今年のはじめ、スターウォーズを見た時に流れた予告編で気になっていた「The Greatest Showman」という映画を、昨日観てきました。
この予告編を見たとき、そのタイトルから真っ先に想起したのが、「THE GREATEST SHOW ON EARTH」という言葉でした。これは、今年の1月に惜しまれながらそのおよそ150年の歴史に幕を閉じた「リングリングサーカス」という米国のサーカス団の惹句であるとともに、そのサーカス団をテーマにした「地上最大のショウ」という、チャールトン・ヘストンが主演した映画の原題でもあります。
そして、「The Greatest Showman」の冒頭で、主人公が「P. T. バーナム」と名乗った時、「バーナム? 聞いたことあるな。なんだったっけかな」と思いましたが、それもそのはずで、リングリングサーカス団の母体となる興行団体を創設した人物の名でした。映画の内容も、P. T. バーナムの半生を下敷きにしていましたが、しかし必ずしも彼の伝記映画というわけではなく、ミュージカルとして作られていたこともあって、ワタシにとっては、腹は立たないけれども期待外れな映画ではありました。
さて、サーカスと言えば、米国のピンボールゲームではむかしからしばしばテーマに取り上げられたものでした。そしてそれらを見て育ってきたワタシには、サーカスとはノスタルジックな響きを持つ楽しいものというイメージが植えつけられました。
1989年、セガは、ビンゴ・ピンボール(関連記事:都立大学駅前のビリヤード場「アサヒ」とピン・ビンゴ)を多人数用ゲームに翻案した「ビンゴサーカス(Bingo Circus)」というメダルゲームを発表しました。
ビンゴサーカスも、その名の通りサーカスをテーマとしており、そして筐体には「THE GREATEST GAME ON EARTH」という言葉がデザインされていました。これは明らかにリングリングサーカス団の惹句をなぞっています。ビンゴサーカスは大ヒットしましたが、これには、セガが1975年に発表した「グループビンゴ(Group Bingo)」という元ネタがありました。このビンゴサーカスについては次回で詳しく述べるとして、今回はそれ以前の、セガのマスビンゴゲームの記憶を記録していこうと思います。
グループビンゴは、米国バーリー社の、「20穴タイプ」と呼ばれるビンゴ・ピンボールをモデルとして、カードの数字を移動させる「マジックライン」フィーチャーや「OKゲーム」という再ゲームフィーチャーを搭載するなど、ビンゴ・ピンボールをかなり忠実に再現していましたが、当時の国産メダルゲームではまだホッパーという払い出し機構を搭載することが難しく、旧来ながらのソレノイドによるコインスライサーでメダルを払い出すような状況だったため、1ゲームの最高払い出し枚数は僅か96枚でした。
グループビンゴのフライヤー。A3サイズを二つ折りにして、全4ページになっている。
「グループビンゴ」は、当時のメダルゲーム場ではかなりの人気を集めていたように記憶していますが、円形のプレイフィールドは木製であったため、湿気による反りや割れなどのトラブルが頻発したそうで、製品寿命としてはそれほど長くはなく、以降セガは、1986年に発表される「ワールドビンゴ(World Bingo)」まで、マスメダル(多人数用メダルゲーム機)のビンゴ機を顧みることはありませんでした。
ワールドビンゴのフライヤー。片面のみで、筐体の画像は写真ではなくイラストになっている。
「ワールドビンゴ」のゲーム性も、「グループビンゴ」同様、メダルをベットするたびに抽選を行ってマジックナンバーフィーチャーを有効にしたり、あるいは獲得メダル数が上昇するなどビンゴ・ピンボールのゲーム性を踏襲していましたが、抽選機構は、番号が書かれたボールを風で吹き上げて取り出すという一般的なビンゴやキノに通じるものでした。しかし、発泡スチロールに静電植毛されたボールは非常に汚れ易く、稼働させるうちにボールは真っ黒になって、ボールに描かれた番号を判読することすら難しい状態になってしまうという問題がありました(これは後に、静電植毛ではないタイプのボールを新たに開発することでなんとか治めました)。また、風で吹き上げられるボールは、他のボールやケース内に激しく衝突するため、その衝撃によりボール内部に仕込まれたICタグが破損してしまい、プレイヤーだけでなく機械の方でもボールを識別できなくなるという、より致命的な問題もあって、この製品も短命に終わりました。
ワールドビンゴで作成された、プレイヤー向けのインストラクションの小冊子。バニーガールのコスチュームが赤と白の二種類があるように見えるが、実際は白しかなく、後に一部を赤色に着色している。
映画「The Greatest Showman」では、P. T.バーナムがその興行師としての初期段階において、フリーク(奇形児)を募集して彼らを見世物とする描写があります。実際、このような見世物は、19世紀から戦前の米国において、サーカスやカーニバルなどでのメインの演しものに付きもののショウ(サイドショウ)として流行しました。1932年には、本当のフリークスたちを出演させて、サイドショウの内部で起きる出来事を描いた「フリークス」という映画も作られています。「フリークス」は、1980年ころになぜか日本でも注目を浴び、同時期に公開された「エレファントマン」という、実在の異形の人物を主人公とした映画とともに、当時の日本に「フリークスブーム」を起こしました。サイドショウは、今ではほとんど絶滅状態にある日本の「見世物小屋」と同じようなもので、奇怪なもの、怖いものを見たいという人々の低俗な好奇心に訴えるそのコンセプトは、一部の人たちの眉を顰めさせるものでした。しかし、「The Greatest Showman」では、そのような陰湿さや陰惨さを敢えて隠し、フリークスたちの描写は極めてマイルドです。このように、サイドショウをまるできれいごとのように描いているところも、ワタシがこの映画に失望した理由の一つでした。
(つづく)