3月3日、瑞浪市文化ホールの財津和夫さんはコンサートの歌の途中、マイクを吹き飛ばすほどの勢いの突然の嗚咽(おえつ)で涙の目頭を手で押さえてそれ以上歌えなくなりました。
こんな感情あらわな、感動あらたな財津さんを見るのは初めてのことです。飛騨牛の名店と美濃焼の瑞浪市での財津和夫さんのlive & talkコンサートに来ています。
午後6時にシルキーヘアーをクリーンカットでさらりと整髪した財津さんがダークグレーのジャケットに濃いブルージーンズスタイルでセンターマイクに登場してオープニングです。「愛の力」は財津さんの高い表現力、歌唱力が存分に発揮されたすばらしい楽曲になりました。
そしてステージ・ホリゾンタルのスクリーンに映し出された財津さんの子ども時代の家族のスチール映像にあわせて街でバッタリ会った同級生の女性に強く進学を勧められたことなど福岡時代の恩人、思い出話を長く話したあとの最後に「そう言えばギターの尾上くんに、うるう年の2月29日に男のお子さんが生まれました。なぜこんな話をするかと言えば、私にも2人の子どもがいましてまだちっちゃな頃にその寝顔を見てつくった曲をこれから歌います。my dear。」と言って歌いだしました。
途中の間奏の間うしろのバンドに向きを変えていた財津さんがメンバーにそれとなく言うように「さあ、いくぞ」とはっきり声をかけて前に振り向いてこの歌を続けました。ちょっと、いつにない財津さんのセンシティブ(sensitivity)、普通でないものを感じたシーンです。
その通り、終わりのフレーズになって「生き方は自由でも」あたりからもう涙声になって、「信号のない道路・・・・」で声がつまり、「それが人生」となんとか歌い終えました。
それから続いて、「私から年老いたあなたがたへ」を歌いだし、途中「(あの少年は)もう七つめの春の・・・」で財津さん突然上を見上げて目頭を押さえて歌えなくなりました。
財津さん、バンド演奏を止めて、「顔が浮かんでくると、悲しくなっちゃって」と「ちょっと時間をください。」と胸を押さえて息を整えてからもう一度最初から歌い直します。
しかし、歌い始めて4フレーズぐらい歌って財津さん、マイクを吹き飛ばすほどの勢いでっ突然に「嗚咽(おえつ)」して涙の目頭を手で押さえてそれ以上歌えなくなりました。
ホールからは観客の大合唱が起こり、続き、しばらくして気を取り直した財津さんがその後を引き取ってなんとか歌い終えました。
第1ステージは親子を想うテーマの歌が続きましたから、財津さんも今日は想うところがあったのでしょう。
続く「そして また あなたへ」のイントロでは感情、感動の影響からかまだ声に震えも見られましたが、それでもいつしかいつものように歌い繋ぎ、「何が起きるかわかりません。」と「ストーブ」ではいつものように財津さんのすばらしい歌唱力、表現力を聞かせました。
10分休憩のあとの第2ステージでは、鼻をさかんに押さえて季節柄、花粉症の影響でもあるのか随分と終始鼻を気にかけてる仕草が続きます。やはり一度感情感動の起伏を迎えるとコンサート中に立て直すのはむずかしいものです。
「顔が浮かんでくると 、悲しくなっちゃって」の感情、感動が、そろそろお亡くなりになって7年目あたりになる(七つ目の春)財津さんのお母様のことなのか、何なのかは分かりませんが、ミュージシャンとして歌が途切れるのはけっしていいことではありませんが、ミュージシャンも何より「人間」であること、財津さんの社会人として人間としての資質、常識、良識、人格の高さを図らずも伺い知ることになりました。
小田和正さんも(仙台に住んだ経験から)東日本大震災に思いをはせてステージで涙したと聞くにつけ、この年頃になればみなさんそういう想いも強くなるということでしょう。
今日は、気ごころを許した(ファンの)中での「人間・財津和夫」を見る思いです。アンコールでは、前回は脱いできたカーディガンを今日は着たままの財津さんでした。
長い間、同じメンバーでステージやっていると情も移ることもあるでしょう。ドラム(Ds)の田中くんは曲によってスネア・ドラムを幾度か換えて、努力しようという気持ちのうれしいバンドです。
キーボード(Pf)の小泉くんはオープニングで登場の際には、必ずステージ奥のPAの人に頭をさげてから楽器の前に座ります。
ベース(B Pf Ft)の山内くんは取りまとめ役としてバンドの音への気配り(声かけ)も見られます。
ギター(G)の尾上リンタロウ(誕生した男の子)改めサトシくんはあたらしいマーチンのエレアコ使っています。
午後8時すぎに感情、感動の財津和夫さんの瑞浪のコンサートが終了しました。
こんな感情あらわな、感動あらたな財津さんを見るのは初めてのことです。飛騨牛の名店と美濃焼の瑞浪市での財津和夫さんのlive & talkコンサートに来ています。
午後6時にシルキーヘアーをクリーンカットでさらりと整髪した財津さんがダークグレーのジャケットに濃いブルージーンズスタイルでセンターマイクに登場してオープニングです。「愛の力」は財津さんの高い表現力、歌唱力が存分に発揮されたすばらしい楽曲になりました。
そしてステージ・ホリゾンタルのスクリーンに映し出された財津さんの子ども時代の家族のスチール映像にあわせて街でバッタリ会った同級生の女性に強く進学を勧められたことなど福岡時代の恩人、思い出話を長く話したあとの最後に「そう言えばギターの尾上くんに、うるう年の2月29日に男のお子さんが生まれました。なぜこんな話をするかと言えば、私にも2人の子どもがいましてまだちっちゃな頃にその寝顔を見てつくった曲をこれから歌います。my dear。」と言って歌いだしました。
途中の間奏の間うしろのバンドに向きを変えていた財津さんがメンバーにそれとなく言うように「さあ、いくぞ」とはっきり声をかけて前に振り向いてこの歌を続けました。ちょっと、いつにない財津さんのセンシティブ(sensitivity)、普通でないものを感じたシーンです。
その通り、終わりのフレーズになって「生き方は自由でも」あたりからもう涙声になって、「信号のない道路・・・・」で声がつまり、「それが人生」となんとか歌い終えました。
それから続いて、「私から年老いたあなたがたへ」を歌いだし、途中「(あの少年は)もう七つめの春の・・・」で財津さん突然上を見上げて目頭を押さえて歌えなくなりました。
財津さん、バンド演奏を止めて、「顔が浮かんでくると、悲しくなっちゃって」と「ちょっと時間をください。」と胸を押さえて息を整えてからもう一度最初から歌い直します。
しかし、歌い始めて4フレーズぐらい歌って財津さん、マイクを吹き飛ばすほどの勢いでっ突然に「嗚咽(おえつ)」して涙の目頭を手で押さえてそれ以上歌えなくなりました。
ホールからは観客の大合唱が起こり、続き、しばらくして気を取り直した財津さんがその後を引き取ってなんとか歌い終えました。
第1ステージは親子を想うテーマの歌が続きましたから、財津さんも今日は想うところがあったのでしょう。
続く「そして また あなたへ」のイントロでは感情、感動の影響からかまだ声に震えも見られましたが、それでもいつしかいつものように歌い繋ぎ、「何が起きるかわかりません。」と「ストーブ」ではいつものように財津さんのすばらしい歌唱力、表現力を聞かせました。
10分休憩のあとの第2ステージでは、鼻をさかんに押さえて季節柄、花粉症の影響でもあるのか随分と終始鼻を気にかけてる仕草が続きます。やはり一度感情感動の起伏を迎えるとコンサート中に立て直すのはむずかしいものです。
「顔が浮かんでくると 、悲しくなっちゃって」の感情、感動が、そろそろお亡くなりになって7年目あたりになる(七つ目の春)財津さんのお母様のことなのか、何なのかは分かりませんが、ミュージシャンとして歌が途切れるのはけっしていいことではありませんが、ミュージシャンも何より「人間」であること、財津さんの社会人として人間としての資質、常識、良識、人格の高さを図らずも伺い知ることになりました。
小田和正さんも(仙台に住んだ経験から)東日本大震災に思いをはせてステージで涙したと聞くにつけ、この年頃になればみなさんそういう想いも強くなるということでしょう。
今日は、気ごころを許した(ファンの)中での「人間・財津和夫」を見る思いです。アンコールでは、前回は脱いできたカーディガンを今日は着たままの財津さんでした。
長い間、同じメンバーでステージやっていると情も移ることもあるでしょう。ドラム(Ds)の田中くんは曲によってスネア・ドラムを幾度か換えて、努力しようという気持ちのうれしいバンドです。
キーボード(Pf)の小泉くんはオープニングで登場の際には、必ずステージ奥のPAの人に頭をさげてから楽器の前に座ります。
ベース(B Pf Ft)の山内くんは取りまとめ役としてバンドの音への気配り(声かけ)も見られます。
ギター(G)の尾上リンタロウ(誕生した男の子)改めサトシくんはあたらしいマーチンのエレアコ使っています。
午後8時すぎに感情、感動の財津和夫さんの瑞浪のコンサートが終了しました。