いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

生徒に教えられる教育。 schoolboy and girl teach a teacher

2012-03-28 19:46:51 | 日記
 (1)初等、中等、高等基礎教育(basic education)の教員がエアロビクス・ダンス(aerobics dance)の講習に励む映像を見た。新年度から教科の中に取り入れることが決まってのにわかの教員のエアロビクス・ダンスの実習講習だ。

 映像はその変わり様を強調するかのように真剣そのものの、とても似つかわしくない中高年の教員をクローズアップしていた。多分、教える側よりも教えられる側の方がもっと自然にうまくリズムに乗って身体も自由自在に順応、反応するだろうにと思って見ていた。

 教員も大変だが、基礎教育の国の方針(学習指導要領)が一定せずにあれこれと試行錯誤の中で「ブレ」ているのは問題だ。

 (2)「詰め込み式」教育が受験偏重、高学歴社会のへい害を生んで「ゆとり(time to spare)」教育による人間性重視にシフトしたら、今度は学力低下を招いたとして12年度からは「脱ゆとり」教育への方針転換だ。

 基礎教育の中で、成長過程の途上の年代に比較学力ランク付けなど意味もないものにこだわって重視、影響を受ける、振り回される教育方針にこそ問題がある。
 理科、数学の理解力低下の回復(または興味喚起)のための「理数教育の充実」へシフトの新学習指導要領で、小、中、高等学校の基礎教育の教科書が軒並みに「厚く」(現行ページ数比較20~30%増)なった。

 東日本大震災の影響を受けて防災教育が各教科に増えて内容の充実もあり、教育内容の数的、量的制限も撤廃しての専門性も高い教科内容になった(報道)と言われる。

 (3)近年は昼すぎにはすでに街に生徒の姿を見かけることが多く、一体いつ授業をしているのやらと不可思議に思うことが多かったが、これで少しは学校教育(education in a school)で過ごす時間も増えそうだ。

 「ゆとり(time to spare)」教育といっても、結局は塾通いの受験対策にすり替わっただけのことで、やはり学校教育で「一日」を過ごすことの大切な年代だ。もちろん、「ゆとり」を有効に活用、発展させる方法、取り組み、姿勢が整理、確立されていれば、それはそれで好ましいことだ。
 「一日」学校教育で過ごすことが、また教員の勤務時間外の「労」費、苦労からの負担軽減にもなるはずだ。

 (4)教科書のページ数が大幅に増えたからといって、教科内容の数的、量的制限がなくなったからといってただ「詰め込み式」に回帰しては意味も意義もない。
 基本は、この年代は成長途上のこと、この段階では意味のない比較学力(ランク)判断でない、潜在能力育成の教育だ。「基礎」知識、学力を基本に生かした順応力、発想力、発展力、構想力、思考力の育成が大事な時だ。

 (5)国の基礎教育方針が発展途上のこの年代を対象とした国際学力比較など意味のないものに影響されて、方向性が定まらないことがあってはならない。
 そこで冒頭の教科内のエアロビクス・ダンスだが、教員のリフレッシュ効果でも考えているのか、生徒に教えられることもあることを現実に悟る効果(努力目標)はあるかもしれない。
 教育力は、教員資質の低下こそが問題だからだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする