いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

国技とプロフェッショナル。 national sports and professional sports

2011-05-19 19:32:41 | 日記
 (1)大相撲の八百長問題、日本相撲協会の特別調査委員会は当然の当初から予測された結果という、新たな疑惑は解明できなかった(疑惑なし)との最終報告をまとめ提出した。
 メール痕跡が残り、自ら八百長を認めた者を含めた25人以外、実質調査では「証拠もなく判断に限界」(報道)と八百長疑惑の全容を解明できなかった。

 オリンピックの名誉ある記録への挑戦というスポーツ・アスリートスキル精神至上主義(近年はプロ参加により国によって報奨金制度による商業化も多いが)とは異質の、地位と報酬がリンクして金銭感覚が社会通念とは大きくかけ離れたプロの大相撲社会だ。
 土俵上の力士ふたりだけの取組みで双方の意図、意思など解明判別しようもなく、力士個人の「自覚(self consciousness)」以外には八百長問題を防ぎようもなく、判別しようもないのが問題の根底にある実情、実態だ。

 (2)今回、メール痕跡の証拠により八百長相撲を自ら認めて発覚した大相撲八百長問題。この時点で、事実として発覚した八百長問題を同協会すべての構成員の「共同連帯責任」として受け止め、再スタートを望むなら国民、ファン、支持者の理解を得られる「責任と自覚」の取り方を検証して、まずは国技(規定されたものではない通念上のものだが)、団体としての特別税制優遇を返上しての「ゼロ」からのスタートを目指すのが、取り得るべき唯一の善良な管理者(virtuous superintendent)としての対応策だった。

 一場所休止し、さらにもう一場所技量審査場所として異例の対応をとっての同協会の八百長調査は、とりあえず調査をやっていることを強調してみせても「結果」の見えたパフォーマンスとして、少々こっけいに見えたものだ。

 (3)今回の八百長問題に対する日本相撲協会の対応は、調査委員に肩書のついた専門家を並べてみせても「問題」への視点、取組み、見極め、整理、分析、解決への先読み、判別能力欠如による問題を自ら複雑に混迷にして落とし入れるだけの結果として、組織の社会的信用を失墜させるだけのものであった。

 選択を誤って、もう時はたって、後味の悪さだけを残した。八百長の事実があったことを受けて、同協会の全構成員が「共同連帯責任」として全員が「責任と自覚」を決意し表明して、「ゼロ」から再スタートすべきだ。

 (4)大相撲の「スター」は、ある時期一気に勝ちあがってまるで演出されたかのように地位を駆け上がって相撲人気を得ている。力士によっては、地位を確保してからはなぜかその後急に勢いはなくなって勝ち続けることもできずに、平凡な結果に終わることもよく目にする。

 国技(national sports)とプロフェッショナル(professional sports)のパフォーマンスの違いの中で、大相撲は地に足のつかない浮ついた相撲観の歴史を歩んできた。

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