水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

日の名残り(25)

2018-04-26 12:04:22 | 日の名残り
But I feel I should return just a moment to the matter of my father; for it strike me I may have given the impression earlier that I treat him rather bluntly over his declining abilities. The fact is, there was little choice but to approach the matter as I did - as I am sure you will agree once I have explained the full ontext those days.

ところでもう一度、少しの間だけ、父のことにもどるのをお許しください。先ほど衰えた父に対する私の態度を見て、少し無神経だという印象を持たれた方があるかもしれません。しかし、ああする以外、ほかに方法がなかったことは、当時、お屋敷が置かれていた状況を知る方々には、きっとご理解いただけると存じます。


スティーブンスー氏が勤務する、ダーリントンホールで、1923年3月初めての国際会議が開かれることになっていて、上から下まで準備に忙殺されていた。まさにそのとき、副執事の父親の衰えが顕著に表れたのである。この国際会議中に父親が亡くなるのだが、スティーブンス氏は、執事業務を、品位を持って全うした。

その話は、次回以後に回そう。


どういうわけか、忙しいときに限って新たな仕事が増える。どういうわけか、忙しい人に仕事が集まる。
そんな経験をだれでも持ち、ちそれをしのいで一人前になる。
スティーブンス氏は、自身、この国際会議の修羅場をくぐって、自信をつけたようだ。