いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

首相とメディアの時代。 era of premier and media

2011-09-29 19:28:11 | 日記
 (1)首相の毎日の行事、来客、打ち合わせスケジュールが新聞に載っている。朝から夜まで時にはどこそこの店で食事会まで分刻みの対応で、多忙な業務であることはよくわかる。メディアも使命とはいえ、よくやると思う。
 首相の政治行動をオープンにして密室化でない国民白日のもとに出来るだけ公正で公平、明白な行政運営の姿勢を知らしめて示すためだ。このスケジュール、来客対応でいつ冷静な政治判断をしているのか心配になるほどの過密ぶりだ。
 ついつい他人まかせ、お膳立てに乗った「本意」のわからない政治形式主義に陥(おちい)るのもわかる。

 (2)民主党第3代首相は、内閣、党組織構成にあたっては、党内融和に配慮した配置登用で結果として適材適所とはいかずに、すでに問題発言で辞任に追い込まれた前経産相のように「ほころび」を防ぐために、「余計なことは言わない、しない」など慎重な行動、政権運営の基本原則を徹底していると言われる。

 首相自らも従来の歴代の首相が対応していた移動中の途中での記者の取材(ぶら下がり会見)には一切応じずに、その流れで国会答弁でも慎重でありきたりのこれまた形式的な答弁に終始している。
 この姿勢は先の米国訪問では、米国大統領に実務能力として「仕事のできるパートナー」というレトリック(rhetoric)としての評価を受けたようだ。しっかり、普天間基地移設先の日米合意に添った早期解決の宿題を押し付けられてのだ。

 (3)自ら地味な首相というように現在のところでは党主導(政調会・税プロジェクト)の政策決定(復興増税・予算財源)が先行して表立っており、首相の「声」、本意は国会答弁も含めてよく伝わってこないのが現実だ。

 これまでの民主党2代の首相の問題発言が短命内閣を誘因した教訓なのだろうが、余りに慎重、地味で情報発信の不足が今政治に求められている(国民の80%以上が政治に不足を感じている)リーダーシップ力が見えてこずに、失点(一部閣僚以外)はないけれど危機的政治が活性再生化に向かっているとは到底考えられない、見えてこない。

 (4)報道するメディアには取材、報道内容に「節度」というものはあるが、その取材姿勢には国民の「知る権利」を振りかざしても事実、政策決定の背景としてのリーダーの首相の考え、思いを伝える使命、スキルはある。

 なにしろ唯一オープンの国会答弁を聞いていても、禅問答の領域でまるっきり現実政治の現実観、方向性が見えてこない。
 首相はさすがに今後、定例形式の記者会見を示唆しているようだが、それでは多分国会答弁レベルの領域からは出ない抽象化だろう。多忙の首相には、時の「声」の情報発信として時間制限の「ぶら下がり会見」は活用すべきだ。

 (5)そもそもメディア、報道とは信頼関係がないとコンプライアンスの範囲内でも、取材を受ける側からはやっかいなものだ。それも仕事の内だが、政治は結果、効果主義とは言え及ぼす影響は多様で広範囲なものだ。
 結果、効果だけの報道では、党主導の政権運営となると尚更国民は知ることにはならない。

 メディアは、政治の政策決定の背景、プロセス、考え、比較、検証を公正、公平に報道することが政治と国民の橋渡しの役割だ。
 政治とメディアはもっと自由に闊達、多様に民主主義に対応する環境、信頼関係を確認すべきだ。それが共に生きる時代の要請だ。

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