 そして再び福島製造花火の遠く離れた地域での花火大会使用計画が、同じように市民の反対で中止となることが起きた。

 善意の取り違い、かけ違い、行き違いで、結果として善意が損なわれた。震災に福島原発事故の相乗影響で、毎日メディアには農産物へのセシウム基準値超過による出荷停止の記事が載る。関東地域の排水処分場からも基準値を超えるセシウムが検出されている社会現象だ。

 福島原発事故では、当初原子炉格納容器の圧力、水量上昇対応で大量の放射性物質が海に放出されて批判をあびた。現在も来年1月末の第1段階レベルの事故収束に向けての原発事故建屋のカバーリング、格納容器の冷温安定作業が続き、放射性物質の漏えい、拡散、封じ込め工程実施中だ。
 原発事故では、まず第1段階として放射性物質の漏えい、拡散防止、エリア内封じ込め対策は安全対策の重要な工程だ。

 (2)この究極(ultimate)の対策に万全を期して(と期待しているが)集中的に対応している重要な現在時に、仮にその影響度はないと思われても(また科学的な実証が当地で行われたとしても)余程のことがない限り、あえて影響力を拡大、拡散するかのような行為、行動はとらないのが、今はとるべき前向きな善意というものだ。

 風評被害という言葉が先行して、安全確認の被災地の生産物品に理由、根拠のない被害が及んでいるという話を聞く。原発事故が起きた周辺エリア及び大気中に放出され拡散する放射性物質(離れた場所でのホットスポット現象もある)の現状からは、エリアにかかわらずそれだけで消費者には理由、根拠は存在すること、それが原発事故の影響力の甚大さと解釈することも否定できないのが現実論だ。

 もちろん現実論であって、科学的に安全が実証されたもの(生産物品)を選別する自由な消費者の判断をまったく否定するものでもない。

 (3)問題は「両論」とも、理由、根拠があって「存在」するものであり、一方だけが否定される現実ではないということだ。
 そこで冒頭の事例では、あえて可能性として原発事故影響の理由、根拠はある松の木を、遠く京都五山にその影響力を拡散させる形で同行事(送り火)に使用させる一挙の無理、判断をしたのかだ。

 気持ちは分からない訳でもないが、被災地からの安全性のメッセージの強調、実証に無理強い、結果を急いだ冷静な判断を欠いた被害者意識の油断、行動がなかったのかだ。

 それでは被災地感情は持たないなら、ここはまず被災地、地元での安全性の実証、実行の積み重ね、努力、発信が求められていた。
 一種の油断、結果優先の構図が、こういう前例があるにもかかわらず18日に福島製造花火を愛知県内での花火大会で使用する計画が市民の反対でまたまた中止となったことにあらわれた。
 反対した市民の不条理を責める前に、この事例では被災地の思慮、思考にも問題があることを知るべきだ。

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