(1)言葉の持つ意味が軽い日本だ。政治に限らずに社会、文化でまん延している。作家の村上春樹さんは、歴史認識問題で「他国に侵略したという大筋は事実なんだから」ひたすら謝るしかない、謝って謝って、中国や韓国のかって旧日本軍による植民地支配の被害を受けた国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょうと言うまで謝るしかない」(報道記事)と言っている。
問題は安倍首相が「言葉」ではいくら「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる。平和国家としての歩みは今後も不変だ」(報道)と言ってみたって「やっている」ことと整合性がなくて中国、韓国をはじめ米国、欧州社会からも疑心暗鬼で見られている言葉の軽さ(light sense of a word)だ。
(2)今夏に発表予定の安倍首相の「戦後70年談話」でも、50年談話で当時の村山首相が首相として初めて表明して60年談話の小泉首相も継承した「植民地支配と侵略を認めて痛切な反省と心からのおわび」文言を使うのかどうかに注目が集まっている。
最近の安倍首相からは「全体として引き継いでいる」と言っているのだから、あらためてわざわざ同じ文言を使う必要はなく、同じ文言を使うなら名前を書き換えるだけでよくあらためて戦後70年談話を出す意味がない(趣旨発言)とまで言い切っている。
村上春樹さんが「ひたすら謝るしかない」と言っている問題解決への理念からすれば、随分と高飛車な安倍首相の「言葉」だ。
安倍首相は侵略に国際法上の定義はないと言っては取り消したり、一貫性が見られない。
(3)首相の言葉としては随分と軽くて、下世話な世間感覚でしかない。言葉の軽さは政治の世界では常態化(normalization)している。
政治への無関心がまん延している日本社会の原因の多くは、政治家のあまりもの言葉の軽さだ。
拉致問題は昨年には実務者協議が再開されて、北朝鮮による再調査、解決に向けて動き出したと思わせたが、日本政府の「夏までには一定の調査結果報告」をが守られずに、年末までには目途をつけるという要請はいつしか年を越して、今年も半ばを迎えようとしている。
(4)山谷拉致問題担当相は拉致被害者家族会と会うたびに、使命を持って最大限の努力をすると約束しながらも、言葉だけの威勢でどう北朝鮮と向き合っていくのか釈然としない。
拉致被害者家族会も4月には安倍首相と面談したが、昨年までの時間がないとして政府の対応に向けた「怒り」は消えて、北朝鮮の手に乗ってはいけないと慎重姿勢の物分かりのいい発言が聞かれた。
(5)安倍首相に丸め込まれたわけでもないのだろうが、家族会の心中は察するものがある。北朝鮮は厚かましくも拉致調査を除いた日朝協議を申し入れてきた(報道)といわれて、日本の朝鮮総連代表の強制捜査に北朝鮮が反発して拉致調査問題は停滞したままと言われている。
話し合い、協議は相手のあることでむずかしい局面は予想されるが、家族会が会えば最大限使命を持って努力するという山谷担当相の言葉がむなしいだけだ。
ちょっと言わせてもらえれば、山谷担当相は靖国神社の春の例大祭に合わせて大臣参拝をして、自己都合には敏感でそういう律義さは担当職務として発揮してもらいたいところだ。
(6)日米TPP交渉は甘利担当相の「一定の前進はみられる」と言いながら2年が経過して歩み寄りはみられずに先送りで、政治の言葉の軽さだけがまん延している。
政治が国民にとって信頼に足るものではない言葉の軽さだ。
問題は安倍首相が「言葉」ではいくら「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる。平和国家としての歩みは今後も不変だ」(報道)と言ってみたって「やっている」ことと整合性がなくて中国、韓国をはじめ米国、欧州社会からも疑心暗鬼で見られている言葉の軽さ(light sense of a word)だ。
(2)今夏に発表予定の安倍首相の「戦後70年談話」でも、50年談話で当時の村山首相が首相として初めて表明して60年談話の小泉首相も継承した「植民地支配と侵略を認めて痛切な反省と心からのおわび」文言を使うのかどうかに注目が集まっている。
最近の安倍首相からは「全体として引き継いでいる」と言っているのだから、あらためてわざわざ同じ文言を使う必要はなく、同じ文言を使うなら名前を書き換えるだけでよくあらためて戦後70年談話を出す意味がない(趣旨発言)とまで言い切っている。
村上春樹さんが「ひたすら謝るしかない」と言っている問題解決への理念からすれば、随分と高飛車な安倍首相の「言葉」だ。
安倍首相は侵略に国際法上の定義はないと言っては取り消したり、一貫性が見られない。
(3)首相の言葉としては随分と軽くて、下世話な世間感覚でしかない。言葉の軽さは政治の世界では常態化(normalization)している。
政治への無関心がまん延している日本社会の原因の多くは、政治家のあまりもの言葉の軽さだ。
拉致問題は昨年には実務者協議が再開されて、北朝鮮による再調査、解決に向けて動き出したと思わせたが、日本政府の「夏までには一定の調査結果報告」をが守られずに、年末までには目途をつけるという要請はいつしか年を越して、今年も半ばを迎えようとしている。
(4)山谷拉致問題担当相は拉致被害者家族会と会うたびに、使命を持って最大限の努力をすると約束しながらも、言葉だけの威勢でどう北朝鮮と向き合っていくのか釈然としない。
拉致被害者家族会も4月には安倍首相と面談したが、昨年までの時間がないとして政府の対応に向けた「怒り」は消えて、北朝鮮の手に乗ってはいけないと慎重姿勢の物分かりのいい発言が聞かれた。
(5)安倍首相に丸め込まれたわけでもないのだろうが、家族会の心中は察するものがある。北朝鮮は厚かましくも拉致調査を除いた日朝協議を申し入れてきた(報道)といわれて、日本の朝鮮総連代表の強制捜査に北朝鮮が反発して拉致調査問題は停滞したままと言われている。
話し合い、協議は相手のあることでむずかしい局面は予想されるが、家族会が会えば最大限使命を持って努力するという山谷担当相の言葉がむなしいだけだ。
ちょっと言わせてもらえれば、山谷担当相は靖国神社の春の例大祭に合わせて大臣参拝をして、自己都合には敏感でそういう律義さは担当職務として発揮してもらいたいところだ。
(6)日米TPP交渉は甘利担当相の「一定の前進はみられる」と言いながら2年が経過して歩み寄りはみられずに先送りで、政治の言葉の軽さだけがまん延している。
政治が国民にとって信頼に足るものではない言葉の軽さだ。