いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

不断と予断と決断。 irresolution , prejudgement , decision

2011-05-07 19:18:02 | 日記
 (1)危機管理(situation)で一番まずいのは、優柔不断(irresolution)、中途半端(by halves)な姿勢、考え方、やり方だ。
 前代未聞の危機的状況下でこそ、場当たり的なつぎはぎの整合性を欠く対応では後追いに終始して決して事態が前向き、改善に向かわないから、「ゼロ」からのスタートが切れる状況下でもある。

 制度も、習慣も、生活も、システムも、価値も、今までの連鎖性が中断されている中で、「ゼロ」から構築できる、あるいはしなければならない環境が危機的状況下の置かれた事態だ。
 国であれば首相、企業であれば社長、家族であれば親、それぞれリーダーシップの決断力が問われて、それぞれのカテゴリー(kategorie)の行方、命運を左右することになる。

 (2)国民の圧倒的な支持を受けて本格的政権交代を果たした民主党政権、①初代首相はアジア経済圏をテーゼ(these)にして米国離れを目指し、普天間基地移設先問題で国外、最低でも県外を主張しながら結論を先送りして結局米国の言いなりになっての県内移設に逆戻りして辞任し、②後を継いだ現首相は、参院選中に唐突に消費税増税論議を持ち出して惨敗し、トタンにこの論議を凍結するは、政治とカネの党内対立に決着、決断も出来ないと、双方ともに優柔不断、中途半端のオンパレードだった。国民の支持が20%前半に終始するのは必然の有り様だ。

 (3)前代未聞の東日本大震災、原発事故対応では、政府は放射性物質の漏えい、拡散を受けて「直ちに影響のでる範囲内ではない」とのあいまいな情報発信、避難・自宅内退避エリアの設定の二転三転の中途半端な対応が被災地、避難住民の不安と不信を招いてきた。

 この政府政治の優柔不断、中途半端な政治姿勢、考え方、やり方は、民主党政権誕生以来終始一貫しているところに、パラドックス(paradox)としてあきれるほどの「中途半端でない」ことに、驚かされる有り様だ。

 (4)東日本大震災による福島原発の収束見通しもたたない事故を受けて、トタンに必ず発生すると言われる東海沖地震安全対策として静岡県内の浜岡原発の稼働停止問題が急浮上してきた。
 政府、首相は、6日これも突然と受け取られるスタンスで同原子炉すべての停止を決めて経営企業の中電に要請した。方針決定のプロセス、地域の電力事情、代替エネルギーの基本的政策、方針、対策の情報開示、説明もない、これも唐突と受け取られるものだった。余程、原発への安全性に不信を持っての行動としか考えられない。
 自民党政権時代も含めて、原発への安全性を終始主張してきた政策の「誤り」を認める一大政策転換だ。
 当然のように地元に賛否困惑が広がっている。

 (5)「誤り」を認めることは、悪いことではない。国民の生命、安全、生活の保障がプライオウリティ(priority)だからだ。
 ただし、この政権、首相、誤りを認める重大性、「ゼロ」からスタートする時のプロセスが頭脳から「すっぽり」抜けた「空洞化」が常で、「危機管理」の本質論が理解できていない悲劇を平気で繰り返す習性が直らない。国民の悲劇だ。

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