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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

疑わしきは国の責任。 suspiciousness is duty security of a state

2013-04-17 19:48:38 | 日記
 (1)肺がん抗がん剤イレッサの副作用死問題で最高裁は製造販売の承認権を持つ国の責任を認めなかったことに、国民の生命、財産、権利、安全を保障する国がこれに最終責任を持たなければ誰が重い責任をとるのかと書いた。

 今度は国が複数症状の組み合わせによる認定基準により「水俣病」と認めなかった「感覚障害」単一障害者の認定訴訟に、最高裁が2審が水俣病と認めた判決を支持し判決が確定(初認定)した。

 国が本来保障すべき国民の生命、安全、権利を守る、履行することを司法が被害者、弱者の立場から国に命じたあるべき姿勢の判決だ。

 (2)水俣病は、戦後の産業復興振興社会の中で自然環境保全を無視した重機、化学工場排水(水銀)の河川への「垂れ流し」で汚染した魚介類を食べた地元住民が神経性の中毒症状を起こした事件だ。

 国の産業復興推進政策の中で企業活動、利益優先による環境、安全無視による行政指導不備の行き着く結末だった。

 (3)国は環境汚染による水俣病症状地域の住民に対して「疑わしきは責任補償(suspiciousness is duty security of a state)」というあるべき国の姿勢ではなく、認定症状基準を「複数」症状の組み合わせによる「厳格化」して責任保障範囲を絶対的、限定的なものとして押さえてきた。

 水俣病(水銀汚染)の特徴である手足のしびれの感覚障害だけでは水俣病と認定せずに、極めて確実な病理性、根拠に限定しての認定基準とした。
 国民の生命、財産、権利、安全を保障する国の使命、役割、責任からは外れた、逆行する認識、方針であり、また企業活動の安全基準に行政指導すべき国の使命、役割、責任をも果たさない中での国の重大責任を「被害者・弱者」に転嫁するあってはならない責任放棄の政策、方針だった。

 (4)国としては、公害被害者に対しては極めて限定的な確実な条件、要件に固執せずに地域性、原因性、環境性を配慮しての「疑わしきは国の責任補償」というあるべき立場(stance)をとるべきだ。

 水俣病認定訴訟は、司法が国策の不備、不足について被害者・弱者の立場からこれを指摘し、国にかわって公害被害(水俣病)を認定した歴史的な判決だ。

 (5)国民の権利意識も成熟して社会のひずみに対する国の権利保障の訴訟も多くなり、1票の格差訴訟、水俣病認定訴訟と「国の責任」を問う司法判決が続く。
 

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