地震に対する耐力不足(p59)
・ 1~3号機の設置申請がなされた時期(1960年代後半)の原発耐震設計地震動は265ガルであった。
・ 1981年原発耐震設計審査指針が決定され、それに基づく耐震バックチェックの実施が求められた。
・ 東電は福島第一5号機について、2008年、基準地震動を600ガルとし、耐震バックチェック中間報告を提出した。
・ 東電は、耐震バックチェックをほとんど実施してこなかった。また、新指針に適合させるための耐震補強工事が多数必要であることがわかっていながら、実施しなかった。
一方
・ 福島第一原発敷地内で、今回の地震による最大加速度は、2号機で550ガルであった(p199)。
以上から、いいたいことは、
1981年以降、東電が、耐震バックチェックとそれに基づく耐震補強工事を、真剣にやっておけば、今回の悲惨な状態を免れることができたかもしれない、ということ。
放射性物質の漏えいがどこで発生したかは、今もって不明であるが、配管の継手のいくつかが破損した、と素人は想像する。仮にこれらが600ガル対応に補強されていれば、と思うのは我一人であろうか。
と、考えると、東電と保安院がグルになってやってきた、上記のような放置は、限りなく犯罪に近い怠慢だと思う。
もちろん、それに加担してきた、官僚、政治家、およびマスコミの罪も大きい。
このように、ほとんど全グル常態のために、だれも告発しない、できない、のかもしれない。
・ 1~3号機の設置申請がなされた時期(1960年代後半)の原発耐震設計地震動は265ガルであった。
・ 1981年原発耐震設計審査指針が決定され、それに基づく耐震バックチェックの実施が求められた。
・ 東電は福島第一5号機について、2008年、基準地震動を600ガルとし、耐震バックチェック中間報告を提出した。
・ 東電は、耐震バックチェックをほとんど実施してこなかった。また、新指針に適合させるための耐震補強工事が多数必要であることがわかっていながら、実施しなかった。
一方
・ 福島第一原発敷地内で、今回の地震による最大加速度は、2号機で550ガルであった(p199)。
以上から、いいたいことは、
1981年以降、東電が、耐震バックチェックとそれに基づく耐震補強工事を、真剣にやっておけば、今回の悲惨な状態を免れることができたかもしれない、ということ。
放射性物質の漏えいがどこで発生したかは、今もって不明であるが、配管の継手のいくつかが破損した、と素人は想像する。仮にこれらが600ガル対応に補強されていれば、と思うのは我一人であろうか。
と、考えると、東電と保安院がグルになってやってきた、上記のような放置は、限りなく犯罪に近い怠慢だと思う。
もちろん、それに加担してきた、官僚、政治家、およびマスコミの罪も大きい。
このように、ほとんど全グル常態のために、だれも告発しない、できない、のかもしれない。