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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

音楽の「力」とは。 nobody knows a power of music

2011-05-08 19:30:32 | 日記
 (1)「善意」をどう生かすのか、善意だけは細心の配慮が求められる。善意を確実に生かすためのシステム構築が大前提だ。
 東日本大震災の被災地では支援物資が行き先もなく溢れて保管場所に苦慮している現実がある。季節柄、今はもう使う用途もない暖房器具が、長期避難生活が見込まれる被災地ではまた冬になれば需要も出てくる物資だけれど、今は保管場所に困るおびただしい善意の数量が溢れている。

 (2)メディアでは、被災地、避難施設をボランティアで支援、訪問する著名人の善意が報道される。石原軍団のようにタレント性以外の「炊き出し」で生活支援する活動もあれば、歌うことで被災地を支援しようというミュージシャンの音楽活動の報道もある。

 報道ではミュージシャンはアカペラでヒット曲を歌い、聞いた被災者は歌で元気をもらったと笑顔で登場する。歌の「力」の大きさを美化して謳いあげている。
 先日、あるミュージシャンが、知り合いのタレントが被災地を慰労訪問した際のことを紹介していた。誰もが理解できるように、すべての人が歌に興味関心を持っているはずもなく、このタレントも避難施設を訪問した際に、被災者から、こんな時にここで歌なんか聞く気にはなれない趣旨のことを告げられたそうだ。
 仕方なく、施設の外に出て誰もいない中、歌を歌い出したら一人、二人と被災者が外に出てきて聞いてくれたとのことだった。

 (3)被災地では、当然のこととして誰もが被害者意識を実感として持ちうるすべてであり、被災を免れた地域とは一線を画した感情が生まれるのはごく自然のことだ。
 被災地でのあまりに報道されない「現実」だ。

 (4)大震災に際して、それぞれにやれることで支援しようと、歌の「力」が言われている。美化された歌の「力」が具体的に、実証的にどういうものかは、わからない。
 音楽には、双方向の一体感を共有する空気、空間がある。ワールドカップサッカーで日本代表は国家吹奏の際にフィールドアスリート、スタッフ全員が肩を組んで「心をひとつ」にして闘ったと言われる。日本代表フィールドアスリート、スタッフはグローバルな編成だった。

 歌は、心をひとつにするものなのかは、わからない。歌には、共感できるもの、一体感は実存する。自分以外に、「同じ想いをつくり出す」他人(それがミュージシャンであったり)がいる実感だ。この「同じ想いをつくり出す」ことが、人間の「力」になることは間違いない。

 人間が「力」になることといえば、平和で自由で「未来」の見える、未来を描けることだ。それが実現できるかどうかの結果論ではない。
 雇用があって収入がある生活、日常と明日がリンクする日常がある生活、興味、関心、目的が持続する生活だ。
 歌にはそういう生活観への「同じ想いをつくり出す」モチ-ブパワー(motive power)となるきっかけの「力」はあるかもしれない。

 それぞれの時代を何千年もスタイルを変えて持続(continuation)してきた、そしてこれから未来へと続くであろう歌の「力」は、あまりに計りしれずに多様で、奥深い(profound)。

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