オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【謹賀新年】初の国産メダルゲーム機発売から51年目の始まり

2024年01月07日 18時43分11秒 | 初期の国産メダルゲーム機

今年2024年は、初の国産メダルゲーム機「シルバーフォールズ」(関連記事:初の国産メダルゲーム機:シルバーフォールズ)が発売されてから51年目となります。セガは、シルバーフォールズが発売された翌1974年に、おそらく日本初のメダルゲーム機の総合カタログを頒布しました。

セガが1974年に頒布したメダルゲームカタログ。二つ折り全4ページで構成されている。

「総合カタログ」とは言っても、なにしろまだメダルゲームは国産化が始まったばかりなので、それほど多くの製品はありません。嵩を増やすため(もしくは在庫処理のため)に、スロットマシンとして製造したウィンザーシリーズをメダルゲームに転用することは理解できますが、「アスコット」、「ボーナスライン」、それに「ファイブスター96」の3製品については詳しいことがわかりません。

アスコット」は、米国エヴァンス社の「ウィンターブック」のコピーのように見えます。拙ブログではおなじみのCaitlynが作成している「外国人のためのエレメカアーケードゲームガイド」では1966年の製品としています。

エヴァンス社の「ウィンターブック」。この個体はかつてsigmaが自社のロケで稼働させていたものと思われる。

しかし、1966年はまだ日本のAM市場にメダルゲームと言うジャンルは成立していません。一体セガは誰を相手にするつもりで「アスコット」を作ったのでしょうか。海外輸出用でしょうか。

次に「ボーナスライン」ですが、これは米国Bally社のスロットマシン「EXTRA LINE (1971)」のコピーのように見えます。

Ballyの「EXTRA LINE」のフライヤー。

セガは、ウィンザーシリーズを最後に海外のスロットマシン市場から撤退したと思っていた(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(4) セガのスロットマシンその2)のですが、この「ボーナスライン」はメダルゲームとするつもりだったのでしょうか。セガは他にも「ラッキーダブル」及び「ボーナスツイン」の、二つのBally製品のコピーを作っていますが、製造年はいずれも不明です。(24/1/7追記:SNSで、ラッキーダブルとボーナスツインは共に74年製のようであるとご教示いただきました! ありがとうございます!!

ファイブスター96」もよくわからない機種です。ここでは最高96枚のメダルを払い出すメダルゲームとして紹介していますが、1977年に頒布した価格表ではオリンピア機と並べて「ライセンスマシン」(つまり、風営機)として売り出しています。しかし、風営機であれば96枚もの大量の払い出しが認められるはずがなく、おそらくルールが改変されているはずですが、詳しいことはわかりません。

1977に頒布された価格表から、風営機としてのファイブスター96の部分。オリンピアマークIIIと共に掲載されている。

また、それ以前の1975年ころには「ファイブスターQ」を発売していますが、こちらはAM機(プライズ機)です。

「ファイブスターQ」のフライヤーの表裏。アレンジボールのバリエーションだった(と思われる)「ファイブスター96」とは機構が全く異なる。

**************************************

さて、遅れましたが、明けましておめでとうございます。今年もこんな具合で古い娯楽機の記憶や謎などについてつらつらと書き散らかしていこうと思います。もし、ご高覧くださる皆さまに思うところなどがございましたら、コメント欄にてお聞かせいただければ幸甚です。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。